頑張れ、オトコノコ 〜後篇〜
レインボーランドの中のフードコートにマックが入店していたので、昼食はそこで取ることにした。雨竜はファーストフードの類を好まず、外食するにしてもハンバーガーショップに入ることはまずないのだが、遊園地のフードコートはどれもたいそうな店ではなかったし、レインボーランドには一番詳しい一護が、
「マックでいいか?」
と尋ねた時に織姫もたつきも頷いたので、雨竜も反対しなかった。
ハンバーガーやポテトを食べながら、園内地図を広げて午後の予定を検討する。
「ねぇ、小学生向けのジェットコースターがあるって言ってたよね。どこ?」
「ここ」
「そっか。じゃあさ、あんたと織姫がルビー・フォールに乗ってる間、あたし、これを試してみる。小六の時平気だったから、多分、これなら大丈夫だと思うんだ」
「おー、了解」
「石田、悪いけど、付き合ってくれる?」
「もちろん」
ということで、たつきは一護がいうところの「小学生向けジェットコースター」であるアドベンチャー・トレインに挑戦することになった。
「たつき。これが大丈夫だったら、ダークスペース・エキスプレスも乗ってみるか?」
「何、それ?」
一護の説明によると、レインボーランド内にある五つのジェットコースターのうち、最後のひとつがダークスペース・エキスプレスなのだそうだ。ジェットコースターは通常屋外に設置してあるが、このダークスペース・エキスプレスは屋内型で、巨大なプレハブドームの中にある。その上、コースターのコース自体が大きなチューブで覆われているのだそうだ。
「延々とトンネルの中を走っている感じなんだ」
「ああ、宇宙をイメージして暗くしてあるわけか」
「そういうこと。暗い上にチューブの中だからさ、先のコースが見えねえんだ」
通常の屋外型コースターの場合、コースは視認できる。最初に頂上に向かって登って行き、急降下に入るまでだって、頂上は見えているので、来るぞ、来るぞ、来たー!! という感じで急降下していくわけだ。しかし、ダークスペース・エキスプレスは先のコースが見えない為、急降下もいきなり来る。無論、カーブも突然だ。身構える間もなく左右に振れる。
「ま、その見えなくて突然っていうのが、スリルで結構面白いんだけど、ジェットコースター自体のレベルはアドベンチャー・トレインと大差ない。だから、アドベンチャー・トレインが平気だったら、多分ダークスペース・エキスプレスもいける」
ということだったので、彼等は絶叫組と小学生クラス組といったん別れた後、ダークスペース・エキスプレスの前で再集合することになった。
たつきはどうやら、ある程度以上のスピードがあって急降下するタイプのアミューズメント・マシーンが苦手なようだった。
だから、同じジェットコースターの括りに入っていても小学生・初心者向けに速度も降下角度も緩く設計されているアドベンチャー・トレインは平気だったし、もちろんダークスペース・エキスプレスも大丈夫だった。おっかなびっくりで乗ってみた回転するタイプのタンザナイト・ディスクも、
「高速回転するっていってもジェットコースターほどじゃなかったし、遠心力で押さえつけられる感じが却って安定してて怖くなかった」
とのことで、降りた時に三半規管が狂っていてちょっとふらついたくらいで、顔色は平常だった。
さすがに、高校生男子にはメリーゴーランドやコーヒーカップはハードルが高く、織姫リクエストのそのふたつは謹んで辞退してたつきと二人で乗って貰った。一護と雨竜は乗り物外から手を振るに留めたのだが、その他は回転ブランコも乗ったし、ミラーハウスやゴシックハウスのようなお化け屋敷・からくり屋敷系もなかなかに楽しめた。
