頑張れ、オトコノコ 〜前篇〜
前方の窓からの陽射しが前に立った人物の身体で翳った直後、
「石田」
と呼び掛けられて、雨竜は文庫本から目を上げた。机を挟んで目の前の一護はまるでババ抜きでもするかのように扇形に広げた紙片を差し出しており、雨竜は戸惑って瞬きをした。一護が差し出している紙片をよく見ると、それは東京二十三区内にあるレインボーランドという大きな遊園地のフリーパス・チケットだった。
意味が分からずに、視線をチケットから一護の顔に移した雨竜に、
「これ、今月末までの期限なんだ」
と一護は言った。本日は二十五日。月末までは一週間もない。
「それで?」
「次の土曜か、日曜、空いてねえか?」
次の土日はまさに月末で、このチケットを行使するならそこしか日はない。
「…男同士で遊園地に行く趣味は、生憎とないんだが」
雨竜が冷ややかに応じると、
「俺だってねえよ」
と一護は苦々しげに仏頂面で返した。
「そうじゃなくて、チケット、四枚あるだろうが」
「それが?」
「井上とたつきを誘って、行かないかって言ってんだ」
一護の言葉に、雨竜は軽く息を呑んだ。一護は前の席の椅子を引くと、斜めに腰かけて雨竜を見据えた。
「おまえ、たつきと付き合うことになったって話してただろう? 親父から、『受験生でも息抜きは必要だ』っつって、これを貰ったんだ。丁度いいかと思って声を掛けたんだけど、優等生は遊園地なんて興味ねえか?」
一護は先ほどの雨竜の返答を根に持っているのか、少し皮肉っぽい。
「…遊子ちゃんや夏梨ちゃんはいいのかい?」
最前までの冷ややかさを引っ込め、困惑気味に見返す雨竜に、一護は、
「夏梨は公式戦が近いからな。土日もみっちり部活だ」
夏梨は馬芝中の女子サッカー部のエース・ストライカーである。部活に青春を捧げる体育会系な中学生ライフを満喫している。
「遊子には『お邪魔虫は嫌』って拒否された」
「…そうか…」
「で、どうする?」
改めて真顔で確認してきた一護に、
「ありがたく甘えさせていただくよ」
と雨竜は応じた。
雨竜がたつきと付き合うことになったのはほんの二週間ほど前のことである。昨年の春、一護と織姫がめでたく両想いになったことで、雨竜は織姫に失恋した。一護を祝福しつつも傷心を抱いていた雨竜だったが、時間が傷を癒していったのか、いつしか、仲睦まじい一護と織姫を見ても胸は痛まなくなっていった。だが、間もなく、傷心を癒したのは時間ではなかったことに彼は気が付いた。いつの間にか、彼はたつきに惹かれていたのである。だが、想いを自覚して彼は頭を抱えた。たつきはどう見ても、雨竜など眼中にないと判断せざるを得なかったからだ。嫌われてはいない。むしろ、好意を持たれている自信はあった。だが、その好意はあくまでも、級友、仲間に対する友情の範疇を超えるものではなく、異性としての雨竜には彼女の関心は向いていなかった。それでも、何も言えないままで終わってしまった初恋の経験から、雨竜は再び想いを告げないままで消えてしまうことを怖れた。進路が全く異なるたつきとは高校を卒業してしまったら接点がなくなり疎遠になるのが目に見えていた。だから、雨竜は思い切って彼女に告白したのだ。そして、戸惑う彼女に対して、
「試しに付き合ってみないか?」
と駄目元で提案したのである。無理だと思ったら、どうあっても雨竜を異性として意識できないと結論が出たのなら、いつでも振って構わない。だから、取りあえず一度付き合って欲しいという雨竜の申し出を、たつきは了承した。
