色男を恋人に持つ女性の傾向と対策 ~前篇~
往診でもない限りまず他隊を訪れることのない四番隊隊長が、わざわざ副隊長会議で副官が不在の時を狙ってやってくるなど碌な用件ではないと踏んでいた。
滅多にない事態に半ば以上怯えた引き攣り笑いで茶を運んで来た五席の笙野は、そそくさと給仕するや、逃げるように執務室を辞した。むろん隊首である冬獅郎は逃げ出すわけにはいかないが、早くも腰が引けている。対して、護廷の女帝は貫録を湛えた落ち着きぶりでおもむろに茶を口にした後、にっこりと微笑んでみせた。
(ひぃぃっ、出たあぁぁッ!)
向かい合ってソファに腰かけていた冬獅郎の頬もひくっと攣った。知らない者がみれば慈母の微笑み。しかし、付き合いの長い隊長格には「最凶」と恐れ戦かれている最終奥義をのっけから繰り出されて、天下の十番隊隊長も内心はガクブル状態である。
「日番谷隊長」
「は、はいィ」
噛んだ。思いっきり噛んだ。
「これを読んで下さい」
と烈は携えて来た風呂敷包みの中から束ねられた紙片を取り出すと、冬獅郎の前に置いた。
「手紙…ですか?」
正しく、女性死神協会宛ての手紙だった。促されるままに読み始めた冬獅郎は、顔面の引き攣りを頬から口許にまで拡大させた。手紙はどれも、彼の写真集の出版を切望する要望書の類だったのだ。
尋ねたり、問い質したら負けだと、無言のまま手紙を読み終えて返して来た冬獅郎に、烈は最終奥義の微笑を深めて、
「どう思われますか?」
「…どうと言われましても…?」
問われた以上、答えねばならないだろうが、何を言えと? これが副官相手ならにべもなく、「馬鹿なこと言ってないで仕事しろ」と切り捨てられるが、相手は女帝・卯ノ花烈である。迂闊な返答をしようものなら、崖っぷちに追い詰められること必至だ。どうする? どうする、俺、と見えない冷や汗をだらだらと流している冬獅郎に気付いているのかいないのか(いや、間違いなく承知の上のはずだ)、烈は更に一口、茶を啜ると、
「これはほんの一部ですわ。女性死神協会には大量の要望書、嘆願書が届いております」
「はぁ…」
この話の流れは
「これだけの要望、女性死神協会といたしましても無視は出来なくて」
「…」
「はっきり申し上げましょう。日番谷隊長の写真集の出版企画にご協力を願いたいのです」
「…断る、と言ってもどうせ盗撮で出版されるおつもりでしょう?」
言った! 言ったぞ、俺。冬獅郎は自分で自分に拍手喝采した。大体、ほんの三年半前に発売された「日番谷冬獅郎写真集 冬のライオン」も、その一年後に出版された「冬のライオン Part2」も、ほぼ盗撮と本人の同意を得ない近縁者(主に桃)からの写真提供でまかなったのだ。しかし、「何故、今回に限り協力要請など」と言外に渾身の皮肉を込めた冬獅郎の言葉を、烈は軽く受け流した。
「盗撮は無理ですわ。乱菊さんが消極的ですから」
「は?」
前回、前々回と盗撮しまくった張本人の乱菊が消極的だと? 天変地異の前触れか!?
別の意味で慄き始めた冬獅郎に、
「写真集などを出版して、これ以上、日番谷隊長がモテるようになっては困る、ということだそうです」
「 あ~」
色々と思い当たる節があって、冬獅郎は得心した。それと同時に、
「嫉妬なんてずいぶん可愛らしい、と今、思われましたね?」
(心を読まないで下さい、卯ノ花隊長!!)
