呪いの行方


 技術開発局の正門を抜けてすぐに、三間ほど離れたところに佇むギンを認め、姉弟は足を止めた。ギンもまた、二人に気づいたらしく、軽く手を挙げて合図しながら近づいてきた。
「何か用か?」
 努めて素っ気なく冬獅郎が問いかけると、
「姉弟揃って、技術開発局に何の用なん?」
と逆に質問を返された。
「てめえには関係ねぇ」
 冬獅郎は応じたが、ギンは堪えたふうもなく、表面上は飄々ととぼけた表情を崩さずに、
「乱菊に何かあったん?」
とさらに切り込んできた。
「何でそう思う?」
「今朝の隊長格会議の時、様子がおかしかったからなァ」
 ギンの言葉に、よく観察していると、心の中だけで冬獅郎は舌を巻いた。ギンにとって、乱菊は絢女とは別の意味で大切な女性なのだと改めて感じたものの、彼に乱菊の身に起こったことを伝えていいものか、冬獅郎には判断がし兼ねた。冬獅郎が姉を窺うと、
「立ち話で話せることじゃないわ」
と絢女は先を濁した。
「ああ、そうだな」
「乱菊にも話しておきたいし。乱菊は今?」
「西修練場だ」
「そう。じゃ、乱菊を迎えに行ってそれから…。十番隊の執務室でいいかしら?」
「ああ。構わねぇ」
 冬獅郎はそのまま十番隊の西修練場の方角に足を向けた。絢女とともに当然のような顔つきでギンが付いて来たが、咎めたりはしなかった。
 他隊の隊長までもが迎えに赴けば一般隊士の不審をかってしまう為、絢女とギンは修練場の少し手前で待つことにして、冬獅郎が一人で乱菊を連れに行った。やがて、冬獅郎に伴われて来た乱菊は、絢女らの姿に目を丸くした。
「たいちょ」
 こそ、と乱菊は抗議した。
「絢女たちには内緒にってお願いしたのに」
「状況が変わっただろ?」
 しれっと冬獅郎は答えた。
「それに俺が相談したのは姉さまだけだ。市丸はおまえの様子がおかしいことに感づいて、あいつの方から来たんだ。俺がばらしたんじゃねぇ」
 乱菊は不満気であったが、さすがに絢女らの前で詰ることも出来ず、むっとした表情のまま歩き出した。
 十番隊の執務室に戻ると、冬獅郎は人払いを命じた上で、絢女とギンを招じ入れた。冬獅郎と絢女の間に流れる緊張感に、乱菊もいつの間にか不満顔が消え失せ、代わりに不安が面に広がっていた。
「まず、経緯を説明する」
と、冬獅郎はギンに対して乱菊の身に起こった怪異を説明し、乱菊に対しては同じくらいの刻限にギンもまた、夢魔に魘されたことを語った。鏡花水月の消失という新たな不安因子もあって、絢女に相談したこと、彼女が気になることがあるからと技術開発局を訪ねたこと。そして、乱菊の義骸が消え去っているのが確認されたことを説明すると、ギンは表情をあらためた。
 はっきりと怯えた眸になっている乱菊を視界の端に入れながら、
「絢女、どういうこと?」
とギンは尋ねた。
「呪詛」
 ほつりと絢女は答えた。
「は?」
「呪詛の可能性を考えたの」
「呪詛て…」
 ギンが思案顔になった。冬獅郎も意表を突かれた様子で姉を見返している。
「絢女」
と乱菊が必死な表情で反論を試みた。
「尸魂界で呪詛は出来ないはずよ」
「そう言われているわね」
 絢女も応じた。
 現世で広く理解されている呪詛は「呪い」をかけることによって相手に不幸をもたらしたり、場合によっては死に至らしめることだとされている。基本となるのは呪う相手に対する強烈な憎悪だ。だが、尸魂界で解析された現世の「呪い」は、念によってもたらされるものではないと結論付けられている。現世に生きる生命体は器子から構成される肉体と霊子からなる魂魄の二重構造になっているところにポイントがある。肉体と魂は因果の鎖によって深く結びついており、肉体が受けたダメージは魂魄体にも跳ね返る。また、かつて死神代行であった黒崎一護が死神化して活動中に受けたダメージが自らの肉体に戻った際に顕在化していたことからも分かるように、魂魄体の受けた損傷も肉体に還るのである。