そういう訳なので、交際しているとは言い条、実態は雨竜の片想い状態だ。現在は仮採用で試用期間中の身の上である。その辺りの事情も一護には打ち明けていた。付き合うことになって二週間、放課後、バス停まで一緒に帰るだけが関の山の雨竜は、間違っても恋愛巧者とは言えない一護の目から見ても不甲斐ないものだったのかもしれない。そうでなければ、彼がWデートを提案して来るなどあり得ないだろう。
「そうか、んじゃ、井上たちを誘いに行こうぜ」
一護はチケットを制服のポケットに突っ込むと、善は急げとばかりに席を立った。雨竜も無言で後に従った。
迎えた日曜日。
日頃の行いが良かったのか、晴れ男、もしくは晴れ女が四人の中にいたのかは定かではないが、見事な秋晴れの晴天は絶好の遊園地日和である。都内といっても外れに位置する空座町からレインボーランドのある板橋区までは乗り換え時間も含めて、電車で一時間ちょっとの所要時間が必要だ。幸い電車は空いていたので、四人がけのボックス席に座れた。
余程に楽しみにしていたのだろう。織姫は終始にこにことしてテンションが高い。そんな織姫を一護とたつきが揃って微笑ましそうに見ている。そうして、雨竜はと言えば、微妙に緊張しぎこちない自分に誰も気が付きませんようにと願いながら、たつきの横で密かに掌に汗を滲ませていた。
遊園地がデートの定番だということは、知識として知っている。行楽地の様子を伝えるニュースなどで、遊園地の様子も見たことはある。しかし、だ。現実問題として、雨竜が遊園地と称される施設に足を踏み入れるのは幼稚園の遠足以来なのだ。母親を早くに亡くし、父親とは不仲。祖父を師匠に
その時、織姫が、
「遊園地でジェットコースターに乗るの、憧れてたんだぁ」
と邪気なく呟いた。
「…ジェットコースター、乗ったことねえの?」
驚いた様子で、一護が尋ねる。
「うん。前に遊園地に行った時にはまだ小さかったから乗せて貰えなかったの」
「前っていつ?」
「ええと、小学校の二年生の時かな? 伯父さんが連れて行ってくれたの」
織姫には両親がいない。彼女が三歳の時に、
「そうか。今日のは乗り物もアトラクションもフリーパスのチケットだからな。ジェットコースター、乗り倒そうぜ」
「うん、いっぱい乗りたい」
織姫には申し訳がないが、遊園地に縁がなかったのが自分一人ではなかったことを知って、雨竜は少し気持ちが楽になった。一方、一護は妹たちを連れて、幾度も遊園地に足を踏み入れたことがある様子だ。
「黒崎くんは、レインボーランドには行ったことあるの?」
「ああ、ま、遊子たちを連れて何回かはな」
「そっか。じゃあ詳しいんだね。お任せしますぞ、黒崎くん」
「OK」
と一護は受け合い、それから、たつきと雨竜を顧みた。
「たつきたちはレインボーランドは行ったことあるんだっけ?」
「ない」
たつきは即答した。
「ていうか、あたしも遊園地って久しぶりだわ」
「そうなのか?」
「うん。小六の時に大会で優勝したお祝いに父さんに連れてって貰って以来」
「へぇ? そん時はどこ行ったんだ?」
「あたしが優勝出来たのが嬉しかったみたいでさ、ディズニーランドに連れて行ってくれたんだけどね」
「おう」
「父さんにディズニーランドってものすごーく場違いでしょ?」
「あー、まぁな」
と一護は空手道場の師範である、強面なたつきの父親の顔を思い浮かべて頷いた。
「どうも父さん、いつもと勝手が違って滅茶苦茶に疲れたみたいでね。何というか、ディズニーランド自体よりぐったりと疲労困憊していた父さんの方が印象に残ってる」
「へぇ、なるほど」
「石田は?」
「レインボーランドどころか、遊園地自体、幼稚園以来だよ」
小二以来という似たり寄ったりな境遇の仲間を得た為、雨竜も正直に答えた。
「マジかって驚きたいところだが、石田ならありそうだと納得しちまうのが怖い」
「言えるね」