最後に観覧車に乗って、レインボーランドを引き上げようということになった。観覧車は遊園地の最奥にあるので、そこを目指して歩いている途中、人だかりが出来ている一角を認め、織姫が首を傾げた。
「あそこ、人がいっぱい集まっているけど、何かあったのかな?」
「ああ、ステージがあるんだ。ウルトラマン・ショーとか戦隊もののショーとかの為の」
一護は腕時計に視線を走らせ、
「もうすぐ三時だからな。ショーが始まるから集まっているんだろう」
と続けた。
「多分、仮面ライダー・ショーだよ。入口に看板があった」
とたつきが補足した。
彼らがステージの傍を通り抜けようとした時、顔をぐしゃぐしゃにして泣いている幼稚園くらいの男の子と、目に涙をいっぱいに溜めた三歳くらいの男の子、そして、母親にしては若く見える女性が困惑顔で男の子たちの前にしゃがみ込んでいるのが目に入った。迷子かと思ったのだが、聞こえてきた会話でそうではないことが分かった。
「まーくんのせいだ! まーくんがおもらしするから…」
「ごめんね、翔くん。でもね、まーくんのせいじゃないよ。ゆみちゃんが気が付かなかったのがいけないの」
「うえぇぇ。かめんらいだー」
「ごめんね、ごめんね」
と女性は必死に謝って宥めようとしているが、「翔くん」と呼ばれた年長の方の男の子は泣き止まない。兄に責められて、下の男の子も今にも泣きそうなのに必死にこらえている様子だ。
何となく状況が推測出来た。多分、下の男の子がおもらしをしてしまい、その着替えの為にステージの席取りに出遅れたのだろう。ステージの周りに設置されたベンチシートは既に満席であることが、周りに人垣が出来ていることからも分かる。人垣は二重、三重になっているので、小さい子供ではステージはもう見えない。人垣の後ろの方では子供を肩車した父親もいるが、「ゆみちゃん」と自称していた女性は細身で華奢だったから肩車はまず無理だ。仮に見た目に反して力持ちだったとしても、二人ともというのはいくら何でも不可能に違いない。
一護と雨竜はどちらからともなく、目を見合わせた。合わせた後、傍らの少女たちを顧みると、織姫は分かっているよと言いたげに微笑み、たつきは、
「行っといで!」
と一護と雨竜の背中を押し出すように、両掌でパンっと軽く叩いた。
泣いている男の子たちのところに、二人は小走りで寄った。
「あの、良かったら肩車しましょうか?」
人当たりの柔らかな雨竜が、まず女性に声を掛けた。女性は突然降って来た声に驚いて顔を上げた。
「え? …え?」
彼女が事態を理解し、返事を返すよりも早く、一護は上の男の子の両脇に腕を差し入れて猫でも抱えるように軽々と持ち上げると、ぽすんと自分の肩に乗せてしまった。
「そりゃあ、男の子だもんな。仮面ライダー、見たいよなぁ」
男の子は突然高くなって開けた視界に茫然となって、涙も引っ込んでしまっている。
「ボクだって見たいよね」
雨竜が弟の方をふわりと抱き上げ、やはり肩に乗せた。
「ステージ見えるか?」
一護の問いに、翔くんが、
「みえる」
とまだ少ししゃくりあげていたのが残る声で呟くように返答した。
ようやく、事態を了解したのだろう。しゃがみ込んでいた女性が慌てて立ち上がった。
「あのっ。すみません。だけど、そんな…」
申し訳なさで狼狽える女性に、
「こいつら、体力だけは有り余ってるから気にしないでいいですよ」
とたつきが声を掛けた。
「え、でも…」
「大丈夫、二人とも力持ちなんです。黒崎くんなんて、すっごく重いあたしまで抱えられるんですよ」
にこにこと織姫が続けた。