ざっと顔を蒼褪めさせた冬獅郎に対し、烈はにこにこと笑っている。
(こ、これは…)
最終奥義よりも更に究極の奥義があったのか、と、冬獅郎はからからに干上がった咽喉を辛うじて茶で潤した。
「ご協力いただけませんか?」
「松本が嫌がっている以上、尚更、協力は致しかねます」
負けそうな己を叱咤しつつ、冬獅郎はきっぱりと断った。対して、烈は、
「そうでしょうね」
と反論もせずにあっさりと引き下がった。その穏やかさに不審を覚えたが、その予感は間違いなく正しかった。烈は風呂敷包みの中から新たな手紙の束を引き出して、冬獅郎の前に積み上げて見せたのだ。
「実はこのような要望も多数上がっておりまして」
先ほど冬獅郎写真集要望書を提示された時以上に悪いものだという予測に苛まれながら、一番上に乗った手紙を取り上げ、読み始める。直後、ぴきっと音を立てて冬獅郎のこめかみに青筋が立ち、室内の体感温度が一気に五度ほど低下した。
『松本副隊長の水着写真集を是非に』
『神々の谷間をどアップで』
『先遣隊で現世に長期滞在したおりの、現世女子高生装束を是非とも』
乱菊の写真集出版の嘆願書に添えられていた下心満載の要望の数々に、冬獅郎の青筋は増加の一途である。室温も間もなく氷点下だが、烈はといえば微塵も動じずに茶請けに出された羊羹を口に運んでいる。
『無理を承知で敢えて言わせて下さい! 松本副隊長のヌードがあれば写真集を買い占めます!』
止めといわんばかりの要望があった。だが、それを読み終えた途端、冬獅郎の額から青筋がすっと消え、荒れていた霊圧が押え込まれた。
「それで、卯ノ花隊長? 俺が断れば、松本の写真集を出版すると、つまりそういうことですか?」
およそ温度のない無表情は、先ほどまでの怒り心頭よりも一層剣呑で恐ろしいものがある。だが、女帝は笑みを崩さず、
「嫌ですわ。私はそのようなことは一言だって申し上げてはおりません」
と言い切った。
乱菊は人気がある。男性死神は言うに及ばず、女性死神からも憧れと尊敬を受けているのだ。だから、写真集出版を切望する声が上がっているのは紛れもない事実なのであろう。また、ほとんどの要望はおそらく、常識を弁えた真っ当なもののはずだ。にもかかわらず、烈は敢えてどぎつい要求の手紙ばかりを選り出して、冬獅郎に示したに違いない。
「いいでしょう」
こうなった以上、冬獅郎が返せる答えは唯一つだ。
「俺の写真集には協力します。その代わり、松本の写真集の要望は握りつぶして頂きます」
烈の策略に嵌っているのは承知の上だ。だが、副官であり、恋人であり、将来は妻となるべき女を、みすみす見知らぬ男の夜のおかずに供する愚は犯せない。譬え、写真集があの碌でもない要望には全く沿わないごく普通の着衣姿の写真ばかりで構成されていたとしても、乱菊を猥らな目で眺める男にとっては燃料になり得るということは、他でもない冬獅郎自身が一番よく弁えていることだ。
冬獅郎の返答に満足したか、烈は漸く「最凶の微笑」を引っ込めた。
「交渉成立、ということでよろしいでしょうか」
「はい」
望みどおりの条約で講和に持ち込んだ女帝は、意気揚々として十番隊を引き払う。残された敗残の将たる冬獅郎は屈辱と敗北感、そして途方もない疲労に塗れて、ずるずるとその場に頽れたのだった。
その日は、様々なシチュエーションを想定した写真を撮るという護廷の女帝からの呼び出しに、乱菊写真集と引き換えに自らを生贄とした冬獅郎は唯々諾々と従うよりなかった。
指定された小料理屋に赴くと、何故か、ギンと白哉がいた。
「何で、朽木と市丸までいるんだよ?」
「ああ、聞いてへんの? 今日はこの三人、もしくは二人が絡む写真を撮るんやて」
冬獅郎の疑問にギンが答え、
「はぁぁ?」
と冬獅郎は更に訳が分からなくなった。ギンは彼の事情などお見通しという風情で、
「乱菊の写真集と引き換えに、冬獅郎はん、自分の写真集の出版、承諾しはったんとちゃうの?」
と答えを確定した疑問形で尋ねて来た。その一言で、冬獅郎にも事情が呑み込めた。ギンは絢女を、白哉は
「朽木たちも写真集が出るのは分かった。しかし、何でまた、この三人で絡んだ写真が必要なんだよ?」
その点が冬獅郎はまだ飲み込めない。白哉も同様らしく、一人訳知り顔のギンに無言で説明しろと圧力をかけている。
「売上を伸ばす為や」
「は?」
「んーと、まぁ、朽木はんや冬獅郎はんのファンやいうて写真集買うモンと、ボクのファンやいう子ォらとは多少は被るかしれんけど、基本的にはずれとるのんは理解出来はるな?」
冬獅郎は頷いた。正統派の美形で育ちも良い白哉に憧れる者と、たたき上げで
「せやから、朽木はんや冬獅郎はんのファンやいう子ォらは、まずボクの写真集なんて買わへん」
「だろうな」
「けどな、ファンやいうモンには一定数、熱烈なんがおってなァ。瀞霊廷通信の片隅にのっとるようなちんまい写真の一枚でも見逃さんとスクラップして収集するような強者も中にはおるんや」
「…あ~、何となく理解した」
ギンには全く関心のない白哉のファンであっても、市丸ギン写真集に他には掲載されていない白哉の写真が紛れていたら、それを目当てに購入することが有り得るというわけだ。つまり、それぞれの写真集に別の人気隊長の写真を混ぜることによって、本来ならば購買層でないはずの客まで取り込むことを目論んでいるのだ。