一護や織姫が一緒なのが功を奏したのか、いつの間にか雨竜の緊張は解れていた。織姫の提案で、何故かしりとりをすることになったのも良かったのかもしれない。楽しそうに笑っているたつきを横目で伺いながら、Wデートに誘ってくれた一護に対し、
(黒崎、ありがとう)
と面と向かっては言い辛い感謝の言葉を、雨竜は心の中で呟いた。
レインボーランドは絶叫系のアミューズメント・マシーンが充実していることで有名である。実際、園内に入るまでもなく、最寄駅からさえ、ジェットコースターが二つも認められたくらいだ。何度か訪れたことのある一護によると、小学生向けの緩いものまで勘定すると、実に五つもジェットコースターがあるらしい。
傾斜65度を下り降りるタイガーアイ・マウンテン。連続宙返りが売りのダイヤモンド・ムーンサルトに、乗り場が最高部にあり、いきなり滑り落ちるというルビー・フォールの三つがレインボーランドの三大ジェットコースターである。その他に、時速90kmの垂直降下により、無重力状態が味わえるというクリスタル・フリーフォールや、高速回転する円盤に立ち乗りするタンザナイト・ディスクなどのジェットコースター以外の絶叫系遊具も多数、揃っている。
入園口でチケットは合成ゴムのブレスレットに交換された。レインボーランドのマスコットキャラクターが取り付けられたブレスレットがこの園内では黄門さまの印籠代わりに機能する。ブレスレットを提示することでフリーパスの客であることが示せるのである。
三大ジェットコースターの一つ、タイガーアイ・マウンテンは入口のすぐ近くにあったので、四人はまずそれに乗ることにした。
「先頭か、最後尾の席が一番ジェットコースターの醍醐味を味わえるんだけど、最初だからな。真ん中に乗った方がいいかもな」
遊園地経験が最も豊富な一護のアドバイスに従って、丁度真ん中あたりの席に四人は陣取った。安全バーが上から下りて来て上半身をホールドした状態でロックがかかり、ジェットコースターの車両がゆっくりと動き始める。
「…けっこう高いね」
頂上に向かって進む先頭車両を見上げ、たつきがぽつりと呟いた。
「そうだね」
外から眺めていた印象よりも、実際に乗った方が高さを感じる。雨竜がちらりと視線を横に動かしてコースの外へ目を向けると、先ほどまで立っていた地上を歩く人間たちがリカちゃん人形サイズに見えた。
雨竜が目を前方に戻すより早く、
「きゃあぁぁ!」
「うっわー!!!」
前方から悲鳴、と認識する間もなく、ジェットコースターは凄まじい勢いで急降下していた。
「ひっ!」
雨竜の横でたつきが短い悲鳴を上げたのが聞こえた。
傾斜65度は体感ではほとんど落下に近い。しかも、カーブしているせいで、身体が左右に振れる。急降下の勢いで次の山を駆け上ったコースターは再び急降下した。
「ぎゃああ!」
「ひえぇぇ!!」
それに伴って、乗客の絶叫も響く。
だが、絶叫マシーンの滞空時間など高が知れている。山あり、谷あり、カーブありのコースを慣性と重力の物理法則に従って一巡りした車両は乗り場の少し手前で制動がかかり、がたごとと小さく揺れながらホームに入って停止した。安全装置のロックが外れ、バーが自動で上に上がる。
「面白かったぁ!」
雨竜の斜め前の座席に座っていた織姫が、言葉に違わぬ嬉しそうな表情で一護に話しかけている。ジェットコースターの疾走中、織姫の悲鳴が絶えることなく聞こえていたのだが、そうか、あれは怖かったのではなく正しくジェットコースターを満喫していたのだな、と雨竜は納得した。降りる為に腰を浮かせた彼は、隣の席のたつきを見て眉を顰めた。
「有沢さん?」
彼女の顔は血の気が引いて真っ青になっていた。よく見ると、小刻みに膝が震えている。
「大丈夫かい、有沢さん」
