婚礼の宵


 宴席の上座に近い襖が開かれ、介添え役の勇音に手を取られた花嫁がしずしずと入場して来た。
 古式ゆかしい白無垢・綿帽子の花嫁が婿の隣りに着座する。介添え役は一旦、宴会場を出てゆき、入れ替わりに緋袴を纏った巫女装束の七緒と清音が入場して来た。清音は鶴亀の水引飾りを結んだ酒器を、七緒は盃と榊の枝を載せた三宝を捧げ持っている。二人が花婿・花嫁と向かい合う位置に座した直後、山本元柳斎重國が厳かな声音で宣言した。
「これより、護廷十三番隊隊長・浮竹十四郎、四番隊隊長・卯ノ花烈の婚姻の儀を執り行う」
 七緒が三宝から榊の枝を取り上げると、葉を一枚ちぎって二つに裂き、その一方を盃に落とした。そうしておいて、盃を取り上げ、捧げるように目の高さに持ち上げたところで、清音が酒器から神酒を注いだ。酒が満たされた盃をまず十四郎が手に取った。
「卯ノ花烈を娶ることを誓おう」
 宣誓と共に、中の榊の葉ごと盃を干す。
 返された盃に先ほどちぎった榊の葉の片割れを落とし、再び、神酒を満たして今度は烈に手渡す。
「浮竹十四郎さんに嫁ぐことを誓います」
 烈も誓いを述べると、同様に一息で盃を干した。
「以って、婚姻の成立とする」
 山本が宣告を下すと、列席者から拍手が沸き起こり、花婿・花嫁は深々と頭を下げて謝意を示した。
 春と呼ぶには余りにも長すぎる交際期間を経て、十四郎と烈が結婚に至ったのは理由があった。烈が身籠ったのだ。
 尸魂界でも赤子は生まれる。だが、赤子を為す為にはいくつかの条件が必要だった。第一には赤子の両親、特に母親にある一定以上の霊力が備わっていること。第二に生まれてくる赤子自身も一定以上の霊力があることが挙げられる。これには尸魂界においては子供の成長と霊力の上昇が密接に結びついていることがある。霊力のない赤子は母親の胎内で成長できないのだ。より正確に言えば、成長する為には気の遠くなるほどの時間が必要で、その期間に母体の方が耐え切れず、異物として排除してしまうのである。だから、霊力のない赤子は胎児の形すら形成できないままに流れてしまう。一方、赤子に霊力が備わり成長できたとしても、母親に霊力がない場合、自らの胎内で肥大してゆく霊力によって母体が弱ってしまう。この為、霊力のない母親が霊力の備わった赤子を宿した場合、自己防衛本能が働いて流産するか、赤子の霊力に負けて衰弱死するか、二つにひとつである。
 第一、第二の条件は尸魂界特有の条件であるが、第三の条件については現世と事情は変わらない。男性側に充分な密度と活動能力を備えた精子が含まれる精液を生成する能力があること、女性側が健康体で成熟した卵子を供給出来ることである。
 十四郎と烈の場合、第一、第二の条件については問題がなかった。二人は護廷の隊長を務めるほどの高い霊力を誇っていたし、そんな二人の間に子が為されるとしたら、九分九厘両親譲りの高い霊力が望めるからだ。だが、肺に病を抱え、幼い頃から発作を繰り返してきた十四郎は子を為すには、精子の密度に不足があった。乏精子症までには至っていないが、重度の精子減少症だということは検査により判明していた。