 呪詛とは呪う相手の魂魄体にダメージを与えることにより、肉体に損傷をもたらす行為なのである。そして、魂魄体に攻撃できるのは同じ魂魄体だ。呪詛というと真っ先に思い出される丑の刻参りは、本質的には一心不乱に呪うことで幽体離脱を起こしやすい状態にするという、ある種の技術理論なのだ。とはいえ、滅多なことで幽体離脱は出来ないから、たいていの場合、丑の刻参りは何の効果ももたらさないままに終わる。ただし、本人にある程度の霊力の素養があり、呪う一念が強ければ幽体離脱に成功するケースもありうる。その場合、自らの肉体から幽体離脱した呪者は対象の相手の許に赴き、無防備な霊体に攻撃を加えることによって呪を完遂するのである。
 他に「蠱毒厭魅こどくえんみの法」といわれる呪詛の方法も知られている。虫や蛇などを複数体狭い箱などに閉じ込めて共喰いをさせる。そうして生き残った最後の一匹を殺すことで、呪者が使役できる式神を人為的に作り上げるのだ。式神は魂魄体であり、主となった者に呪縛されている為、命じられるままに憎い相手の魂魄を痛めつけ、喰らうのだという。だが、この呪法で創られる式神は最初から虚化しており、術者によほどの知識と霊力がない限り、主になって使役するどころか、逆に喰らい尽くされるのがオチである。実際、ろくな霊力もないくせにこの呪法に手を出して使役するはずだった式神もろとも虚化した人間を、死神たちは幾度も討伐してきたものである。
 丑の刻参りにせよ、蠱毒の法にせよ、結局、呪を完成させるのは魂魄体への直接攻撃である。魂魄体の損傷が肉体にはね返るからこそ、現世の呪詛は可能なのだ。
 だが、尸魂界に生きる者は魂魄だけの単一体である。従って、ダメージを与えるのには直接攻撃しか方法はないのだ。それ故、尸魂界では呪詛は出来ないとされている。例外的に、死神が義骸の中に入った状態の時に義骸が損傷すれば、死神の霊体もそれなりのダメージを受けることはある。だが、それは義骸という肉体と霊体が一時的に結合しているが為に発生する事象だ。死神が義骸から抜けた状態で義骸にいくら攻撃を加えようと、死神は痛くも痒くもない。義骸は仮の器に過ぎず、死神の霊体と深く結びついているわけではないからだ。
「絢女」
 今度はギンが呼びかけた。
「乱菊の義骸が失うなとって、絢女が呪詛を疑っとうということは、どういう方法を使たんかは分からへんけど、義骸と乱菊とが繋がっとう可能性がある、いうわけやね」
「まさか、とは思ったわ。でも、実際、乱菊の義骸はなくなっていたの。その可能性は考慮すべきでしょうね」
「それじゃ、もし、義骸を滅茶苦茶に壊されたら、」
 不吉な予感に冷や汗を感じながらの冬獅郎の問いかけに、
「どの程度の繋がり方かにもよるけど、乱菊も無事ではすまない…。多分」
と絢女は全くありがたくない託宣を告げた。
「人間の身体と魂魄みたいに因果の鎖で密接に繋がっているわけではないから、まともにはね返って来るとまでは思えないけど…、だけど…」
「乱菊には痣が出来た」
とギンが引き取った。
「殺す気ィで首絞めたのに痣だけやったとしたら、そこまで強い結び付きとは言えへんなァ」
「殺す気で絞めたのならね」
 そう、何も分からないのだ。