彼女たちの存在で、デート中の学生が手を貸してくれたと理解ったのだろう。女性はますます困惑顔になった。
「でも…」
「というか、」
たつきは肩を竦めると、一護を見上げた。
「子供を口実に、あんたらが仮面ライダー・ショーを見たかっただけでしょ?」
「うっせ。仮面ライダーは男のロマンだ」
打てば響くように返した一護の返答に、
(敵わないな…)
幼馴染みの阿吽の呼吸を見てしまい、ひっそりと苦笑しながら、雨竜も相槌を打った。
「そうだね」
と。
「ね? こいつら、ショーを見るいい口実が出来たって喜んでいるんですから。全然気にしなくて大丈夫です」
「仕方ねえだろ。高校生ともなれば、仮面ライダー・ショーを見るにもオプションが必要なんだよ」
ステージではショーが始まったらしい。司会進行役の女性の、
「みんな〜、今日は集まってくれてありがとう!」
というマイクの声が響いている。先ほどまで泣いていた男の子たちは、見知らぬ少年に肩車されていることも忘れたかのようにステージに目を釘づけている。
子供たちがショーに夢中になっている間、織姫とたつきは女性と話をしていた。
妙に若かったこと、子供たちに対して「ゆみちゃん」と自称していたことから彼らが推察していた通り、彼女は子供たちの母親ではなかった。祐美というその女性にとって、連れていた子供たちは兄の息子、つまり甥なのだそうだ。祐美の兄は二年前に事故で亡くなっており、義姉がシングルマザーとして子供たちを育てているということだった。
「
仮面ライダーが大好きな甥を喜ばせたくて仮面ライダー・ショーのある遊園地に来たというのに、席取りが出来ずに、祐美は本当に困っていたらしい。何度も何度も、面映ゆいくらいに、彼女は、
「助かりました、ありがとう」
と繰り返した。
幼い時分に母親を亡くした一護と雨竜。両親の記憶を持たない織姫にとって、父親を失った子供たちの境遇は他人事とは思えなかった。弟のまーくんの方は、もしかしたら父親に肩車をして貰ったことさえなかったかもしれない。
ステージでは仮面ライダーが悪の組織と戦っている。死神代行の一護や
ショーは二十分ほども続いたろうか。仮面ライダーが敵を倒し、進行役のお姉さんの、
「仮面ライダー、ありがとう!」
の呼び掛けに、子供たちが大きな声で、
「ありがとー!」
と唱和した。むろん、翔くんとまーくんも精一杯の声援を送っている。ライダーが集まった子供たちに手を振って颯爽とステージから去って行き、BGMが切れたところで、一護と雨竜は男の子たちを地上に下ろした。
「ありがとうございました」
改めて、祐美が深々とお辞儀をした。それから、甥っ子たちに、
「ほら、翔くんもまーくんも、お兄ちゃんたちに言うことがあるでしょう!」
と促した。
「おにいちゃん、ありがとう」
「ありあとー」
兄に倣って、回らぬ舌でまーくんも礼の言葉を述べる。雨竜はそっとまーくんの頭を撫でた。
「お兄ちゃんと仲良くするんだよ」
「おう。ゆみちゃんを困らせたら駄目だぞ」
と一護も翔くんの頭をぐしゃぐしゃと撫でまわした。
別れ際、祐美はせめてものお礼にと数枚のチケットを四人に差し出した。都内の美術館や動物園などの施設の優待券で、デパート勤務の義姉からこの手の優待券は頻繁に手に入るのだそうだ。
「興味ないかもしれませんし、枚数が揃ってなくて申し訳ないんですけど…」
と差し出されたそれを、四人は礼を言って受け取った。
振り返っては手を振る男の子たちを見えなくなるまで見送った後、彼等は改めて観覧車に足を向けた。
「黒崎くんも石田くんもおつかれさま」
織姫がねぎらった。
「さすがに肩車二十分はきつかったでしょ?」