「…えげつねぇ」
「まぁ、商売するんやったら、売上を伸ばす努力は必要やよし」
「確かに」
「それに写真集の売上が伸びれば、ボクらの実入りも増えるし。ええんと違う?」
「へ?」
きょとんと目を丸めた冬獅郎を、白哉は眉を顰め、ギンは細い目を一層眇めて見つめた。
「もしや、兄は自分の写真集だというのに印税契約を結んでおらぬのか?」
「…その様子やと、『冬のライオン』も一環も受け取ってへんな」
「 !?」
絶句した冬獅郎に、ギンは溜息をついた。
「冬獅郎はんて…、しっかりモンで頭も切れはる人や思とったけど、妙なところで人がええいうか、間ァが抜けてはるなァ」
「さすがは絢女殿の弟といったところか」
浮世離れという点ではこれ以上の男はいないだろうと勝手に思い込んでいた白哉からまでお人好し宣言を食らって、冬獅郎は愕然とした。とはいえ、富豪である朽木家も黙って財産を守れるわけではない。一族は手広く商いをやっているし、白哉も護廷隊長であると同時に企業家の顔も持っている。その辺りの契約にシビアなのはむしろ当然なのだ。しかし、そこまで思考の至っていない冬獅郎は
「しゃあない。ボクが後で交渉したるわ…。四割は今更もう無理や思うけど、せめて二割くらいならいけるやろ」
「うむ」
つまり、ギンと白哉は売上の四割を受け取る契約を結んでいるという訳だ。確かに、嫌々ながら出版に同意したとはいえ、自分の写真集なのだ。売上金を受け取る権利はある。いや、嫌々であればこそ尚更、せめて売上のいくばくかは取り分としなければ割りに合わないというものだ。にもかかわらず、利益を丸ごと女性死神協会に献上していた己の迂闊さに、冬獅郎のライフは既にゼロである。
すっかり意気消沈している冬獅郎を尻目に、
それなりの数の写真を撮り終えたところで、小料理屋から場所を移動することになった。
「 これは…、コンセプトはホストやな」
白哉に聞こえないようにギンがぼそっと呟き、冬獅郎は成程と得心した。護廷隊長にホストとは不謹慎であるが、同性の冬獅郎でも理解出来る分かりやすい色気を放つギンと白哉を見れば、需要があるのは歴然としている。どうせ、ごねたところで烈の肝いりである以上、撮影は強行されるのだ。ならば、さっさと終わらせてしまいたいと達観した彼は、「ホスト」という白哉には地雷でありそうな単語を自らの心の中に封印したのだった。
三人、あるいは二人の組み合わせて様々な構図での写真、単体でも何枚もポーズを取らされた。これで終わりかと思いきや、別の服に着替えてまた撮影。こういう時に、ノリの良いギンのような性格は得だと、冬獅郎はしみじみと感心した。
漸く、現世装束の撮影が終わった。精神的に
人気のない住宅地の裏通りで、冬獅郎とギンは様子を見に訪れた烈からバケツの水を被るように言い渡された。突然の驟雨に濡れて、雨宿りの軒端で鉢合わせという演出なのだそうだ。雨など全く降ってはいないが、雨宿りの軒の上から裏方が如雨露で水を撒くから問題ないと、烈は聖母の微笑で断言した。
「水も滴るいい男、いうことやね」
苦笑を一つ零し、ギンは潔くざばっと頭から水を被った。さっさと指定された軒端に入り、懐から出した手拭いで髪や首筋を拭うさまは、はっきり言って同性の目から見てさえいたたまれない心地を覚えるほどに艶めいていた。
冬獅郎も深い溜息を吐き出すと、ギン同様に水を被った。雨に気を取られている風情で俯き加減にギンのいる軒端に走り込む冬獅郎を、バシャバシャと連続したシャッター音が鋭く追いかける。
「日番谷隊長、右手で濡れた前髪を掻き上げて下さい」
(市丸や朽木ならまだしも、俺を水浸しにして何が嬉しいんだよ)
と心の中ではぶつくさと文句を垂れていた。そのせいで、自然、眉間の皺がきつくなっているが、中国の美女・西施が眉を顰めても美しかったように、彼の場合、気難しげな表情さえ色気に結びついてしまっている。
(あーあ、乱菊、がっくり来るやろうな…)
冬獅郎が子供の姿の時は、自隊の隊長の人気ぶりがひたすら嬉しく誇らしくて、積極的な盗撮により写真集の出版に加担した乱菊である。むしろ、首謀者と言ってもいいだろう。だが、冬獅郎が成長し、彼と恋人関係になった乱菊は写真集の出版に反対している。それを知っているギンは心の中で、
(ほんまご愁傷さまや)
と同情を禁じ得なかった。
こうして、日番谷冬獅郎写真集「滴る」、市丸ギン写真集「夜を往く」、朽木白哉写真集「The Sound of Silence」は同日敢行された。初版特典として生写真一枚封入、予約特典としてポスター進呈という触れこみに初版は予約完売する騒ぎであった。
因みに、予約特典のポスターは朽木白哉は自室で書をしたためている図、ギンは黒スーツ・ホストの単体写真(開眼紅眸のレアショット)、そうして、冬獅郎はといえば写真集のタイトルに沿わせたのか、例の濡れ鼠写真が使用された。
発売当日、書店の店先では写真集を受け取るや否やポスターを確認した女性たちの黄色い悲鳴が一日中響き渡っていた。