色男を恋人に持つ女性の傾向と対策 ~中篇~
隊長舎で晩御飯を食べて一緒に過ごす晩は、絢女が料理をする代わりに後片付けはギンが行うのが二人の間の決まりだった。付き合い始めた当初は、絢女が料理も洗い物も何もかもこなしていたのだが、それでは余りに申し訳ないからとギンが言い出して、役割分担することになったのだ。ギンの洗い物が終わるのを待つ間、絢女はいつもは本を読んだり、縫い物をしたりして過ごしている。しかし、今日はギンや冬獅郎の写真集の発売日だ。ギンが居間に戻った時、彼女は卓に頬杖をついて入手したばかりの写真集を熱心に眺めていた。
「絢女」
「ん? なぁに?」
「ボクの写真集はその辺に放って、冬獅郎はんのを熱心に見とるて、ちぃっとばかり傷付くんやけどなァ」
絢女は本から目を上げて、ギンを見つめた。
「やだ、焼餅?」
くすくすと彼女は笑った。
「だって、冬獅郎よ? 朽木隊長の写真集を眺めていたのなら怒られても仕方ないけど…」
「朽木はんの写真集を目の前で眺められたら凹むわ」
朽木白哉写真集「The Sound of Silence」はギンの写真集の下に重ね置かれている。白哉の写真集がこの部屋に存在すること自体が、ギンは実は不満である。だが、そのことで不平めいたことを口にしないのは、それが貰い物だと知っているからだ。白哉の写真集を寄越したのはルキアである。かつての不仲ぶりが嘘のようにすっかりブラコンと化してしまったルキアは、義兄の凛々しくも麗しい姿にすっかり感激した揚句、親しい者たちに「布教」とばかりに写真集を配り歩いているのだ。妹のように目をかけているルキアからの贈り物で、しかも物は親しい友人である白哉の写真集となれば、絢女の性格からしてぞんざいに扱うことなど出来るわけがない。それが理解っているから、ギンは仕方なく「The Sound of Silence」の存在を許容したのである。
冬獅郎の写真集「滴る」の方は、存在自体には不満はない。絢女もまた、ブラコンと呼んでも差支えないくらい弟を愛おしんでいるから、写真集の入手は予想の範囲内だ。冬獅郎は絢女が母親代わりになって育てたのも同然だから、いくら大きくなろうとも可愛いのだろう。それも重々承知である。とは言うものの、恋人を差し置いて弟の写真集を眺めるというのだけはあんまりではなかろうか、とギンは心の中だけでひっそりと零したのだった。
ギンは絢女の真後ろに廻ると、その場に胡坐をかいて座った。腕を前に回し、彼女を背後から抱え込むとその左肩に顎を乗せ、
「なぁ」
とわざと耳に息がかかるように囁いた。
耳の弱い絢女はびくっと小さく震え、逃れるかのように僅かに首を傾けた。
「乱菊は冬獅郎はんの写真集の出版に反対やったらしいで」
「知っているわ。写真集の出版が決まった時にずいぶんと愚痴っていたもの」
「うん。冬獅郎はんの人気がこれ以上高うなって、ライバルが増えるのがいやや言うとった」
「どんなに女の人から言い寄られたって、冬獅郎は乱菊一筋なんだけどね」
「そいでも、いややねんて」
「…ん~、確かにそれはそうよね」
絢女が困ったふうに同意したのを受け、ギンは、
「絢女は?」
と尋ねてみた。
「私?」
「ボクの写真集の出版、どない思たん?」
対して、
「嬉しかったわ」
と絢女は答えた。
「少しも焼餅を焼かなかったと言ったら嘘になるけど…、でも、ギンが写真集の要望が出るくらいに人気があるのが嬉しかったのよ」