とたつきも労りの目を向けた。一護はむろんのこと、一見して細身で華奢な優男に見える雨竜も
「あー、二十分くらいなら別にどうってことないな。つか、俺は五歳児だったし。楽させて貰った」
一護の返答に、織姫とたつきは揃って首を捻った。体重からしたら、三歳児の弟より五歳児の兄を肩車する方がよっぽど負担が大きいはずだ。彼女たちの疑問に答えるでなく、一護は雨竜に話しかけた。
「石田、髪の毛、大丈夫か?」
「なんとかね」
「髪の毛?」
たつきが鸚鵡返しに尋ねた。
「翔くんは、ちゃんと俺の頭につかまっていたんだけどな」
と一護が笑いながら解説した。
「まーくんの方、石田の髪の毛を両手で掴んでいたんだよ」
「…あ…」
「しかも、ショーに夢中になって興奮してきたら、髪をぎゅうぎゅう引っ張っててさ」
「あー…、それは…」
「ショーの最後の方なんか、石田、涙目になってたよな」
「三歳だから、手加減とか出来ないからね。あれはさすがにかなり痛かったよ」
と雨竜は苦笑した。
「石田、災難だったね」
たつきが半笑いで、彼の背中をぽんと叩いた。
「毛根、傷んだんじゃないか? 将来、禿げるかもな」
一護がにやにやと笑いながら言った。
「うちの家系に禿げはいない」
雨竜は反論した。祖父の宗弦はロマンスグレーで老年でもふさふさの髪をしていた。生物学的な父親である竜弦も今のところ、禿げの兆候は全くないと主張する彼に、
「でも、石田くんなら、禿げても綺麗だよ、きっと。ファンシイ・ダンスのお坊さんみたいで」
と織姫が言い出した。途端に、ぷっとたつきが噴き出した。よほど受けたのだろう。織姫の肩に掴まって、顔を俯かせて肩を震わせている。
「井上、何だ? その…ファンシィ…?」
「ファンシイ・ダンス。岡野玲子さんの漫画なの。主人公がお坊さんでね。石田くんみたいに綺麗な顔をした美形のお坊さんが出て来るんだよ」
織姫は悪意ゼロの無邪気な笑顔で言ってのけた。
「井上、その漫画、持っているのか?」
「うん。持っているよ」
「今度、見せてくれ」
未だ笑いの発作が治まらずに肩を震わせているたつきを見下ろしながら、一護が織姫に頼み、雨竜は憮然として一護を睨んだ。
「見てどうするつもりだい?」
「いやあ。こんだけ、たつきが受けてるし。石田に似てるのか、ちょっと確かめてみたいと思って」
しらっと一護が言ってのける。
「…ごめ…、石田…、ごめ…ん。だけど、…うん」
たつきが言葉を挟んだ。
「確か…に、石田…なら禿げても…、似合うよ…。ぜっ…たい、…綺麗…だと思う」
好きな女の子から、禿げても似合うと言われて喜ぶ男がいるだろうか。しかも、笑いの発作で震えながら。これは怒ってもいいような気がしたが、惚れた弱味で雨竜はたつきを責められない。はぁ、と溜息をついた雨竜の肩を一護が叩いたので、こちらは遠慮なしに思いっきり睨みつけてやった。
観覧車というのは、恋人同士にはロマンチックな舞台装置である。
レインボーランドの観覧車は一周するのに二十分強の時間を要する巨大観覧車だった。観覧車への道すがら、ここは二組に分かれてカップルで乗ろうと、一護と雨竜は無言のうちに協定を結んでいた。しかし、その目論みはあっさりと崩れ去った。
織姫とたつきが手を繋いでさっさと一つのゴンドラに乗り込んでしまったのだ。そうなると男性陣も同じゴンドラに乗らざるを得ない。ゴンドラは定員六名だから四人で乗っても問題はないのだが、二十分強の彼女との空中遊覧を思い描いてた十代の男の子にはなかなかにやるせない結果だ。
彼氏の思惑も苦悩も知らず、少女二人は開けていく風景に歓声を上げていた。
「あ、あれ、駅だ」