屈み込んで目を合わせ、肩に手を掛けると、たつきははっとした表情を浮かべた。
「だ、大丈夫だよ、ごめん」
慌てて立ち上がろうとしたたつきだったが、少しも大丈夫ではなかった。足に力が入らず、崩れそうになったのを雨竜が咄嗟に腕を掴んで支えた。雨竜の腕に縋り、彼に背中を抱えられるようにしてジェットコースターを降りるたつきを、一護と織姫が目を瞠って見ている。
ベンチに座り、雨竜が買って来たペットボトルのお茶を飲んでようやく人心地ついたらしいたつきに、
「おまえ、絶叫系、駄目だったのか?」
と一護が尋ねた。
「…小六の時は平気だったんだ。これより全然しょぼいのだったけど」
「ごめんね、たつきちゃん。あたしがジェットコースターに乗りたいなんて言ったから…」
しゅんと項垂れる織姫に、
「織姫のせいじゃないって。あたしもこんななると思ってなくて乗ったんだし」
「でも…」
「こういうのって回数乗ると慣れるからさ。多分、あと二、三回乗ったら平気になると思うよ」
とたつきは応じる。
小さな子供ならともかく、高校生ともなれば遊園地の醍醐味は絶叫マシーンである。遊園地には縁遠く、ジェットコースターに乗るのが憧れだったという織姫が、自分のせいで遊園地を満喫できないのは可哀そうだと、たつきはたつきで必死だった。
「んじゃ、ちょっとおとなしめのに乗ってインターバルを取ってから、再挑戦しようぜ」
一護が提案したアミューズメントはジルコニア・フロウだった。ゴムボートに乗って流れるプールを進むというものだが、コースには急流を模した傾斜や真っ暗なトンネルなどが配されており、プールの水の流れは結構速い。オールなどの進行を制御するものが一切付属していない為、ゴムボートは流されながら予測不能な動きをするのでなかなか侮れないのだそうだ。
「ああ、それならインターバルにぴったりだね」
「面白そう!」
少女二人が賛同し、無論、雨竜にも否はない。彼らはすぐさまジルコニア・フロウに向かった。
ボートが軽い方が水の流れに乗って動きが激しくなるので面白い、という一護の見解に則り、一護と織姫、雨竜とたつきのペアでそれぞれゴムボートに乗り込んだ。けっこう水を被るからと乗り場で貸し出されたビニール合羽に身を包み、ボートはコースを進んでいく。
侮れないという一護の意見は正しかった。途中、ぐりんぐりんと水流に巻き込まれて高速回転したり、川岸を模したコースの縁に激しくぶつかって盛大に水しぶきを上げたり、ボートの動きは正しく予測不能。ジェットコースターでは真っ青になっていたたつきも、このアミューズメントには、
「うっわっ!」
と軽い悲鳴を上げたり、前方のボートの織姫に手を振ったりと楽しそうにしている。ジルコニア・フロウを降りた時には、すっかり元気を取り戻していて、いつもの溌溂としたたつきに戻っていた。
念の為、ともう一つ緩めのアミューズメントを楽しんだ後、四人は再びタイガーアイ・マウンテンに挑戦した。
一護と織姫は、今回は先頭の座席に陣取り、慣らし運転中のたつきとそれに付き合う形で雨竜は一回目と同様に真ん中付近の座席に座った。
「二回目だしさ、きっと大丈夫だよ」
と笑っていたたつきだった。
しかし 。
結果は惨敗だった。
ジェットコースターが停車した時、たつきの顔は血の気が引き過ぎて、白くなっていた。一回目の時は、雨竜に縋りながらも何とか自力で立てていたのだが、今回は膝が笑い過ぎて立つことが出来ず、雨竜に引き上げられるようにして座席から離れることを得た。
(こんな形で密着することになるなんて…)