絢女は嬉しかったとしか言わない。だが、彼女が口にはしない真意に、ギンは気が付いていた。彼は三年前、藍染の叛乱に加担し、護廷を一度裏切っている。裁判を受け、色絶無三十日の刑に耐え切ったことで公的には許されて護廷隊長に返り咲いているが、だからと言って、ギンが殺した者たちが生き返るわけではない。復讐の為の計略だったとか、鏡花水月に囚われてしまったとか、ギンが抱える事情は裏切られ、踏みにじられた一般隊員たちにとっては全くどうでもよいことである。だからこそ、絢女はギンの写真集の要望が嬉しかったのだ。叛逆者で罪人の男を恋人にしてしまった彼女にしてみれば、乱菊が抱いたような真っ直ぐな嫉妬や独占欲などを凌駕してしまうほどに。もしかしたら、要望の数の分だけ、ギンが赦されたように感じたのかもしれない。ギン自身はそれで赦されたなどとは、もちろん微塵も考えてない。だが、受け入れられていることは事実として受け止めていた。
黙り込んでしまったギンが気になったのか、絢女は首を廻して彼の顔を覗き込んだ。そうして、諦念の滲む彼の眸を見付けて、彼女は言葉が足りなかったことを悟った。
「ギン、あのね」
絢女は開きっぱなしだった冬獅郎の写真集を閉じると、ギンの写真集をそっと引き寄せた。そのまま、適当な頁を開く。そこには執務の間の休憩中の光景を切り取ったらしいイヅルと茶を飲んでいる写真があった。のほほんと気が抜けたその顔を指差して、
「営業用」
と絢女は言った。
「え…?」
「これ、営業用の顔でしょう? カメラをしっかり意識して、のんびりした表情を作っているわね」
彼女は更に他の頁を開くと、
「これも」
頁をめくり、そこにあった写真を指して、
「これも営業用」
と繰り返した。
「これだって、そうよ。冬獅郎は本気で嫌がっているけど、ギンのは素じゃないもの。意図してこんな
それはホストをコンセプトとした黒スーツ姿の一枚で、ギンが冬獅郎の肩に腕を廻して引き寄せるようにしているポーズだった。冬獅郎は眉間に皺が寄っており、そっぽを向いている。一方のギンの口許は弧を描いていた。ギンが冬獅郎をからかって遊んでいる時にいつも浮かべている笑みと寸分違わないはずの写真に指を滑らせ、絢女は、
「あなたが、普段、冬獅郎を
ときっぱりと言い切った。
「 」
彼女の腹部で組まれたギンの手の甲を、絢女はそっと左手で押さえた。
「この写真集には、一枚だって、本当のあなたはいないわ。全部、作り物の
「…」
「でも、私といる時のギンは
「当たり前や」
とギンは呟いた。
「ありがとう」
絢女はギンの応えに礼を述べた後、更に続けた。
「だからね、私はこの写真集がどんなに売れても平気なの。カメラ用に作ったんじゃないギンの本当の表情の写真が一枚でも混じっていたら、きっとすごく嫌だったわ。でも、そうじゃないから…。だから、この写真集を買ったたくさんの女の人があなたをうっとりと眺めるところを想像したってどうってことないの」
「そっか…」
「それに、私はこの写真集を眺めてもちっとも楽しくないの。だって、作り物の顔をしたギンしかいないんですもの」
ふ、とギンは息を吐き出した。
「だから、冬獅郎はんの写真集を眺めとったん?」
彼の問いに、絢女は頷いた。
「ええ。冬獅郎はあなたと違って、営業用に表情を繕うなんて出来ないもの。無理矢理笑っている写真とか、何だかもの凄いことになっているし。見てて飽きないわ」
「うん」
「乱菊が写真集を嫌がっていたのは、素の冬獅郎を他の女の人に見られるのが嫌だったからよ。だから、もし、冬獅郎がギンみたいに表情を自在に作れるのなら、別に焼餅なんて焼かなかったんじゃないかしら」
「むしろ、売上が上がったら、あれ買って貰おうとか張り切りそうやな」
「ふふ…、かもね~」
絢女は腕を上げ、ギンの頭を宥めるようにぽんぽんと軽く叩いた。ギンは廻した腕に僅かに力を込め、彼女の肩に乗せた顎はそのままに顔を髪に埋めた。
「かなわんなァ」
と彼の口からいかにも参ったという声が転げて、絢女はうっすらと笑みを零した。
