夢に囁く者


 冬獅郎や絢女の話を聞き終えた四楓院家の当主は、ううん、と難しい顔つきで首を捻った。
「狼が鬼道をねぇ」
「はい」
「それで四楓院家が疑われているという訳ですか?」
 にっこりと笑って確認した月詠に、
「滅相もない!」
と砕蜂が慌てて否定を返した。
「疑ってなどおりません。ただ、此度の一件、変化へんげの能力を持つ者が関わっている様子。ですから、変化にお詳しい月詠様にご相談申し上げただけです」
 砕蜂がこのように丁重な言葉遣いで話すのを、総隊長と夜一が相手の時以外には耳にしたことがない。一瞬、驚いた冬獅郎たちだったが、よく考えてみれば当然だった。もともと、蜂家は四楓院家に仕える家柄であったし、月詠は砕蜂が敬愛してやまない夜一の異母弟である。夜一の出奔を裏切りと感じた砕蜂は四楓院家とも決別してしまったが、夜一と和解した現在では再び主筋という意識が甦っているのだろう。
「役に立てるかは分かりませんが」
と月詠は前置きしてから続けた。
「私で分かることは答えるますから、何なりと訊ねて下さい」
 彼は侍女が運んできた茶をおいしそうに一口飲むと、親しげに一同を見渡した。相変わらず、のほほんとした好青年の佇まいである。権謀術数に長けた切れ者という実は、この上っ面からは伺えない。
「以前、あんたは言っていたよな。変化の術は四楓院の本家にだけ継承が許される技だって」
と冬獅郎が口火を切った。
「申しましたな」
「あの術は四楓院の血筋でないと遣えない技なのか?」
 その問いに月詠はかぶりを振って、否定を示した。
「あれは四楓院の祖先が隠密の術として編み出したものです。大層癖のある術ですから、誰でも体得出来るとは申せませぬが、ある程度以上の霊力があって、術と相性が良ければ、四楓院の血筋でなくとも身につけることは可能です」
 ゆったりと答えた後、
「ただ、」
と彼は続けた。
「例えば、姉上が禁を犯して、砕蜂や日番谷隊長に術を伝授したとしても、あなた方が変化を体得するのは無理ですよ」
 不思議そうに見返した冬獅郎らに微笑をして、月詠は説明を加えた。
「あれは、それこそ襁褓むつきが取れて二足歩行がようやく安定したかというくらい幼く、骨格が定まらぬうちから鍛錬を積まねば身につかぬ術でしてな。草鹿副隊長や例の叛乱以前の幼かった日番谷隊長でも、術を体得するにはいささか成長し過ぎている。それくらい幼い頃から修練せねばならぬ代物なのですよ」
 以前、月詠は変化が遣えるのは、自分と姉の夜一の他は祖父とその弟である大叔父だけだと冬獅郎に語った。本家にのみ継承が許される術でありながら、本来であれば当主になるはずのなかった月詠や、月詠らの大叔父に当たる分家の隠居も体得しているのが、冬獅郎はどうにも引っ掛かっていたのだがようやく納得した。幼いうちから鍛錬が必要な技なら、本家の正統な後継者に何事かが起こってから次点の者に術を伝えようとしても時期を逸っしている可能性がある。それ故、予め、次点の後継者候補にも術を教授しておくのだろう。
「四楓院はいつも黒猫に変化しているようだが、他の動物に変化することは出来るのか?」
 月詠は砕蜂には変化出来ることを知られたくない様子だ。そこで、冬獅郎は月詠に対してとも、夜一のこととも取れる質問の仕方をした。
「鍛錬を始める時に変化へんげする獣を決めます。ですから、その時点で、猫ではない別の獣を変化の対象に選択していれば可能でしょう。しかし、猫と定めて修練した者が他の獣に変化するのは無理ですよ」
 応じた月詠は、
「ちなみに、四楓院家は変化するのはいつも猫と定めております。何故だか、分かりますか?」
と逆に質問を投げた。砕蜂は怪訝に首を捻ったが、絢女が、
「街中で普通に見かける動物だから、ですか?」
と答えた。