雨竜はたつきが好きだ。だから、健全な男子高校生として、当然、好きな女の子には触れたいと思う。手を繋ぎたいし、キスもしたい、体を抱きしめてみたい。だが、それは相手にもちゃんと自分を好きになって貰った上で、もっと甘い雰囲気でというのを想定していたのであって、こんな介護のような形を望んでいたわけではない。雨竜と一護に両脇を支えられるようにして乗り場の階段を降りたたつきをベンチに座らせた時、俯いた彼女が唇を噛みしめているのが、雨竜には見えた。
何とかしないと、と雨竜は思考を巡らせた。さばさばしたたつきは、人に意見をいう時も衒いがなく直截だ。だから、良く知らない相手には誤解されがちなのだが、親しい者たちは彼女が人一倍周りに気を配り、場の空気を読んで行動することを知っている。そんな彼女が今の自身の不甲斐ないありさまに落ち込んでいるのは明白だった。親友をとても大切にしているたつきは、織姫に遊園地を楽しんで欲しいと願っているはずだ。一方、織姫もまた、たつきを大事にしている。優しい彼女に絶叫系が苦手なたつきを放っておけるわけがない。このままでは、たつきは織姫に心苦しさを覚え、織姫はたつきに気を遣ってしまうに違いない。そうなることを、雨竜は避けたかった。
その時、ふっと、雨竜は先ほどジルコニア・フロウに乗る前にみんなで覗いた園内案内図で、園の中心部に湖が描かれていたことを思い出した。遊園地の中心に人口湖が作られているということは、きっと、と、彼はポケットに入れたままにしていた園内図を取り出して確認してみた。
(やっぱりあった)
と雨竜は自分の予測が正しかったことにほっとしながら、俯いているたつきを覗き込んだ。
「有沢さん」
「…何?」
微かに震えている声が痛ましい。
「落ち着いたら、一緒にボートに乗らないかい?」
「…ボート?」
「うん、ほら、ここ。貸しボートがあるみたいなんだ」
と園内図を示す。
そう、今日はデートだ。一護が、珍しくも友人に気を遣ってお膳立てしてくれたWデートなのだ。ならば、カップルの定番、二人でボートというのを提案しても全くもって不自然ではないだろう。
「あー、あるある、貸しボート」
と一護が相槌を打った。
「黒崎はどうせ、井上さんとボートなんて何度も乗ったことあるんだろう?」
雨竜が敢えて尋ねると、一護はわずかに顔を赤らめ、
「…あ、…おう、まぁ…な…」
と照れながら肯定した。
「じゃあ、しばらく別行動しよう。僕たちはボートに乗るから、黒崎は井上さんとダイヤモンド・ムーンサルトに挑戦したらどうだい?」
ダイヤモンド・ムーンサルトは貸しボート乗り場のすぐ近くにあった。さらにその近くにはクリスタル・フリーフォールを含めたアミューズメントがいくつかある。ボートの時間くらい余裕で潰せるだろう。
Wの一文字を頭に戴いているとはいえ、あくまでもこれはデートなのだ。従って、四人で楽しく遊ぶことが主目的ではない。カップルがより仲を深めることが、本来の意義である。ならば、ちょっとの間、別行動をしたって何ら不都合はないはずだ。
「ああ、OK。そうしよう」
一護も雨竜の意図を察したらしい。にっと笑って頷くと、織姫に、
「しばらく二人にしてやろうぜ」
と耳もとでこそっと囁いた。たつきを心配そうにみていた織姫は一護の言葉に、えっ? と顔を上げた後、視線だけで目まぐるしくたつきと雨竜を見比べた。織姫も、二人が交際を始めたばかりのほやほやであることを知っている。また、雨竜がお試し期間中であることも承知だ。今日のデートは雨竜を後押しするのが第一義の目的であることを、織姫は思い出した。
「そっか…。うん、そうだね! たつきちゃん、あたし、黒崎くんとダイヤモンド・ムーンサルトに乗ってくる! たつきちゃんは石田くんとゆっくりボートに乗ってて!」
急にテンションを上げた織姫を、たつきは呆然と見つめた。