 乱菊の義骸が呪詛に使われているという絢女の推測が正しいと仮定しても、誰が乱菊を呪っているのか、どういう手段を用いて義骸と乱菊を結びつけたのか、そして、一番重要な義骸と乱菊がどの程度の強度で繋がっているのか、何も分からない。
 分からないということは対策の立てようがないということを意味している。
「姉さま。乱菊を護る為に俺は何をすればいい?」
 冬獅郎は尋ねた。陰陽師の家に生まれたとはいえ、ごく幼いうちに尸魂界に送られた彼には現世の陰陽道の知識がほとんどなかった。書物などで得た知識はあるが、それだけだ。身についているわけではない。一方、姉の絢女はそれなりの呪術を血肉として身体に叩き込まれた状態で尸魂界にやってきた。冬獅郎を楠の霊木に封じた後、一人で人里に下りた彼女が幼い少女の身で過酷な最貧区を生き延びることが出来たのも、彼女に強い霊力が備わっており、しかも身を護る為にそれを使用する方法をきっちりと知り尽くしていたからである。
 陰陽術は人のわざだ。だから、絢女は弟に自分の持つ陰陽術を敢えて教授しなかった。彼女自身、死神となってからは陰陽術は可能な限り使用しないように努めてきた。だが、呪詛、という事態に立ち至った以上、頼りになるのは絢女の知識と身についた術である。
「絶対に、乱菊を一人にしないで」
と絢女は答えた。
「それから、乱菊に少しでもおかしな様子が見えたら、九十番台の結界を張って外界と遮断して。九十番台の結界なら、義骸と乱菊の結び付きを一時的にせよ断てるはずだわ」
「分かった」
と冬獅郎は頷いた。
「…誰があたしを呪ってると思う?」
 乱菊が問うた。いつしか、彼女の眸からは不安の色が薄れ、代わりに怒りを含んだ強い光に取って代わられていた。
 自分に対して含むところがあるのなら、文句を言ってくるなり、襲ってくるなりすればいいのだ。目の前に敵が現れたのなら戦うことも、話し合うことも可能だ。だが、遠く離れたところから姑息な手段で危害を加えようなど、卑怯以外の何ものでもない。
「考えられる可能性はいくつかあるけど」
 ギンの言葉に、
「言ってみて」
と乱菊は挑むように返した。
「まず、乱菊が手段に使われとるいう場合」
「手段?」
 怪訝に乱菊はギンを見返した。
「例えば、鏡花水月が新しい主人を見つけたんやのうて、藍染はんの復讐の為に目覚めたとかな」
「ギン、あんた…」
「ボクが鏡花水月やったら、真っ先に復讐したい相手は主を土壇場で裏切った男。つまり、ボクや」
「おまえに復讐するとして、一番効果的なのは姉さまを標的にすることだろう?」
と冬獅郎が疑義を申し立てた。だが、
「鏡花水月は絢女には手ェ出せへんよ」
 ギンはきっぱりと言い切った。
「手ェ出せるモンなら、あん時かて、鬼道なんて使わへんでばっさり斬り捨てとったわ」
 ギンの言う「あの時」とは、むろん、もう十一年も昔になるあの空座町決戦を指す。絢女は藍染の放った鎖条鎖縛により身動きが出来ない状態に陥っていた。だが、簡単に斬殺出来るはずの彼女を、藍染は黒棺で葬ろうとしたのだ。もし、藍染が直接、刀で手を下していたなら、ギンは確実に間に合わなかった。辛うじて、彼が絢女を護ることが出来たのは、藍染が破道を使ったからだ。
「鏡花水月は絢女には近づくことさえ出来ひん」
「鏡花水月が復讐したいのは、ギンだけじゃないわ」
 絢女が被せた。
「ギンを裏切らせたのは私よ。むしろ、鏡花水月はギンよりも私の方を憎んでいると思うわ」
「鏡花水月が復讐したい相手がボクやったにせよ、絢女やったにせよ、復讐の手段として乱菊を狙うんは理に適うとる。あくまで、復讐する側の理屈やけどな」
「乱菊はおまえの大事な幼馴染で姉さまの親友だから、か?」