 全ての条件をクリアした霊力が高く健康体の男女であっても、そう簡単に子が生まれるわけではない。現世に比べて長命でゆっくりと加齢が進む尸魂界では、いくら霊力のある者の絶対数が少ないとはいえ、現世並みの頻度で子供が産まれてしまったら、魂のバランスはあっさりと崩れ去ってしまうからだ。十四郎は八人兄弟の長男で尸魂界でも稀有な兄弟数の持ち主であるが、十四郎のすぐ下の弟は十四郎が生まれてから十三年後に生まれた。その他の兄弟間も同じで短くても八年の開きがある。だが、それでも間を置かずぽんぽんと生まれたといえるのだ。例えば、烈の副官である勇音と十四郎の部下である清音の姉妹は生まれ年に三十二年の開きがあった。二番隊の副隊長、大前田は四人兄弟であるが、平均して二十四年の間隔で生まれ落ちていた。烈にも妹がいるが、妹は烈と二十八年差だ。
 十四郎は自分には子供を為すことは無理だと考えていた。母性的な烈が決して自分からは口にはしないが、子を望んでいることも知っていた。だからこそ、どうしても求婚できなかったのだ。病持ちで、彼女を母親にしてやれない自分には資格がないと諦めていた。そのくせ、彼女を手放すことの出来ない卑怯さを十四郎は自覚していた。
 だが、奇跡のように、烈に子種が宿った。
「結婚しよう」
と告げた十四郎の言葉に、烈は涙を浮かべて頷いた。
 交際期間が余りに長く、婚期という意味ではすっかり遅れてしまった二人は書類の提出だけで婚姻を済ませるつもりでいた。
 それに猛然と反対したのが女性死神協会である。
「理事長が宴会は要らないって言っても、あたしたちは意地でもお祝いしますから!」
「そうですよ。せっかく浮竹隊長のお嫁さんになれるんですよ。花嫁衣裳は着とかなきゃ」
と大盛り上がりに盛り上がった役員たちに押し切られる形で、烈は披露宴を了承した。七緒が放った間諜・春水の誘導尋問で十四郎が「実は烈の花嫁姿を見てみたい」という本音をうっかり吐露したことも大きかった。
 披露宴の会場となったのは、老舗の料亭「石雲楼」である。料亭そのものの格、という点ではやや不足がないではないが、宴に列席する客の人数を収容できる大宴会場を備えているという条件下では最上級の店だ。
「ただいまより、結婚披露宴を始めます」
 宴の司会進行役を女性死神協会からおおせつかったのは九番隊副隊長の檜佐木修兵だ。
 総隊長の祝辞の間に、一斉に入室してきた仲居が列席者の盃に酒を満たしてゆく。
「二人の末永い幸せを祈念して」
と春水が乾杯の音頭を取る。
「乾杯!」
 盃が干された。
 直後、進み出たのは十番隊隊長の日番谷冬獅郎と五番隊副隊長の雛森桃である。何ごとだ、と花婿・花嫁に列席者が首を傾げる中、司会の修兵が、
「十番隊隊長の日番谷冬獅郎、五番隊副隊長の雛森桃による『高砂』の謡いが納められます」
と告げるや、宴席が一瞬ざわめいた。冬獅郎も、桃も、これまでずっと謡いのことを秘密にしてきた為、親しい同僚でさえ彼らが謡いが出来ることを知らなかったのだ。主役である十四郎と烈に向かい合う位置に二人は端座し、冬獅郎が祝いの口上を述べた。
「浮竹隊長、卯ノ花隊長。この度はおめでとうございます」
 冬獅郎の言葉に合わせて、華やかな振袖姿の桃も頭を下げる。
「ありがとう、冬獅郎。雛森副隊長も。しかし、謡い? 君たちが謡いが出来るなんて知らなかった」
「恥ずかしくてずっと秘密にしてきたからな。けど、目出度えこの席でも披露しないんじゃ、何の為にばあちゃんが仕込んでくれたかわからねぇって、姉さまに説得されたんだ」
「未熟ですが、精一杯のお祝いを込めて謡わせていただきます」
と桃が後を引き取った。
 二人は姿勢を正した。短く目を見交わすと声を合わせて謡い始めた。
    高砂や この浦舟に帆を上げて
    この浦舟に帆を上げて
 朗とした冬獅郎の張りのある低音と、柔らかな桃の高音が美しい和音となって響いた。