ゆったりと水面を滑るボートに乗っても、まだたつきは浮かない顔をしていた。織姫は一護と共にダイヤモンド・ムーンサルトに駆けて行ったから、この憂い顔は織姫に対してではない。
(多分、僕に対しても罪悪感があるんだろうな)
と雨竜は思った。彼と二人でいるのが気づまりで元気がない、ということではないと信じたいところだ。
意を決し、声を掛けようと息を吸い込んだところで、
「石田、ごめん」
とたつきの方が一呼吸早く、言葉を発した。
「何が?」
「あたしのせいで、ダイヤモンド・ムーンサルト、乗れてないし、それに…」
唇を噛んで声を途切れさせたたつきに、
「僕はダイヤモンド・ムーンサルトより、有沢さんとボートに乗っている方が嬉しいんだけど?」
と雨竜は返した。
「気を遣わなくたっていいよ」
「遣ってない。本当にそう思っているんだ」
「でも…」
「好きな女の子と二人でボートに乗れて、嬉しくない男がいると思う?」
雨竜がそう告げると、たつきの顔が一気に赤く熟れた。
「…な…、え…?」
「『好きだから付き合って欲しい』って、言ったはずだよ」
「そ、それは…」
「それとも、有沢さんは僕と二人は嫌? 居心地が悪いんだったら、ボートを戻すよ」
「ちが…、違うよ。そうじゃない」
とたつきは狼狽えた。
「だって…、石田は遊園地は幼稚園以来なんでしょ?」
「うん。そうだね」
「だったら…、もっと…」
「有沢さんは勘違いしているよ」
「勘違い…?」
「別に絶叫系だけが遊園地の楽しみじゃないだろう? 黒崎や井上さんは明らかに絶叫系が好きそうだけど、僕は特に好きなわけじゃないし、だから、乗れなくて悔しいとか、がっかりとか、そういうのはないんだ」
「でも…」
雨竜はどう説明すれば彼女は納得するだろうかと、ちょっと思案した。
「そうだね…。絶叫系のアミューズメントは僕にとって、ケーキみたいな感じかな?」
「ケーキ?」
喩えがよく分からずに、たつきは戸惑った顔で雨竜を見返した。
「僕はね、洋菓子と和菓子なら断然、和菓子派なんだ」
「え…、うん?」
「ケーキが嫌いって訳じゃない。例えば、黒崎とか浅野くんとかのお宅にお邪魔して、お茶請けにケーキを出されたらありがたくいただくし、食べれば美味しいとも思う。だけど、ケーキと饅頭と好きな方を選べって言われたら、迷わず饅頭を択るし、ちょっと疲れて甘いものが欲しいっていう時に買うのも羊羹とか草餅とかなんだ。僕にとってのケーキは、好きか嫌いかの二択なら好きだし、食べれば美味しいとも思うけど、自分から積極的に食べたいってほどのものじゃないんだよ」
「…」
「絶叫系はそういう意味でケーキと一緒なんだ。嫌いじゃない。どちらかと言えば好きだと思う。だから、黒崎や井上さんに付き合って乗るのはやぶさかじゃないし、乗ればそれなりに楽しいとも感じる。でも、自分から積極的に乗りたいとは思わないんだ。こんなふうにボートでのんびりしたり、乗り物にしたって、さっきのジルコニア・フロウとか観覧車とかの緩い感じの方が、僕には性に合っている」
どうやら、納得したらしい。たつきの眸から申し訳なさそうな色彩が消えた。
「石田…、ありがと…」
ぽつりと呟いたたつきに、雨竜は微笑んだ。
俯いていたたつきが、まわりを見回した。
「お天気がいいから、水面がきらきら光って綺麗だね」
「確かに。『絶好の行楽日和』って今日みたいな日のことをいうんだろうね」
「あ、ねぇ。石田。あれ、一護たちじゃない?」
たつきが指差したのを見ると、丁度、フリーフォールの座席が支柱を上がっていくところだった。湖からだと、無論顔などは判別できないが、服装から推して、六人がけのシートの右端の二人は一護と織姫であるようだった。
「ああ、黒崎たちだ」
と雨竜も認めた。
「…織姫たち、さっき、ダイヤモンド・ムーンサルトに乗るって走っていったよね…」