「うん。それに絢女にとっては世界で一番大切な弟の恋人でもあるしな。乱菊にもしものことがあったら、絢女は冬獅郎はんに対して負い目を感じるやろし…。復讐を企てたのが鏡花水月やのうて、ボクに恨みを持っとる誰かやったとしても、ボクには直接手ェ出さへんで苦しめるのんが目的やったら、狙うのは絢女か、乱菊か、いうは妥当なトコや」
 乱菊が溜息をついた。
「ギンへの恨みのせいであたしが狙われるかもしれないって理屈はわかったわ。だけど、あたしが憎いからあたしを標的にしたっていう方が、どっちかっていうと先に検討すべきことでしょ?」
「うん。その可能性もあるなぁ」
とギンは逆らわずに肯定した。
「その場合、ありそうな相手として、まずは乱菊に振られた男とか…」
「あんまり、考えられないわね」
と絢女が遮った。
「乱菊が冬獅郎と付き合うようになって、もう十年以上よ。護廷の隊長が相手じゃ勝負にならないって、たいていの男の人は始めから諦めているわ。冬獅郎と付き合う前はそれこそ数えきれない男の人を振っていたみたいだけど、ここ何年か、乱菊、男の人を振った覚えってある?」
と顧みられ、乱菊はかぶりを振った。
「隊長と付き合い出してからは、確かにないわ」
「でしょ? まぁね。告白も出来ないくせに妄想癖だけは激しい変質者タイプもいないじゃないから、絶対ないとまでは言い切れないけど…。それよりも、私が気になっているのは、冬獅郎に婚姻の申し入れをして断られた貴族たちの方よ」
 冬獅郎が酢を飲んだような顔つきになり、ギンは、嗚呼と顎を撫でた。
「確かに、そっちの方が可能性としては高そうやな。貴族なんて根拠のないプライド、ようさん抱え込んどうし、得体のしれへん秘術を伝えとる家系も多いし。おまけに、乱菊は流魂街の最貧区の出ェや。なんぼ副隊長とはいえ、最貧区出の女のせいで縁組断られたとなると、逆恨みで乱菊をどうかしよう思う輩がおっても不思議はないなァ」
「冬獅郎が縁組を断ったのは『乱菊がいるから』だけじゃないんだけど、貴族はそうは考えてないでしょうね」
「だとしたら…」
 冬獅郎が思案気に姉とギンを見比べた。
「市丸」
「ん、何?」
「おまえ、一乗寺の貴紗きさ姫を知っているか?」
 ギンの細い目の奥で、眸が針のように光った。
「なるほど。いくら断っても諦めへんしつこい家って一乗寺やったん? また、厄介な女に惚れられたなァ」
 訳知りな彼の言葉に、
「そんなに厄介な人なの?」
 乱菊と絢女が揃ってギンに目を向ける。
「厄介も厄介。蛇みたいに執念深い女や」
 ギンは肩を竦めた。
 一乗寺貴紗とはギンもかかわったことがあった。四十年以上も昔、ギンが三番隊長に就任して数年後のことである。
 困りごとがあるから是非にも相談したい、と彼女は三番隊を訪れたのだ。困りごとというのは何者かに狙われているというもので、ギンはそういうことなら警邏隊に相談すべきだとアドバイスしたのだが、貴紗は鼻先でせせら嗤った。
「あんな脂デブが隊長の警邏隊なんてあてにはなりませんわ」
 隠密機動第二分隊・警邏隊の長は二番隊副隊長でもある大前田希千代である。本人が聞いたなら、
「デブじゃなくてふくよかと言うんだ」
と抗議しそうな一言で、貴紗は大前田を切って捨てた。
「市丸さまはその若さで隊長に就任されたたいそう優秀な方と伺っております。お力添えを願えませんか?」
 身をくねらせて嫋嫋と縋ってきたその態度で、狙われているというのは単なる口実に過ぎず、他ならぬ自身が目当てで近づいてきたことをギンは悟った。
「まさか…、あんた、貴紗さまと寝たの?」