    月もろともに 出汐いでしお
    波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて
    はやすみのえに 着きにけり
    はやすみのえに 着きにけり
 婚姻の席では定石中の定石の謡いであるが、まさかに十番隊隊長と五番隊副隊長によって謡われるとは思っていなかったのだろう。皆、馳走を食べる箸を止めて聞き入っている。
    四海波静かにて 国も治まる時つ風
    枝を鳴らさぬ 御代なれや
    逢ひに相生の松こそ めでたかりけれ
    げにや仰ぎても ことも愚かや
    かかる世に住める 民とて豊かなる
    君の恵みぞ ありがたき
    君の恵みぞ ありがたき
 謡いが終わると同時に、二人は深々と頭を下げた。
 はっとした十四郎と烈がぱちぱちと手を叩く。
「お二人ともありがとうございます」
「おめでとうございます」
 もう一度、祝いの言葉を繰り返し、冬獅郎と桃は自席に戻っていった。
 冬獅郎が席に就いた途端、隣りの席に座していた春水から、
「まぁ、一献」
と酌をされた。
「上手いもんだねぇ」
とにこにこと笑う春水に笑みを返し、
「ばれちまったな」
と冬獅郎は苦笑した。
「おばあさんに仕込まれたって?」
「謡いは、ばあちゃんが好きだったんだ」
「乱菊ちゃんの踊りに、絢女ちゃんの笛。それに冬獅郎くんと桃ちゃんの謡いなんて宴会の楽しみが増えたねぇ」
「もう謡わねぇぞ」
「えー、そんな勿体ない」
「俺の謡いは松本専用なんだ。そうだな、伊勢と結婚する時には謡ってやるよ」
 くつくつと笑いながら、冬獅郎は春水に返杯した。
 上座では本日の主役である十四郎が、烈の祖母と両親から酌を受けていた。
「全く、ようやく烈を引き取って下さるなんて、時間がかかりましたこと」
「この年で『出来ちゃった婚』されるとは思ってもみませんでしたわ」
「何をご遠慮なさっておいでたのかは存じませんが、貴方以外の男に嫁げるものなら、とうに嫁がしておりましたよ」
「いっそ、烈の方から求婚してみたらと唆しても、首を振るばっかりで」
「本当にやきもきしました」
 気が強いことでは有名な姑と大姑にちくちくと責められて、十四郎としては苦笑いで誤魔化すしかない。気の優しい烈の父親が、目だけで、
「許してやってくれ」
と訴えている。
「お母さま、それに、芙喜ふきも、他のお客さま方が順番を待っておいでだ」
と促されて、ようやく、烈の祖母と母親は二人の前から腰を上げた。
 代わって、酌に訪れたのは烈の妹夫婦だ。
「浮竹隊長、姉上、おめでとうございます」
 烈に婿を取ることを諦めた両親の意向で、烈の妹に婿が迎えられていた。卯ノ花家の次代当主の地位が約束された妹婿は、現在、六番隊の第三席を務めている。
「浮竹隊長の義理の弟になれるなんて、本当に感激です」
義兄上あにうえ、祖母と母のこと、お許し下さいませね。あんなことを申しておりましたけど、姉の結婚が決まって、本当に喜んでおりましたのよ」
と烈の妹からも詫びられて、十四郎は首を振った。
「責められても仕方ないんですよ。意気地がなくて求婚出来ずにいたのですから。子供が出来てようやく踏ん切りをつけたなんて」
「待った甲斐がありましたわね、姉上」
 烈の親戚、十四郎の親兄弟、部下や同僚たちが入れ替わり立ち代わり二人の前に来て、祝いを述べてゆく。誰も皆、十四郎と烈の結婚を心から祝福していた。
「ここで、十番隊副隊長の松本乱菊により舞いが披露されます。伴奏は五番隊隊長、日番谷絢女」