「正解です。隠密の為の術なのですから、まず、目立ってはなりませぬ」
 月詠は主に砕蜂を見つめながら、説明を続けた。
「変化するなら、人の住み暮らす街中にいて、違和を感じることのない獣でなければなりませぬ。そういたしますと、候補に上がるのは、犬、猫、鼠に鴉や鳩のような鳥類といったところでしょう。この中で、鼠は流石に小さ過ぎましてね。それから、鴉のような鳥ですが、本性が人の身で羽ばたく鳥に変化するのは負担が大きい。残るは犬猫ですが、野山を駆け巡るのに適した犬よりも、木に登り、塀の上を歩き回り、元来が夜行性の猫の方が隠密活動には向いているでしょう? まぁ、そういうわけで、四楓院家は代々、猫に変化することを受け継いで来たのです」
「なるほど」
「四楓院は屋敷に何匹か猫を飼っておりますが、あれは修練の際に手本にする為です。変化の際には表面的な形だけでなく何気ない動作に至るまで、決して不審を持たれないように猫そのものになりきらねばなりませぬ。その為にはお手本が要りますからなぁ」
「だとすると、狼ってのは…」
「目立ち過ぎます」
と月詠は得たりと頷いた。
 人家のない山野ならともかく、街中に狼がいれば大騒ぎになる。変化が隠密の為の技だとすると、間違いなく不向きな獣だ。
「つまり、日番谷たちが目撃した狼は四楓院家のように隠密の者ではないということですね」
 砕蜂が確認した。
「断言は出来ませぬが、おそらく、そうでしょう。仮に、四楓院家の先祖の誰かが術を傍系に漏らしたにしても、本家に知られれば抹殺されます。危険を冒して密かに術を伝授しようとする時に、狼のように目立つ獣で幼子に鍛錬させるとは考え難いですな。手本となる狼を飼うのもなかなか難しそうですし」
「確かにそうだな」
 四楓院家そのものは疑っていなかったが、四楓院家の祖先の誰かが術を本家以外に伝授し、その子孫が業を悪用しているのではないかとは考えていた。だが、月詠の話を聞く限りでは、その可能性は低い。むしろ、全く別系統の秘術と考えた方が良いだろう。
「鬼道を発した声は、女性のものだったと先ほど窺いましたが」
 月詠が質した。絢女と冬獅郎が肯くと、
「だからといって本性が女性だと予断を持つのは危険ですよ」
 若き四楓院家当主は釘を刺した。
「人型の本体と獣の変化体では声帯の形状が異なっているので、同じ声にはなりませぬからな」
と告げた後、
「砕蜂、」
と彼はかつて姉の側近だった女に目を向けた。
「貴女は姉上の猫型の時の人語を聞いたことがあるでしょう?」
「はい」
「どんなでした? 普段の姉上の声と同じでしたか?」
「いいえ」
と砕蜂は首を横に振った。
「夜一様の本来のお声よりもずっと低くて、お声だけなら、男性のような…」
「でしょう? あれはわざとではないのです。猫の姉上はあの声しか出ぬのです」
 そう語る月詠自身も変化していた時は声が異なっていた、と冬獅郎も絢女も思い出した。現在の月詠は涼やかなテノールであるが、猫の時はもう少し高く、僅かに潰れたような声質だったはずだ。変声期真っ最中の思春期の少年というのが、猫月詠の声を説明するには適切かもしれない。冬獅郎らの思考を見抜いたのか、
「姉上のように必ず本来よりも低くなるとは限りませぬよ」
と月詠は続け、砕蜂に気付かれないように目配せをした。
「亡くなった父は猫に変化した方が声は高くなっておりました。祖父の場合は声の高さには変化がなかったのですが、声質が異なりましたな。人の姿の時は口跡がはっきりした明瞭な話し方をする方ですが、猫型になると途端にぼそぼそとくぐもった声になりました。声の変わり方もそれぞれで、こうなるはずという予測がつきませぬ」
「そうですか。では、あの狼も女とは限らぬわけですね」
「女性でないとはいえませぬが、女性だと決めつけるのは早計です」