 乱菊が問うた。絢女の前で訊くのはどうかと思わないでもなかった。だが、昔のギンの行状については、絢女はいやというほど承知しているのだ。今更、繕っても仕方がないだろうと結論し、乱菊は構わずに質すことにした。
「その口ぶりだと、一悶着あったみたいだけど」
「いいや。寝てへんよ」
とギンは否定した。だが、乱菊はむろん、絢女もそれを素直には受け止めかねたようで、
「ギン。私のことは気にしなくていいから、知っていることを教えて」
と彼女は言い添えた。
 それに対して、
「絢女と付き合う前の女のことを誤魔化したりはせェへんよ」
とギンは応じた。
「ホンマにあの女とは何もなかった」
 繰り返した後、絢女、乱菊、冬獅郎をぐるりと見渡して、彼は続けた。
「あんなぁ。ボクが素人女にも手ェ出しとって、一遍も修羅場にならへんかったんは何でや思とるん?」
「何で、て…?」
 問われた三人は顔を見合わせる。
「もちろん、女をきっちり選んどったからや」
と、ギンは言い切った。
「はぁ?」
 その場にいた三人は揃って、唖然とギンを見返した。
「修羅場になりそうな、メンドそうな女には手ェ出さん。傍から見とったら手当り次第に思えたかもしれへんけどな。手ェ出してもええ女と出したらあかん女の区別はつけとった。ええ意味でも、悪い意味でもな」
「そう…」
 辛うじて絢女が相槌を打った。彼女としては、「そう」としかリアクションの取りようがない。
「一乗寺貴紗は悪い意味で手ェ出したらあかん女やって」
と、ギンは思い出すのも忌々しいと言いたげに口許を僅かに歪めた。
 彼女は我儘放題に育った典型的な上級貴族の娘だった。周りの者はすべて自分にひれ伏し、かしずくものだと信じ切っていた。それ故か、恋愛においても彼女は上位者であることを望んだ。男は彼女を崇拝し、恋い焦がれ、悦ばせる為に存在しているのだと疑わなかった。
 男の女道楽においては昔から「一盗二婢三妾四妓五妻」などとまことしやかに言われているが、貴紗は女だてらにそれを男道楽に当てはめていた。妻子ある男や、恋人のいる男を寝取ることを無上の楽しみにしていて、そのくせ、男が彼女に夢中になると飽いて、ぽいと捨て置いてしまう。自分が下に支配されることを好まないから、例えば白哉のように彼女よりも上位の貴族には一切興味がない。しかも、身分が下ならば誰でもいいわけではなく、それを跳ね除けて上に這い上がれるだけの実を備えた男でなければならないという望みの高さで、
「ま、せやから、ボクに興味を持ったんやろなぁ。ボクは流魂街の最貧区の出身で、身分から言うたら彼女は雲上人の姫さんや。でもって、護廷の隊長。実力があって、しかも卑しい出ェやいうんは、一乗寺貴紗にとっては極上の相手や」
とギンは自己評価を下した。
「それじゃ、貴紗さまが隊長に執心している理由って…?」
「護廷の隊長いう実、流魂街出身いう出自、しかも乱菊いう恋人もおるからなァ。人のモンを奪う楽しみまで、三拍子揃うとる。ついでに言うと、あの女はものすご面食いやったから。冬獅郎はんはその点でも滅多にない最高の獲物や」
「獲物って…」
 冬獅郎が憮然と呟いた。
「あの女の嗜好は置いといても、冬獅郎はんは一乗寺家の立場で見ても最高のお婿候補や思うで」
とギンの分析は続いた。
「流魂街出身いうても、冬獅郎はんは一番区の出ェや。最貧区のボクあたりはなんぼ何でも上級貴族の婿には難しいはずやけど、隊長いう破格のオプション付きなら一桁の流魂街出身者は許容範囲内。しかも、冬獅郎はんを婿に迎えれば、五番隊隊長とも自動的に縁戚関係になれるんやもん。冬獅郎はんは跡継ぎ息子がおれへん貴族たちにしてみれば、ほんま、滅茶苦茶おいしいお婿候補なんや。むざむざ流魂街最貧区出身の乱菊に渡すいうんは、面白ないやろなァ」