と修兵が告げた。
 わぁ、と一瞬の歓声の後、静まり返った場に、乱菊と絢女が現れた。絢女が烈や十四郎の斜め脇の位置に端座し、乱菊が真正面に立つ。
「祝い舞ということで、『豊受乃寿舞とようけのことほぎのまい』。余興という意味で『鶯宿梅』とを披露させていただきます」
「ありがとう」
 絢女の龍笛が宴席を割った。高く低く、流れる笛に合わせて、乱菊が優雅に舞う。彼女は舞扇ではなく鈴を両手に持っており、彼女の動きに従って、しゃらん、しゃん、しゃらん、と涼やかな音が響いて笛と交じり合う。「豊受乃寿舞」はもともとは巫女舞であることを意識したのだろう、乱菊は鶴の地紋の白無地の着物の上に番の鳳凰が描かれた鮮やかな緋色の衣装を諸肩脱ぎに着付けていた。白と緋色の鮮やかな色彩が、くるくると縦横無尽に舞い動く。
 笛の音が一際高くなった。同時に、乱菊は手にしていた鈴を宙に高く放った。放物線を描いた鈴は中空で交差し、しゃらん、と音を立てて、再び乱菊の両手に納まった。
 割れんばかりの拍手が起こった。艶やかな笑みで乱菊と絢女が一礼する。乱菊は面を上げると絢女の傍らに歩み寄り、鈴を置いて、代わりに預けていた舞扇を絢女から受け取った。もう一度、乱菊は花婿花嫁の真正面に場を取る。絢女の龍笛がゆったりと緩やかな旋律を奏で始めた。「鶯宿梅」の前奏部だ。
 乱菊の手の中で舞扇が広がった。扇を持った手をゆっくりと彼女が動かし始めた時、宴席から謡いの声が響いた。
 隊長たちが坐している上座の客席から冬獅郎が、そこよりやや下座の副隊長席から桃が謡いを入れたのだ。宴席が音もなくどよめいた。
 春のうららかさを主題とした曲だけに、笛も、謡いも、ゆるゆると伸びやかな音を紡いでいる。乱菊の舞も「豊受乃寿舞」の時よりも動きはゆったりとしているが、高く袖を振り、大きく半身を揺らして、華やかさを演出している。美しい舞姫の舞に、その場の全ての客が目を奪われていると、絢女の前に移動してきた乱菊が舞扇を手招くように動かして、絢女を誘った。
(えっ?)
と一同が目を瞠る中、絢女が立ち上がると乱菊と共に舞いはじめた。
 もちろん、笛の音は途切れさせていない。龍笛を奏で続けたままなので、舞といっても摺り足で移動しながら、時折、くるりと身体を捻る程度の動きだ。しかし、絢女が動けない分、乱菊が大きく派手やかな舞で絡むので、客の目には美しい胡蝶が二匹戯れているように映っている。大きく腕を振り上げることで中空を滑らせた乱菊の袖の下をするりと潜り抜けたり、ひらひらと動く舞扇の隙間から顔を見え隠れさせたりといった所作を繰り返しながらも、絢女の笛は乱れもせずに美しい旋律を響かせて続けている。
 やがて、謡い、笛、舞が同時に消えた。
 背中合わせに、互いに撓垂れ掛るような姿勢で、乱菊と絢女はぴたりと動きを止めた。
 再び、宴席がどよめき、数え切れない拍手が雨のように降り注ぐ中、舞姫たちは姿勢を正すと一礼した。
「浮竹隊長、卯ノ花隊長。今日の善き日を心よりお祝い申し上げます」
 声を揃えた挨拶に、十四郎も烈も嬉しそうに笑み零した。

「いい婚礼だったわね」
 宴席からの帰途、乱菊が感慨深そうに告げた。
「卯ノ花隊長、お綺麗だったぁ!」
 酒と興奮に酔った上気した顔で、桃が応じた。
「卯ノ花隊長を説得した甲斐があったわね」
「ねぇ、あんなに綺麗なのに花嫁衣裳を着ないなんて勿体ないわよねぇ」
「浮竹隊長もうっとりした顔で、卯ノ花隊長を見ていらしたよ」