「電車から見えた
「あれは神社かなぁ?」
「大きな木があるからそうじゃない?」
「あそこ、おおきな池がある!」
それでも、キラキラと眸を輝かせて窓外に広がる景色に声を弾ませている彼女を見て、和まない男もいないわけで。
(可愛いな)
と頬が緩みそうになる。これが彼女と二人っきりならば遠慮なくデレられるのだが、あいにくと同性の友人の目があった。男のプライドに賭けて、一護は口周りの表情筋を引き締めているようで、眉間に皺の寄った仏頂面になっているし、雨竜は雨竜でポーカーフェイスを崩すまいと必死の努力を続けていた。
ゆっくりと半円を上り詰めたゴンドラが最高部に到達した。天気が良いので望める富士山に織姫が感嘆の声を上げ、たつきが、
「ほんと、お天気が良くて良かったね。日頃の行いかな?」
と雨竜と一護を顧みた。
「誰の行いだよ?」
「もちろん、あたしと織姫と石田」
「何で俺が入ってねえんだよ」
憮然とした一護に、
「黒崎くんだって、日頃の行いはいいよ!」
と織姫がフォローを入れる。
織姫は窓辺に張り付いていた為にちょっと浮き気味だった腰を座席に落ち着けると、
「あたしね、観覧車に夢があるんだ」
と唐突に呟いた。
「夢?」
怪訝にたつきが問い返す。
「うん。あのね。おばあちゃんになった時に観覧車に乗りたいの」
「?」
全員の視線が不思議そうに織姫に注がれる。
「高校を卒業して、大学に行って、就職して、それから結婚するでしょ?」
「うん」
「子供が産まれて、その子供も大きくなって孫が産まれて、あたしがしわくちゃのおばあちゃんになった頃にね、同じようにしわくちゃのおじいちゃんになった旦那さんと一緒に、観覧車に乗って夕焼けを見たいの」
雨竜も、たつきも、一護も、咄嗟に言葉を返せなかった。その未来図はまるで映画のワンシーンのように、一幅の絵画のように、彼等の胸で鮮やかに映像化されたのだ。
「…変…かなぁ?」
「変じゃない。すごく素敵な夢だと思うよ」
たつきが熱の籠った声音で返した。
「そう?」
「うん。あたしも乗ってみたいな。しわくちゃの旦那と手を繋いでさ」
「たつきちゃんが賛成してくれて良かった」
「その為には高所恐怖症じゃない男の人を旦那にしなきゃだね」
「あー、そっか」
雨竜には織姫がほんの一瞬、一護の横顔に視線を走らせたのが見えた。きっと、彼女の脳内映像ではおばあさんになった彼女自身と年老いた一護が寄り添い合って観覧車のゴンドラに乗っているのだろう。そして、織姫の隣りで一護も、ほんの僅かにであるが頬を赤らめていた。おそらく、似たり寄ったりな想像したに違いない。
高校生という年齢は結婚を具体的に意識するには、いささか若すぎるかもしれない。だが、法律的に結婚が保証されている年齢でもある。現に交際中の好きな相手がいる時、その相手との結婚を漠然とでも想像しないということはないのだ。実際、織姫の夢を聞いた時、雨竜の脳内に映像化された老夫婦は、自身とたつきの未来像だった。一護と同様に、自分も少しばかり赤面していると雨竜は自覚していた。
(有沢さんは…)
彼女も少しは想像しただろうか。年老いた自身とその傍らに寄り添う夫のことを。その想像上の夫のイメージの中に欠片でも自分が紛れ込んでいて欲しいと、雨竜は願った。
電車の規則的な揺れが眠気を引き寄せたのだろう。四人がけのボックス席で、織姫は一護の肩に凭れてくうくうと安らかに眠っていた。そして、凭れられた一護も腕組みした姿勢で首だけでこっくりこっくり舟を漕いでいる。
「石田、今日はありがとう」
向かい合う席の二人を起こさないように潜めた声で、突然に礼を言われ、雨竜は目を