 ギンの述懐を呆然と聞いていた絢女が、ようやく気を取り直したという風情で、
「もし、貴紗姫が呪術を知っていたとして、乱菊に呪いをかけると思う?」
とギンに問うた。
「あの女やったらやりかねんなァ。言うたろ? 執念深いて。狙うた獲物は手に入るまで諦めへんし、手段も選ばへん。一服盛られて、それこそ無理矢理に関係を持たされた挙句に破滅した男もおったくらいや」
 聞けば聞くほど、身分の高い姫君と思えない陰湿で淫乱な女のようだ。
「市丸、おまえ、貴紗姫とは寝てねぇっつったよな」
 冬獅郎が糺した。
「言うたで」
「そんな執念深い女に目をつけられてどうやってかわした?」
 貴紗が今回の呪詛騒動に無関係だったとしても、これ以上関わり合いになりたくない女であることは間違いない。絢女は冬獅郎が乱菊と正式に婚姻関係を結べば貴紗も諦めざるを得ないだろうと考えていたようだが、それほど甘い女ではなさそうだ。
 冬獅郎の問いに対して、ギンは何ともいえない複雑な表情を浮かべた。
「気持ちは分かるけど、参考にならへんよ」
と彼は答えた。
「何でだよ?」
「たいていの女は自力で上手いこと捌けたけどな。あの女だけはホンマに執念深うて、往生してなァ」
「あぁ?」
「藍染はんに頼んだんや」
と、ギンは溜息とともに吐き出した。
「…藍染…だと?」
「せや。鏡花水月でちょちょいて。三番隊長やいうんは動かせへんかったから、容姿の方をな。貴紗の好みには到底合わへんような不細工に見えるように暗示をかけて貰たん」
「…」
「藍染はんもボクに執心しとったからなァ。貴紗のことは内心、不快に思とったみたいや。ボクが頼んだら、それこそ二つ返事で引き受けてくれたわ」
「…はぁ」
「な?」
「確かに、全く参考にならねぇな」
 冬獅郎も嘆息を零した。
「貴紗姫に諦めて頂く方法は折々考えるとして、当面の問題は乱菊よ」
と絢女が逸れてしまった話題を元に戻した。
「さっきも言ったけど、冬獅郎、絶対に乱菊を一人にしてはダメだからね」
「もちろんだ」
「どうしても、傍を離れなければならない時は、私か、ギンのところに乱菊を連れてきて。乱菊も絶対に一人で行動しないでよ」
と絢女は乱菊に釘を刺した。
 どちらかといえば、危ないのは乱菊の方だ。怯えていてくれたなら、冬獅郎の傍を離れることはないだろうが、話しているうちに卑怯な相手に対する怒りのスイッチが入ってしまったようだ。無茶をしなければいいが、と案じる絢女に、
「犯人が分かったら、じっくり締め上げてやるけど、呪詛なんてあたしの手に負える話じゃないしね。絢女の忠告通りにするわ」
と乱菊は応じた。
「ほんなら、ボクは一乗寺を探ってみるわ。鏡花水月の方は今んトコ、手掛かりなしやし、可能性のあるとこ地道に潰していくしか手立てはないもんなぁ」
 ギンが言いながらソファから立ち上がった。
「おまえも無茶すんなよ」
 冬獅郎が言った。
 ギンは意表を突かれた様子で見返した。
「何? 心配してくれんの?」
「てめえみたいなのでも、何かあったら、少なくとも、姉さまと乱菊は泣くからな」
 ふんと、面白くもなさそうな顔つきで冬獅郎は言い捨てた。その表情を見遣り、面には出さないままに眸の奥でギンが微笑んだのを、乱菊と絢女はしっかりと覚っていた。

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2011.06.07