「惚れ直したってとこかしらね?」
 十番隊の隊寮と五番隊の隊寮は割合に近い場所にある。石雲楼からの道は同方向になるので、冬獅郎、乱菊、絢女、桃の四人は連れ立って帰っていた。
「卯ノ花隊長は、やっぱり、古式ゆかしい白無垢・綿帽子で正解だったわね」
「お色直しの色打掛もすごく似合ってらした」
 女たちの話題はやはり花嫁衣裳に行き着くようだ。
「乱菊さんはウェディング・ドレスの方が似合いそう」
「あはは、そうね。白無垢って柄じゃないかな? でも、桃もドレス、似合いそうよ。ほら、ブライダル雑誌の表紙に載ってたうっすーい桜色のパフスリーブのドレスとか、あれ、似合いそう」
「乱菊さんはスタイルがいいから、あんまりフリルとかぴらぴらしてないドレスが素敵かもしれませんね」
「うん。マーメイドラインの、すごくシンプルなドレスがあったじゃない? あれ、あたし、一番気に入っているの」
 烈の披露宴の為に、女性死神協会は瀞霊廷中の呉服商や、現世のブライダル会社からカタログを取り寄せ、本人以上の熱の入れようで、ああでもない、こうでもないと花嫁衣裳を品定めしたものだった。
 副官二人がウェディング・ドレス談義に夢中になっている隙に、絢女はさりげなく二人の傍を離れ、三歩ほど先を歩む冬獅郎に並んだ。
「冬獅郎、これからは宴会の謡い、覚悟しておかないと」
「あー、やっぱ、断れねぇか」
「他の隊長の頼みはともかく、総隊長命令には逆らえないでしょ?」
「まぁな」
と冬獅郎は苦笑いを零した。
 姉弟の背後では、桃と乱菊がブライダル雑誌で見た花嫁衣裳について、あれは素敵だったとか、あっちは趣味が悪いとか、盛り上がっている。
「ねぇ、冬獅郎」
と、絢女は二人に聞こえないように声を潜めて弟に話しかけた。
「あなたは結婚しないの?」
 冬獅郎は絢女を見返した。彼女から、それを問われたのは初めてだった。
「ごめんなさい。冬獅郎と乱菊の問題だから、いくら私が姉さんだからって口を挟むわけにはいかないって思って、今まで黙っていたんだけど…」
「いや…」
「私、冬獅郎と乱菊はもっと早く結婚すると思っていたの」
 今や、冬獅郎と乱菊は護廷公認のカップルである。十番隊の部下たちは全員、上司二人の関係を祝福している。絢女も桃も流魂街にいる祖母も認めていて、結婚を阻む障害など何ひとつとしてないにもかかわらず、一向に籍を入れようとしない冬獅郎を絢女は密かに案じていたのだ。
「ずっと一緒にいて、すっかり今の状態でなじんでしまったからな」
と冬獅郎は答えた。
「結婚なんて紙切れ一枚のことだろ? 今更、わざわざ、」
 彼の言葉に絢女の表情が険しくなった。
「本気で言っているの?」
 絢女から厳しい視線を向けられ、冬獅郎は沈黙した。
「確かに、紙切れ一枚だわ。でも、その紙切れ一枚は重たい意味があるのよ」
「姉さま」
「冬獅郎、あなたには乱菊という恋人がいることがはっきりしているのに、貴族からの婚姻の申し込みが絶えないのはどうしてだと思っているの?」
「それは…」
「確かに、片っ端から断ってはいるわね。でも、『自分には乱菊がいるから』って断り続けながら、冬獅郎はいつまで経っても乱菊と結婚しようとしない。だから、貴族たちはこりもせずに縁談を申し入れてくるのよ。中には、断っても、断っても、申し入れてくるしつこい家もあるって、総隊長から伺ったわ。総隊長もね、毎回断りを入れるのに苦労していらっしゃるみたい」
「一乗寺か…」