たつきが呟いた。
「…連続宙返りの後、インターバルなしで垂直落下…」
雨竜も呆れの余り、声が少し虚ろになってしまった。
「…別行動にしたの、本気で正解だったかも…。インターバルなしは無理だ…」
くすっとたつきが笑い声を洩らした。
「お饅頭なら二個食べられても、ケーキ二個は胸焼けする?」
「ああ、まさにそれ」
雨竜の説明で、彼に対する罪悪感も払拭されたのだろう。たつきの表情は明るくなっていた。顔を上向かせ、燦々とした陽射しに心地よさそうにちょっと目を瞑った後、もう一度まわりを見回した。
「あっ!」
不意にたつきが大声を上げた。
「どうしたんだい?」
「今、すごく大きな魚が見えた」
「どこ?」
「あっち」
たつきが指した方に、雨竜はボートを寄せた。
「あ、いた! ほら、あれ!」
岸辺に近い、布袋葵が密集して繁っている少し手前に、黒っぽい魚がいた。確かに大きい。1m近いだろう。
「驚いたな、ここ、雷魚を飼っているのか」
「らいぎょ?」
「雷の魚と書くんだ」
「へえぇ」
「鱸の仲間だけど、完全な淡水魚だね」
「そうなんだ。じゃ、食べられるの?」
「食べられるよ。揚げ物とか鍋に使うことが多いみたいだね」
「詳しいんだね」
とたつきに感心されて、雨竜はちょっと得意な気分になった。
彼女はしばらく巨大な雷魚と咲き残りの布袋葵の花を眺めていたが、不意に真剣な顔つきになって、雨竜をまっすぐに見つめた。
「あのね、聞きたいことがあるんだけど」
「何?」
「石田さ、あたしのことを好きだって言ってたけど、どうしてあたしなの?」
「どうして…て?」
どのように返したものか答えあぐねている雨竜に、たつきは畳み掛けた。
「石田は織姫のことが好きだったんでしょ?」
ストレートに確認して来るところが、彼女らしい。
「好きだったよ」
と雨竜もあっさりと肯定を返した。彼が織姫に好意を抱いていたことは、はなからたつきに見抜かれていたのだ。否定するのは無意味である。
「だったら…」
「もしかして、身代わりとか、忘れる為に他の女の子と付き合おうとしているんだとか思っている?」
そう考えられていたとしたら心外なのだが、たつきはその心配をあっさりと蹴り飛ばした。
「そんなことは思ってないよ。石田はそんな自分勝手な理由で手近な女を利用するような卑怯な奴じゃないもん」
「ありがとう」
「…だからさ、何であたしなのかどうしても分からなくて、ずっと不思議だったんだ」
「うん」
雨竜は軽く呼吸を整えた。
「確かに僕は井上さんのことが好きだった。井上さんは黒崎しか見ていなかったし…、片想いだって
「振り向かせようとか考えなかったの?」
「少しは考えた。でも、井上さんの黒崎への想いは僕なんかの入り込む余地がないくらいに強かったし、それに、黒崎だって…」
「うん?」
「彼は鈍いからね。自分じゃ全然無自覚だったみたいだけど、僕や茶渡くんから見ると、どう考えても井上さんのことを好きだとしか思えなくてね。だから、黒崎が自覚すれば、すぐに両想いになるのは見えていたんだ。実際、そうなっただろう?」
「確かに…。自覚してからは割と早かったよね。一護はそっち方面じゃ全然へたれだし、織姫は後ろ向きでなかなか踏み出せないし、もっと掛かるかと、あたしは踏んでいたんだけど」
「…黒崎と井上さんが付き合うことになったって聞いた時、友人として良かったなと思った。でも、手放しで祝福出来たかというと、違う。黒崎が羨ましかったし、妬ましかった」
「うん、それは分かる。というか、羨ましくも妬ましくもないなんて言うなら、そっちの方が嘘だよ」
「だから、正直、あの二人の傍にいるのがかなり堪えた時期もあったんだ。けど…、有沢さん、僕のこと、結構、庇ってくれていただろう?」