と月詠は結論した。それから、少し考えてから、
「日番谷隊長も、砕蜂も、その狼が人の変化体と考えているようですが、他の可能性もないではありませぬよ」
と続けた。
「例えば、人並みの知性があり、人語を話す狼。引き合いに出しては失礼かもしれませぬが、狛村隊長のような人狼が現にいらっしゃるのですから、もっと姿が狼寄りの人狼が存在する可能性だってあります」
「姿を崩して、這縄から逃れたのはどう説明する?」
 冬獅郎の反論に、
「ああ、それがありましたか」
と月詠は頭を掻いた。だが、その反駁は予想しており、回答も用意していた。彼はすぐに言葉を継いだ。
「中央四十六室の議員なんて面倒くさい役職ですが、色々と面白い情報が得られる役得もありましてなぁ」
「?」
「十一年前の旅禍騒動の時、十二番隊長の涅マユリと滅却師クインシーの少年が争って、涅隊長が敗退した時にあの人が逃亡に用いた技は、ご存知ないでしょう?」
 楽しそうに語る月詠に対して、冬獅郎たちは顔を見合わせた。あの時、藍染の叛乱の結果、「旅禍」から「尸魂界の恩人」に昇格した黒崎一護たちは、怪我の治療の為に瀞霊廷に留まっている間に事情聴取も受けていた。彼らの証言の一部は公開されていたが、石田雨竜と涅マユリとの戦闘についての言及は公表された資料にはなかった。
「涅隊長は自らの体を液化して、決定的なダメージを避け、その場から逃れたそうです」
 澄ました顔で茶を啜る月詠を冬獅郎らは唖然として見つめた。
「体を液化…」
 這縄を逃れた狼も、その姿が崩れた時、粘性のある液体のように見えた。
「むろん、涅隊長を疑っている訳ではありませぬ。あの人は上に妙な形容詞がついているとはいえ、まぎれもなく科学者です。そして、護廷はあの人に自在に研究することが可能な場所を与えています。護廷を裏切ってむざむざ研究の場を捨てるような真似、あの人はしないでしょう?」
「しねぇだろうな」
と冬獅郎は応じ、砕蜂と絢女もそれを肯定した。涅マユリは研究の為ならば何をしでかすか分からないが、逆に言えば、自由に研究が出来る技術開発局のことは偏愛しているのだ。技局を追われ、研究が出来なくなるようなことはしない、と人格とは別の次元で、冬獅郎らは涅マユリを信用していた。
「ですが、研究の成果といえ、涅隊長は体を一時的に液化出来るのです。他にそのような術を持つ者がいないとは断言出来ないと思いませぬか?」
 月詠の意見は尤もで、冬獅郎たちが誤った思い込みに陥るのを防いでくれた。しかし、敵の正体については混迷が深まっただけだった。途方に暮れる冬獅郎らに、月詠はゆったりと笑んだ。
「一乗寺ですが、」
 冬獅郎たちは思わず、身を乗り出した。
「十代ほど前の当主が一乗寺の娘を側室にしていた記録があります」
 一乗寺は上級貴族である。その娘を正妻ではなく、側室にしていたとは、流石に四大貴族である。が、重要なのはそこではなかった。
「その女は他人の夢を操る能力があったそうです」
 冬獅郎たちは息を呑んだ。
「どうも、一乗寺に伝わる秘術らしく、詳細は不明ですが、彼女と共寝をすると望みのままのよい夢が見られるということで、当主ばかりか正室にまで可愛がられていたようです。ところが、正室に頼まれて一つ部屋で寝んでいる時に、正室が急死しましてな。夢を操って、正室を殺害した疑いをかけられ、離縁されました」
「正室を殺したのに、離縁だけですんだのですか?」
 絢女の疑問に、
「証拠がありませぬから」
と月詠は答えた。
「女は無実を訴えていたようです。しかし、正室は本当に突然死で、薬物の投与や外傷は認められなかった。そして、寝所の外に護衛は付いておりましたが、中で共にいたのは一乗寺出のその女だけだった。彼女が夢を操って、正室をショック死させたという確たる証拠はない。しかし、無実だと証明するすべもなかったのです」