と、冬獅郎の表情が苦々しげになった。一乗寺家の一人娘である貴紗きさは冬獅郎に執心していて、婿を取るなら彼でなければ絶対にいやだと頑張っているそうだ。
「乱菊はあなたの奥さんじゃない。正式な婚約者ですらない。単なる愛人だと思ってるから、みんな、乱菊の存在をないがしろにするの。たかが紙切れ一枚かもしれないわ。でも、あなたと乱菊が正式に結婚すれば、貴族たちも、貴紗姫だって諦めるわ」
と絢女は弟を見上げた。
「冬獅郎。乱菊があなたを想っていることに胡坐をかいてしまわないで。いくら断っていても、縁談が来るっていうだけで乱菊を傷つけているのよ」
「…」
「乱菊が初恋の人と別れることになった経緯は話したでしょ」
「ああ、覚えている」
と、冬獅郎は頷いた。乱菊の初恋の男は、彼女と婚約寸前まで進みながら、家同士のしがらみから逃れられず、上級貴族の入り婿となって乱菊を捨てたのだ。
 絢女はそれ以上何も言わなかった。
 冬獅郎も言葉を重ねなかった。
 黙りこくったままで、二人は並んで歩み続ける。
「乱菊さんがウェディング・ドレスだと、シロちゃんはタキシード?」
「…。似合いそう」
「うん、似合いそう」
「やっぱり、白いタキシードかしら?」
 背後では乱菊と桃の楽しそうな会話が続いている。
    姉さまは、」
 冬獅郎が沈黙を破った。
「姉さまこそ、結婚しねぇのか?」
 絢女は瞬きをひとつした。
「私はいいの」
「何で? だって、姉さまは、」
「冬獅郎」
と絢女は弟を遮った。
「噂は本当なのね」
「噂?」
 眉を顰めた冬獅郎に絢女は重ねた。
「冬獅郎が乱菊と結婚しないのは、私がお嫁に行くのを待っているからだって…」
「誰がそんなことを?」
 事実である。だが、姉の耳には入れないようにしていたし、第一、彼のその想いを知っているのは、乱菊の他は、春水と十四郎だけだ。そして、二人が絢女に告げ口したりしないことについては、冬獅郎は絶対の信を置いていた。
「誰というわけではない噂よ。でも、その噂を聞いた時、冬獅郎なら考えそうなことだと思ったわ」
「姉さま」
「冬獅郎。あなたが私を尊重してくれる気持ちは嬉しいわ。でも、その為に乱菊を傷つけたりしないで。乱菊をいつまでも待たせて、彼女に逃げられたらどうするの?」
「じゃあ、何で姉さまは結婚しないんだ? 市丸とは相愛なんだろう?」
 声を潜めたまま、冬獅郎は切り返した。
「私がギンと結婚したら、ギンはあなたの義兄さんよ。いいの?」
「もう諦めた。それに、市丸は姉さまのことだけは大事にしそうだからな」
 ギンにとって、絢女は唯一無二の女性だ。そして、絢女もギン以外の男は望んでいない。二人が結婚しないことこそ、冬獅郎には奇異に思えていた。
「ギンは私との結婚は望んでいないの」
 しかし、絢女の返答は冬獅郎の意表を衝いた。
「な…?」
「だから、私の結婚を待っていたら、冬獅郎はいつまでも結婚できないわよ。私のことはいいから、冬獅郎、乱菊をちゃんと護ってあげて」
 分かれ道に来た。十番隊の隊寮は真っ直ぐ進んだところだが、五番隊隊寮に行くには左に折れなければならない。
 絢女は、
「桃ちゃん」
と副官を呼んだ。
「じゃあ、ここで。冬獅郎も乱菊もおやすみなさい」
「おやすみー」
「乱菊さん、おやすみなさい」
 女たちは明るく挨拶を交わしている。
「シロちゃん、おやすみなさい」
と桃に手を振られ、はっとして、冬獅郎は、
「おやすみ」
と返した。
 絢女と桃は左の路地に入ってゆき、やがて姿は闇に溶けてしまった。

駄文倉庫に戻る
次のお話へ
トップへ戻る
2011.02.20