「
「そりゃあ、霊術院からの付き合いだもの。もう何年、あなたを見ていると思うの? 分かるわよ」
「そこは『愛があるから』やいうことにしといて」
「あら? もちろん、『愛』はあるわよ、 多分」
「ちょっ? 多分って何? 多分って?」
小さく声を立てて笑う絢女にしてやられた感が募り、ギンは仕返しがしたくなった。そっと組んでいた手を解くと、右手を引いた。
「ギン?」
不審を覚えた絢女が振り返るよりも早く、ギンは右手を彼女の身八つ口に差し入れた。
「ギン!?」
襦袢の上から乳房を押さえられ、ギンの腕の中で絢女の身体が硬直した。
「…ちょっと、右手…」
「ん~」
「ものすごく不穏な動きをしているんだけど…」
「やって、不穏に動かしとうのやもん」
しらっと返したギンに絢女は眉を顰めた。身動ぎをして逃れようとするが、胸元に入れられた右手と腹部に残されていた左手に力を籠められて、動きを封じられてしまった。
「ギン…、離して…」
「い~や~や」
楽しそうな声が絢女の耳もとで響いた。ギンは腕に更に力を入れると彼女の腰を上向きに持ち上げるようにして自らに引き寄せて、彼女を胡坐を組んだ脚の上に乗せてしまった。そのまま、唇を寄せて、彼女の柔らかな耳たぶを甘噛むと、絢女はひゅっと息を呑んだ。
「ギン、悪ふざけしないで…」
「ふざけてなんかおらん。姫さんが可愛えのがあかんのや」
「何、その理屈?」
絢女は呆れたふうにちょっと笑った。抵抗するのも馬鹿馬鹿しくなったのか、彼女は流されてみることに決めたようだ。ギンに身を委ねて来た。
彼女に許されたことで気持ちが落ち着いたせいか、胸元を弄るギンの動きは無意識に柔らかくなっていた。耳朶をくちゅくちゅと擽るように
(…気持ちいい…かも…)
絢女の眸がとろんと蕩けた。
「ギン…」
甘さの滲む声で呼び掛けられ、
「なに?」
とギンもまた、声を低め、甘く囁き返した。
「
「ん。ボクが莨を吸うのん、知っとうモンは少ないからな。リクエストされへんかったし」
ギンの喫煙習慣は、実際、あまり知られていない。ヘビースモーカーには程遠く、気分転換に日に数度、ふかす程度で楽しんでいるので、そもそも莨を吸う頻度自体がそう多くはないのだ。喫煙するのも、執務室か三番隊長舎、でなければ絢女のいる五番隊長舎の三ヶ所にほぼ限られている。携帯用の莨入れや煙管入れを所持しているので外で一服することもないではないが、お気に入りの昼寝スポットである大木の枝の上とか、他に客のいない茶屋の店先といった人気がないところを選んで吸っているので、彼の喫煙が他人に目撃されることは滅多に起こらないのだ。
「リクエストがあれば載せてた?」
彼女の声に僅かに拗ねたような色が混ざり込んだのに気付いて、ギンは薄い笑みを浮かべた。
「載せへんよ」
煙が苦手なので喫煙中には絶対に近寄らないが、絢女はギンが一服している姿を見るのが好きだった。そのことはギンも承知しているので、
「ボクが莨を吸っとるトコを眺めるのは絢女の特権や」
と返した。
「良かった…」
絢女は嬉しそうに微笑むと、ギンに預けていた背中を弛緩させた。
「絢女」
左手で彼女の顔を振り向かせて、ギンは唇を重ねた。浅く絡まった舌がたとえようもなく甘やかだ。触れては離し、離してはまた唇を合わせ、舌を絡ませる。そうやって幾度も口接けを繰り返し、すっかり絢女の息が上がった頃、ギンの視界に卓の上に置きっぱなしになっていた三冊の写真集が映り込んだ。
紙に印刷された単なる画像に過ぎないことは分かっている。だが、そうであろうとも、他の男がいる前で絢女をこれ以上乱したくはなかった。
「絢女、寝室に行こ?」
そう囁いて、ギンは彼女を抱き上げる。絢女はうっとりと身を任せたまま、微かに頷いた。