「それで、離縁?」
「はい。ただ、当時の当主は彼女のことを愛していたらしい。正室については病による急死と届け出を行い、その女の特殊な能力について、一切、外部には漏らしておりませぬ。また、離縁の際、その能力は下手をすると、一乗寺の家そのものを潰してしまう危険があるから捨て去るようにと忠告していたようです」
「それは…」
「四楓院に遺された記録によると、その女が他人の夢を操る為には相手の身体に触れていなければならなかったそうです。だから、一緒に眠る必要があったのですな。少なくとも、離れた場所から夢を操るのは不可能だったらしい」
 もし、乱菊を苦しめている悪夢が一乗寺に伝わる秘術によるものだとすると、彼女が悪夢に苛まれていた時に触れていた昨晩の狼こそ一乗寺の術者ということになる。
 月詠の手持ちの情報は、今のところ、そこまでで打ち止めのようだった。夢を操る女のこともそれ以上の記録はなく、術の詳細も知るすべはない。しかし、一乗寺が夢を操る能力を伝える家系だと分かったのは収穫だろう。
「貴重なご意見と情報をありがとうございました」
と砕蜂がその場を代表して謝意を述べた。
「ご多忙の折、お邪魔をして申し訳ありません」
「構いませぬよ。松本副隊長のような美女に何かあっては、世の損失ですからなぁ」
「はぁ…」
 どう反応していいのか口籠った砕蜂に、月詠は穏やかな笑顔を向けた。
「今は忙しいでしょうが、事件が解決したら、遊びに来て下さい。祖父も貴女に会いたがっておりますし、姉上も呼んで、久しぶりにゆっくりと語らいたいものです」
と、さりげなく夜一で釣るところが涙ぐましい、と冬獅郎と絢女は思った。
「はい。事件が首尾よく解決しましたらば、是非」
 夜一に会えると、分かりやすく砕蜂は釣られた。
「それでは失礼をいたします」
 砕蜂が立ち上がり、冬獅郎と絢女もそれに従った。
 だが、立ち上がった途端、絢女の身体が揺れた。
「姉さま!」
「絢女殿?」
 冬獅郎と月詠に左右から腕を掴まれ支えられた絢女は、驚いたように目を見開いていた。
 冬獅郎らは昨日の隊長格会議の時にも、彼女が倒れそうになっていたのを思い出した。あの時は椅子に躓いたと絢女は述べていたが、今日もまたふらついたのを目の当たりにすると、その言葉も疑わしい。
「どうした?」
 眉を顰めた砕蜂に、
「立ちくらみを起こしました」
と絢女は正直に答えた。
「昨夜の鬼ごっこが思いのほか堪えているようです。なまっているのでしょうね」
 彼女は昨晩、狼を追って駆けずり回ったせいだと言いたいようだ。しかし、冬獅郎は、
「姉さま、昨日も会議の後…」
と糺した。絢女は気遣わしげな冬獅郎に優しい笑みを向けた。
「あれは本当に椅子に足を引っかけただけなの。昨日の今日だから心配するのも分かるけど、偶然よ」
「本当だろうな」
 疑わしそうな弟に、
「私が信じられないの?」
と絢女は返す。冬獅郎は溜息をついた。
「今日のところは信じておく。だけど、姉さま。無理はするな」
「そうだぞ」
と砕蜂も同調した。
「四番隊で診て貰った方がよいのではないか?」
「狼との追いかけっこで疲れただけですから」
 絢女は繰り返した。だから、四番隊は必要ないと言いたいらしい。難しい顔つきの砕蜂と冬獅郎、そして、どう言い繕おうかと困惑顔の絢女を等分に見ながら、
「今日はゆっくりと休まれることですな」
 月詠がその場を収めるように告げた。
「松本副隊長のことは心配ですが、昨晩、絢女隊長に姿を暴かれたばかりなのですから、よもや今晩は襲ってこないでしょう。それに、絢女隊長。貴女のことですから、取り逃がしたといえど、それなりの手傷を負わせたのではありませぬか?」
「鬼道はいくつか命中させました」
と絢女は答えた。
