月だけが見ていた


 鬼道で弾き飛ばされ、地に叩きつけられた。
 だが、すぐにギンは立ち上がった。
 右脇腹から血を滲ませながら、ぜいぜいと息を切らせながら、ギンは観音丸を再び構えた。
 正面から自分を睨み据える少年の姿に、死神の表情に焦りが浮かんだ。いくら霊力があるとはいえ、たかだか人間の子供にこれほどてこずると予測していなかったからだ。子供の拉致を命じた上官は無能な者に容赦がなかった。人間に退けられ、目的の子供を連れずに帰ったら、確実に無能の烙印を押される。それだけは、避けねばならなかった。
 それに、長引けば、現世駐在の死神・今井喜十郎に感づかれかねない。子供の屋敷と江戸城を挟んで反対側の、はるか離れた地点に虚を出現させることで彼の目を逸らす工作をしているが、拉致に手間取れば、今井は虚の始末をつけてしまう。そうなれば、この戦いで発散されている霊圧を探知し、不審を覚えるだろう。彼らの計画と係わりのない今井に、気取られるわけにはいかなかった。
 目の前の少年は、怯むということを知らないかのようだった。死神の斬魄刀に傷つけられても、鬼道に撃たれても、起き上がり、立ち向かってくる。
 一方、ギンは正面から向かっていっても埒が明かないことを悟っていた。さすがに、死神というべきか、観音丸は死神に浅手を負わせるのが精一杯だった。対して、ギンが負った痛手は深い。
 死神は本質的には幽霊と同じである。霊体である死神に対して、この世の刀である観音丸は、本来ならばすり抜けるばかりで傷ひとつ与えることは出来ない。死神に浅手を与えたのは、観音丸の刃に乗せたギンの霊力だった。陰陽師として、ギンが攻撃呪術を教わり始めたのは最近のことである。霊力は強くても、彼が遣える術の手数は限られている。この為、最も慣れていて、術としても単純な剣による攻撃を繰り返していたのだが、
(あかん、このままやったら負ける。何か、策を練らんと…)
 死神が焦っているのは、ギンにとって好機だった。焦りは隙を生む。
(そうや!)
 右手で観音丸を構えたまま、ギンは左手で早九字を切った。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・前・行! 臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・前・行! 臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・前・行!」
 続けざまに九字を切り、霊気の塊を死神の周りに爆雷のように放つ。
 砂が舞い、土煙が立ち、死神の視界を消した隙に、ギンは自分の気を隠した。
 体を低くして、死神の斜め後ろに廻り込む。
「はぁぁ!!」
 死神の体を観音丸の切っ先が捉えた瞬間に、霊力を刃に注ぎこんだ。
 同時に、彼の左肩に熱が走った。
 死神の斬魄刀がギンの左肩、心臓の少し上のあたりを貫通したのだ。
 見下ろした死神の目と、見上げたギンの目が合った。
 ギンは符呪を唱えた。
「我が刀は天帝の禁刀。此れ百錬の刃なり。一度ひとたび下せば、鬼を祓う。二度ふたたび下せば、疫神去る」
 刃に宿す霊気を極限まで高める「禁刀呪」に、観音丸の刀気が応える。
「馬鹿な…」
 死神の両眸が見開かれた。
「悪しきものよ、速やかに去れ!!」
 残された全ての霊力を籠めて、ギンは死神に突き刺さった観音丸を抉るように捻った。更に力を込めて刃を押し込み、もう一度、死神の体を抉ると、観音丸の柄を握り締めたまま、大きく一歩、後退した。
 死神の体から観音丸が抜き放たれ、同時に、ギンの肩を貫通していた斬魄刀も抜けた。途端に血が迸り、ギンの左半身は月の光にぬらぬらと反射した。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・前・行!!」
 気力を振り絞り、観音丸による傷口に向けて、九字の霊気を撃つ。
 まさかに人の子供に刺されるとは想像だにしていなかったのだろう。呆然と立ち尽くしていた死神の腹にギンの霊気が命中した。
 死神の体が仰向けに地に転げる。すかさず駆け寄ったギンは、渾身の力で、観音丸を死神の胸に突き立てた。
 死神の肺に、血が溢れた。
「…馬鹿…な…。こんな馬鹿な…」
 醒めた眼で見下ろす少年の顔が、上官の顔にだぶった。
「お許し…下…さい…。…あいぜん…さま…」
 がくり、と死神は力尽きた。
 直後、ギンもまた力尽き、地面に崩れるように座り込んだ。
 死神と自身の血に塗れて真っ赤に染まった観音丸を、ギンは抱きしめた。
「おおきに…な、観音丸。もうちょっと、頑張ってや」