たつきは軽く目を瞠った。
「当時は僕も一杯一杯だったから気が付かなかったけど、後から思い返すと、有沢さんは僕の気持ちを分かった上で庇ってくれたり、フォローしてくれてたんじゃないかって思い当たる節がたくさんあって…」
「…」
「有沢さんって、優しくていい
「…」
「あとはまぁ、ちょっとした、いいな、可愛いな、が雪みたいに積もって、積もって、雪崩を起こした感じだね」
真っ赤な顔で沈黙してしまったたつきを見遣りながら、雨竜は淡々と続けた。
「井上さんのことは今でも好きだよ。仲間として、友人としてね。だから、彼女には笑っていてほしいし、彼女が困っていて僕の手助けを必要としているならいくらでも力を貸したいとは考えている。だけど、井上さんが黒崎の傍で笑っていても、良かったと思いこそすれ、黒崎に対してもう妬ましさも恨めしさも感じない。それって、つまり、気持ちにケリが付いているってことだろう?」
「…うん、…そう…だね」
「女の子、という意味では、今の僕が気になってしょうがないのは有沢さんなんだ」
「…」
貸しボートの時間は三十分である。そろそろ戻ろうと、雨竜はボートを方向転換させた。たつきは頬を紅潮させたまま、黙りこくって俯いていたのだが、間もなく桟橋に辿り着くというところで顔を上げた。
「石田ってさぁ」
「何だい?」
「けっこう、恥ずかしいことを平気で言えちゃう人だったんだ…」
ぼそりと紡ぎだされた言葉。
雨竜は意味が分からず、首を傾げた。
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7周年記念リクエスト小噺 その5
リクエストは「雨たつでデート、または結婚話」。綾瀬さまからのリクエストです。
雨たつなんて、同人界広しといえども取り扱っているのは拙宅くらい…というか、完璧に拙宅捏造以外のなにものでもないCPです。誰得な話だよ、需要あるのか? と自己突っ込みを炸裂させながら「Flower,Flower,Flower」をUPしたのですが、これが案外に好評というか、可愛いというコメントをいくつかいただいておりました。予想外に受け入れられたことに気をよくしておりましたらば、今回、まさかのリクエスト。わーいと図に乗って書き始めた結果、前後篇に分けないと納まらない分量に膨らんでしまいました。
倉庫格納済の過去拍手お礼文「キャラなりきり回答・その4」に全くの思い付きで書いた、雨たつの初デートは一織とのWデートだったというネタ。ここで回収してきっちり再利用した地球に優しいエコな管理人(どこがだ?)でございます。
この初デート時点では、うりゅたんはたつきちゃんのことが好きですが、たつきちゃんはそうじゃないという気持ちにかなり温度差のある状態です。たつきちゃんにとって、うりゅたんは啓吾や水色やチャドと同列の仲間・友達。告白されたことでちょっと意識し始めて、頭一つ分くらいは飛び出したかもしれないけど、そこまで。まだ特別な男の子ではないというところからスタートしています。
実は、今回の話は意図的にうりゅたん目線で進行させております。たつきちゃんの気持ちとか考えが記述してあっても、それはあくまでも雨竜が推し量った彼女の気持ちであって、たつきちゃんが本当はどう感じたかは一切、書かないようにしました。同年代の男の子から女の子扱いされることに慣れていないたつきちゃんが、目一杯女の子扱いをするうりゅたんの言動にどう思ったか、たつきちゃんになったつもりで是非想像してみてお楽しみ下さい。これは惚れるだろう、とか、恥ずかしすぎて引いてしまう、とか。
後篇も近日中にUP…出来ればいいなぁ(願望)。もうしばらくお待ちください。