「残念ながら、足止め出来るほどの傷にはなりませんでしたが」
 狼は瀞霊廷内の、しかも民家の集まる町なかを逃走したのだ。周囲の危険を慮れば、鬼道も威力を抑えて打たざるを得なかった。
「やはり、そうでしたか」
「秋篠の風も届いていたと思います」
「ならば、狼も傷を癒す必要がありましょうから、尚更です。無理をして、今晩も襲って来るとは思えませぬ」
 にこりと、人懐っこい笑みを浮かべて月詠は続けた。
「松本副隊長のことは日番谷隊長に任せて、絢女隊長は身体を休めるべきです。貴女は鏡花水月に対抗するための貴重な人材なのですから、もっとご自分の身体を労りなさい」
と彼は絢女を諭した。

 ぜいぜいと、彼女は荒い息をついた。
「おのれ…」
と唇から呪詛の呻きが漏れる。
 彼女の身体は無数の傷を負っていた。五番隊隊長の日番谷絢女が放った鬼道による打撲と火傷、秋篠のかまいたちによる裂傷だ。致命傷になるような重篤なものではないが、自分の身体が傷付けられた怒りは大きかった。
「よくも最貧区出身の分際で」
 冬獅郎の姉と思って我慢をしていたが、やはり、最貧区出身の卑しい女である。目障りなこと、この上もない。ぎりぎりと悔しげに歯を噛みしめる彼女に、ふわりと別の影が寄り添った。
「そうね…。あの女は邪魔だわ」
 影が囁いた。
「可哀そうに…。貴女にこんな傷を負わせるなんて…」
「卑し女の分際で」
と、彼女は吐き捨てた。
「本当にねぇ…。あの女はやっぱり始末しなければなりませんね」
と影は薄ら笑いを漏らした。
「ええ、ですが、どうすれば…」
と彼女は俄かに困惑して、影を見詰めた。
 何と言っても、相手は護廷の隊長である。今日も、辛うじて追跡を逃れはしたものの、逃げるのと攻撃を避けるのに精一杯で、彼女の方から攻撃を加える余裕など全くなかった。不安げな彼女に、影は笑みを深めた。
「大丈夫よ」
「ですが…」
「大丈夫。あの女は自分ではまだ気が付いていないけれど、能力が衰えているの」
と影は教えた。
「しかも、日が経つに従って、衰えは大きくなってゆくわ。もうしばらくお待ちなさいな」
と彼女に笑みを向けた。
「大丈夫。いずれ全て上手くゆくわ。日番谷隊長は貴女のものよ」
 あの美しい男が自分のもの。その甘美な想像に、彼女はうっとりと身を委ねた。垣間見た、冬獅郎と乱菊の情事が脳裏に甦った。
「愛してる」
と囁きかける艶のある低音。
「綺麗だ」
と繰り返される讃美の言葉。乱菊の膚を滑っていた冬獅郎の指と舌。引き締まった筋肉質の体躯。それから、たくましくそそり立つ牡。あれをあの雌犬のような女が独占するなど間違っている。自分のものであるべき男が下賤な女に愛を捧げるのを、彼女は血の凍るような想いで覗き見ていた。冬獅郎の全ては彼女にこそ相応しい。それなのに、彼は最貧区出身の卑しい女に誑かされ、彼女を見ようともしない。
 絶対に誤っている、と彼女は信じて疑わなかった。彼の隣りにいるべきなのは、自分のはずだ。
「そうよ。彼はあなたのもの。今が間違っているの」
と影は肯いた。
「誤りは正さなければならないわ」
「はい」
「何も心配はいらないのよ。あの邪魔な女さえ片付けば、全てが上手くゆくのだから。でも、その為には、待つことも必要…。分かるわね?」
「はい」
と彼女は素直に首肯した。
「それには、まず、貴女もその怪我を癒さなければ…」
「はい」
 影の掌が、彼女の目を塞いだ。
「おやすみなさいな、何も怖れずに…。そう、日番谷隊長に抱かれる夢を見ながら、幸せに眠っているといいわ。その間に怪我など癒えてしまうから…」
 影の声にいざなわれ、彼女は崩れるように眠りに落ちて行った。

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2012.04.20