 夜着の右袖を引きちぎると、細く裂いて、晒しの代わりに左肩にきつく巻き付け、止血とする。帯を脇腹の傷の上でぎゅっと結び直し、それから、ギンは立ち上がった。
「絢女…」
 無事に大婆さまのところに辿り着いただろうか。冬獅郎を匿って貰えただろうか。
 全速力で絢女の許に駆けたいのに、体中に負った深手がそれを許してくれなった。
 たった半里の道のりにどれほどの時間がかかったのだろう。間もなく、大婆さまのいる林に辿り着くという時、ギンは立ち竦んだ。
 林の形が変わっていた。
 木々がほとんど薙ぎ倒され、ギンが立っている位置からは見えない筈の大婆さまの姿が月明かりに浮かんでいた。
「嘘…や」
 もつれる足を叱咤して、大婆さまの許に駆ける。木々が倒された為に開けた地に獣が群れているのを、ギンは見た。
 それが野犬であること、何かを貪り喰っていることに気付き、彼の背筋が凍る。野犬のうちの一匹が頭を上げた。口許に滴る血を目の当たりにし、反射的に、
ね!」
とありったけの霊力を、彼は野犬にぶつけた。弾き飛ばされた野犬も、直撃をまぬかれた獣も、尻尾をだらりと下げ、惨めな鳴き声を残して、その場から逃げ出していった。
「…あや…め…」
 ギンが見たのは、無惨にはらわたを喰い散らされた絢女の亡骸。
 そして、彼女の胸に縋りつくように息絶えている、小さな冬獅郎の銀色の髪。
「…嘘や」
 ギンはけだものの咆哮を聞いた。
 凄まじい大きさで吼え狂うその声が、獣のものではなく、自身の慟哭だと、彼は気付かなかった。泣いていることさえ、分からなかった。
「絢女、絢女! 絢女! 絢女ぇ!!」
 ただ、絢女を抱きしめて、その名を呼び続けた。下肢を失った彼女の体は、陶器の人形のようにひんやりと冷たく、かちかちに強張っていた。
「絢女、絢女!」
 どんなに呼んでも、彼女は応えない。それはむくろで、最早、絢女ではなかった。
 泣いて、泣いて、流す涙さえ失って、ギンは顔を上げた。
 目の前に大婆さまの巨大な幹があった。
「何で…」
 ギンは訴えた。
「何で匿ってくれへんかったん? 何で!? 何で    !?」
 風もないのに梢が震えた。
     ごめんよ、ごめん…
 初めて聞いた。霊木の声を    
 深い悲しみと、悔恨の嘆きを    
「大婆さま…」
 この時、ようやく、ギンは気付いた。まるで、落雷の直撃を受けたかのように、大婆さまの幹はまっぷたつに裂けていた。
 ゆっくりと、ギンは立ち上がった。
 もう、この場のどこにも絢女はいない。冬獅郎もいない。あるのは、単なる肉塊に過ぎなかった。それでも、その肉塊は、かつては絢女であり、冬獅郎だったものだ。脱け殻でしかないとしても、野犬ごときが汚すのを許すわけにはいかなかった。
 大地に張った根っこごと倒されて、根をギンに向けている木があった。その木がかつて立っていた場所が窪みになっていた。ギンはそこに絢女の体を引きずっていった。窪みの底に、そっと彼女を横たえると、冷たく凍えた頬に頬擦りをした。
「かんにん。護れへんで…」
 どうして、彼女を先に行かせてしまったのだろう。
 どうして、離れてしまったのだろう。
 どうして…。
 後悔は汲めども尽きぬ泉のように沸き出でてくる。だが、どれほど悔やんでも、嘆いても、絢女は戻っては来ない。
 見開かれたままの琥珀の瞳を、ギンはそう、と閉じてやった。
 窪みから出て、今度は冬獅郎を抱えようとして、    出来なかった。
 重くて。重くて、重くて、重くて、どうしても持ち上げられないのだ。
「何で…」
 ギンは呟いた。
「何で、若さん、こない重いん?」
 山浦道場からの帰り道、ねだられて連れて遊びに出かけた帰り道、疲れて眠ってしまった冬獅郎をいつも負ぶって帰った。高いところにあるものが見たいと、触れたいと、せがまれて抱き上げたことだって数え切れない。一度だって、重いなどと感じたことはなかったのに、今、小さな体はかつてない重みでもって、ギンを責めていた。
「かんにん…。ほんまに、かんにん」
 冬獅郎がギンを「護る」と言ったように、ギンもまた、この小さな若君を護りたかったのに。
 ずるずると、冬獅郎を引きずって窪みに運び、姉の傍らに横たえる。それから、周りの土くれを窪みに落とし、二人の体を埋めていった。土と枯葉で完全に二人の体が覆い隠されてから、ギンはがっくりと膝をついた。そのまま、前のめりに倒れたのを、最後の力で体を返し、仰向けに横たわった。
 目の前に月があった。
 西に傾き始めた十四夜の月が、ギンを見下ろしていた。
 自分も、もう助からないことを、彼は悟っていた。