「何が?」
「あたしがジェットコースターが駄目だったから…。石田、気を遣ってくれたでしょ?」
「そうでもないよ。ボートでも話したと思うけど、僕はジェットコースターみたいなのは積極的に乗りたいわけじゃないしね。むしろ、それを口実に二人で行動出来たからラッキーだったと思っているけど?」
たつきが織姫や一護と同様に絶叫系を楽しめるタイプだったなら、今日一日、四人は別行動することなく共に過ごしただろう。思いがけず二人きりの時間を持てたのだから、たつきには申し訳ないが、彼女がジェットコースターが苦手であったことに雨竜は感謝したいくらいの心持ちだった。
「それより、僕は有沢さんに訊きたいことがあるんだ」
「…何?」
「…その…、今日、僕と一緒で嫌じゃなかった? ちょっとは楽しいとか思ってくれたのかな?」
「楽しかったよ、すごく」
とたつきは
「石田が和菓子好きだとか、色々と今まで知らなかったことも分かったしね」
「そうか…」
雨竜は膝の上でぎゅっと拳を握り込んだ。ぼくばくと心臓が煩い。
「じゃあ、また一緒に出掛けて貰えるかな…。その…、今度は二人…で…」
最後はみっともなく語尾が震えてしまった。だが、清水の舞台から飛び降りる勢いで口にした雨竜の誘いは、呆気ないほどにあっさりと、
「いいよ」
と受け入れられた。
「あたし、今度は水族館に行きたいかな」
しかもデート先まで、たつきは気軽に口にした。
「石田は魚のことに詳しいみたいだから、一緒に行ったら色々と解説して貰えそうだし」
「別に詳しくはないけど?」
何を根拠に彼女が「魚に詳しい」と言い出したのか分からずに、雨竜は困惑した。
「だって、雷魚のこと、すらすら解説してくれたじゃない。だから、詳しいのかなって」
「あれは、図鑑の受け売りだよ」
「でも、図鑑の内容をきっちり覚えているってことでしょ? すごいよ」
とたつきは再び微笑った。
「祐美さんに貰った優待券の中に、ちょうど水族館のが混じってたんだ。だから、次は水族館に行こうよ」
「うん」
二人で出掛けることを拒否されなかったこと、むしろ積極的に「水族館に行こう」と提案されたことで、雨竜は胸がいっぱいになった。せり上がってくる安堵と歓びを呼吸を整えて抑えていると、不意に左腕に重みが掛かった。たつきもまた、睡魔に捕らわれて、雨竜に凭れかかって眠り込んでしまったのだ。
「 」
無防備に身体を預けて来るたつきの顔をしばし見下した後、雨竜は次に、斜め向かいで眠り込んでいる一護をまじまじと穴の開くほどに見つめた。
(黒崎が特別図太いんだろうか? それとも、慣れたら、彼女に凭れられても平気で居眠り出来るようになるんだろうか?)
少なくとも今の僕には無理だ、と雨竜は独り言ちると、たつきが楽なように身体の位置を微調整しながら、早鐘を打つ左胸をそっと押さえた。
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7周年記念リクエスト小噺 その5
「雨たつ初デート(一織とW)」の後篇です。
うりゅたん、次のデートの約束を取り付けることに成功。おそらく、好感度も赤丸急上昇した模様です。
今時の高校生がどんな感じかはちょっと分かりかねるのですが、自分が高校生だった頃を思い出しつつ(何年前かは追及厳禁)、甘酸っぱい感じを目指しました。
大人日乱とかギン絢の成熟した関係も良いですけど、イヅ桃とか一織とか雨たつの甘酸っぱいような、お尻がむず痒いような青臭さも青春って感じで微笑ましいなと思います。
今回は割とさくさく完成に持ち込めた気がします。取りあえず、これにて完結。綾瀬さま、納品です。