 死ぬことに恐怖は感じなかった。今井喜十郎は、人は死んだら尸魂界に行くのだ、と言っていた。死神の本拠も尸魂界にあるのだと。絢女と冬獅郎は死神に殺された。死神に狙われていた冬獅郎の魂魄は、尸魂界に連れ去られてしまったに違いなかった。絢女は、弟とともに捕らえられてしまったか、それとも、攫われた弟を追いかけていったのか…。どちらにせよ、行き先は尸魂界だ。
 死んで尸魂界に行くのなら、絢女がいる。彼女がいる場所に行けるのなら、死ぬのは少しも怖くなかった。
 ただ…。
「恭之介、三千代、ごめんなぁ」
 最後まで目くらましを解く勇気は持てなかった。けれど、もしかしたら、あの二人なら、あるがままの自分を受け入れてくれそうに感じていた。いつか、目くらましを解けたらと、本気で願っていた。
 たくさんの約束をしていた。恭之介から算学の解き方を教えてもらう約束。鷲一郎に願って、恭之介に屋敷の書庫を見せる約束もしていた。貴重な本が多くあると聞いて学問好きの恭之介は目を輝かせていたのに、果たせなかった。三千代は間もなく行われる祭りで奉納相撲の力士に選ばれた、と言っていた。試合を見に行くと、応援に行くとゆびきりまでしていたのに、この約束も守れない。
「山浦先生…」
 穏やかな人だった。ギンの銀色の髪にも、木賊色の目にも動じず、綺麗な色だと笑ってくれた。いつもギンを気にかけてくれて、剣術以外にもさまざまなことを教わった。
「お館さま…、義父上、義母上…」
 愛してもらった。
 産みの親からさえ捨てられ、疎まれたどこの誰とも素性の分からぬ子供だったのに、いくばくかの銭でも与えて追い出したとしても誰も咎めぬのに、懐に入れてぬくめてくれた。
「ギンは心が強い。賢い子だ」
 鷲一郎に誉められたくて、少しでも早く、彼の役に立つ人間になりたくて、学問も、剣術も、呪術にも打ち込んだ。信頼してくれているのが嬉しかった。どんな時も、彼はギンを否定しなかった。
「何で、うちの子供に産まれて来ィへんかったん? うちの子ォに産まれとったら、いっこもつらい思いなんてさせへんかったのに。旦那さんから叱られるくらい甘やかして、大事に育てとったのに」
 市丸の家に養子に入った日、ギンをふんわりと抱きしめて、佐和は言った。
「今まで、寂しい思いばっかり味おうてきたんやもん、これからはええ思いをせな」
と、彼女はギンをひたすらに甘やかした。似合いそうな反物があったと着物を縫い、出かけると告げればいそいそと弁当を準備し、友達と甘いものでも食べろと小遣いを握らせ、佐和はギンに無条件で甘やかされる心地よさを教えてくれた。
 養父の主計も、佐和とは違ったやり方で、ギンを甘やかした。一刻も早く市丸の嫡男に相応しくなりたいと焦るギンに、子供でいろと、ゆっくりと大きくなればいい、と諭してくれた。
「俺も佐和も、何年、息子を捜してたと思う? やっと念願の息子が出来たってのに簡単に大人になられちゃ、楽しみがねぇじゃないか。さっさと大人になるような親不孝はするな。しばらくは子供でいて我儘を言っていろ」
という言い方で、未熟であることを許してくれた。主計の大きくてごつい掌で、ぐしゃぐしゃと髪を掻きまわすように撫でられるのが、ギンはとても好きだった。
 愛された。愛してもらった。
 それなのに、何ひとつ、返せなかった。
 大きくなって市丸の家を継いだら、生涯を賭けて忠誠と孝養を尽くし、恩に報いるつもりでいた。けれど、何も返すことが出来ないまま死んでいくことが、そのことだけが悔しかった。
「姫さんと若さん、護れへんでごめんなさい…」
 護れ、と命じられていたのに、頼む、と託されていたのに、むざむざと死神の手に渡してしまってごめんなさい。
 けれど、きっと捜し出すから。助け出すから。
「忘れたら、あかん…。『あいぜんさま』や」
 闘った死神の最期の言葉が、絢女を、冬獅郎を、奪った者の名をギンに教えた。冬獅郎はあいぜんさま・・・・・・の許へ攫われた。絢女は連れ去られたのか、追っていったのかは分からないが、あいぜんさま・・・・・・を目指せば巡り会えるはずだ。
 月が滲んだ。
 その光の中に、絢女の笑顔が見えた。
「ギン」
と、彼を呼ぶ、優しい声が聞こえた。
「…絢女…」
 絢女に向かって、手を差し伸べようとして叶わなかった。もう、指先をぴくりとさえ、動かせなかった。
 不意に月が掻き消え、ギンは無間の暗がりに投げ出された。

 誰にも看取られることなく、ひとりぼっちで冷たくなってゆく少年の骸を、ただ、月だけがいつまでも見守り続けていた。

 ----------------- 《 了 》 -----------------

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2009.05.16