出口を求めて


 ほんの三日前に訪れた時の豪奢さが幻のように、一乗寺の屋敷は荒れていた。強制捜査を行った隠密機動は徹底的な捜索で隠し部屋や地下室を暴き、合法、違法取り混ぜて、一乗寺家が商っていた商品を押収していた。その過程で壊された壁やぶちまけられた箪笥の中身などはそのままに放置されていたのだ。
 一乗寺家を警備していた刑軍の部隊長は砕蜂からの連絡を受けていたらしく、訪れた冬獅郎らを直ちに屋敷に入れ、捜査の結果を手早く説明した。
 一乗寺家は元々、表向きの生業が薬種問屋である。かなり大きな商いで、珍しい薬の入手経路を持っていたことから、頻繁にではないにしろ、四番隊や技術開発局との取引もあったほどだ。実をいうと、一乗寺家については禁止薬物の所持自体は違法ではなかった。技局や四番隊の研究の為、あるいは犯罪絡みで禁止薬物が使用された場合に隠密機動が照合する為には、非合法の薬物であってもある程度の量は必要になる。そういった研究や捜査時の使用を想定して、大手の薬種問屋のいくつかは特別許可により、禁止薬物の取り扱いと保持を認められているのだ。そして、一乗寺家も許可を得ている薬種問屋のひとつだった。
 もちろん、それらの薬物は通常の取引により一般に出回らせることは固く禁じられている。保持可能といっても無制限な量ではなく、一定量を厳しい管理のもとで保管することを求められているのだ。また、取引に当たっては相手が護廷や隠密機動であろうとも、目的や使用量の届け出を行い、厳密な運用が義務付けられていた。
 一乗寺家が保有していた禁止薬物はそういった運用規制を上回る量だった。また、屋敷内で禁止薬物を使用したことも違法である。押収した帳簿類から、一乗寺が犯罪組織と取引があったことも明るみになった。現在、刑軍は一乗寺家と取引のあった貴族を洗っている。表向きの薬種問屋としての取引は咎められないが、裏で非合法な取引を行っていたのなら、相手の貴族も当然ながらただでは済まない。強制捜査は他の貴族にも大きな累を及ぼしそうな様相を呈していた。
 この一件で貴族社会に溜まっている膿が多少なりとも絞り出されるのなら、おおいに結構なことである。だが、現在の冬獅郎たちにとって、それは関係のないことだった。彼らが欲しているのは鏡花水月と行方不明の乱菊の手掛かりであって、どこの貴族が破滅しようと知ったことではない。
 一通り、隠し部屋や地下倉庫などを巡った。だが、一乗寺の非合法な商売の証拠はたっぷりとあっても、乱菊の行方にかかわりそうな有用な情報は見いだせなかった。
「すまないが、俺たちだけで屋敷を見て回っても構わないだろうか?」
 冬獅郎の頼みに部隊長は頷いた。
「砕蜂総司令官より承っております。但し、何か発見なさったら、くれぐれも我々にもお知らせ下さい」
「承知した」
 部隊長は一礼して詰所としている部屋に引き上げ、残された冬獅郎、ギン、絢女は早速に屋敷を探ってみることにした。
 三人がまず赴いたのは、貴紗の私室だ。予測に違わず、この部屋は刑軍によって徹底的に荒らされており、衣装箪笥をひっくり返しての捜索により、高価な衣装が足の踏み場もないほどに散乱していた。文机の抽斗もその上に転がっていた。先ほどの部隊長の話によると、彼女の部屋からは男性向けの催淫剤が大量に発見されたらしく、貴紗の淫乱さがその一事からも推し量れる。また、どうやら、一乗寺は人身売買にも手を染めていたらしい。催淫剤によって性的な意味合いで徹底的に落とした男女を、女郎小屋や陰間茶屋、場合によっては金持ちの貴族などに斡旋していた模様だと聞かされて、冬獅郎と絢女は吐きそうになった。
「どう思う?」
 荒れた部屋を一渡り見渡して、冬獅郎は絢女とギンに意見を求めた。
「何もないやろな、ここには」
とギンが首を振った。
「これだけ徹底的に捜索されとるのんやもん。絢女、何か感じる?」
「貴紗さまに破滅させられた人の恨みの残留思念が染みついている気がするけど、それだけ。鏡花水月にかかわるものは感じない」
と絢女は応じた。
 貴紗が鏡花水月の走狗となって働いていたから、もしかすると、という淡い期待だけで来てみたのだ。
「ま、そう簡単に手掛かりが掴めるわけもあらへん。ここは地道に屋敷を順繰りに隅々まで廻ってみるしかないやろな」
 ギンの言う通り、まどろっこしくともそれ以外に手立てはない。
 一乗寺の屋敷は玄関を中心に西棟と東棟に別れた比翼の建屋になっていた。東棟は日常の居住区で、貴紗や当主の私室もこちらにある。一方、西棟は客間や広間が並んでいた。居住区は隠密機動が特に徹底して捜査している。彼らに見落としがあるとしたら、日頃使用されていない西棟かもしれないと、三人は西棟に向かった。屋敷は二階建てだったので、まず屋敷の二階に上がった。
「いつも思うんだが、貴族の屋敷ってどうしてこう、使っていない無駄な部屋が多いんだ」
 二階はどうやら、宿泊客用の寝室らしい。似たような作りの部屋を、いちいち覗き込みながら、冬獅郎は溜息をついた。
「まぁ、無駄やね。ここなんて、この部屋全部埋まることなんてあるかどうか疑わしいで」
「無駄だ」
と冬獅郎はもう一度、繰り返した。
 延々とほとんど同じ作りの部屋が続いた。宿泊した客が使用する為の文机や長持ちなどの必要最低限の調度品しか置かれていない。長持ちは蓋が開けられ、文机も引き出しが暴かれているが、客用である以上、中身は空だったのだろう。居住区のように品物が足の踏み場もなく散乱しているなどということはない。ただ、所々、畳が引っ剥がされて床が剥き出しになっているのが確認出来た。隠密機動は床下や天井裏も漏らさず捜索したのだ。
 二階では何も発見出来ず、三人は下に降りた。
 一階は儀式か宴席に使用されていたらしい。一部屋が三十畳ほどありそうな広間が並んでいた。襖や欄間の意匠には贅を尽くしてあるが、家具類は置かれていない。また、部屋と部屋の間は壁ではなく襖で仕切られていた。襖を取り去れば百畳以上の細長い大広間になりそうな按配である。
 うんざりした顔で、冬獅郎が疑問を口にのぼせた。
「こんな広間、何に使うんだか」
「婚礼とか、後は謁見でしょうね」
「御大層なことで」
 襖で仕切られた部屋は五部屋ほど続き、ようやく壁に突き当たって行き止まりになった。
「ここも手掛かりなしか」
 冬獅郎は悔しそうに唇を噛んだ。だが、ギンが廊下の行き止まりの壁を凝視しているのに気付いた。
「どうした?」
 問い掛けに直接は答えず、ギンは廊下の突き当たりに歩み寄り、壁を拳で叩いた。
「中、空洞でもないみたいやし、気のせいやろか?」
 ぶつぶつと独り言を言いながら、ギンは広間の入口まで戻った。彼は入口に直角に立ち、身体半分を広間に、もう半分を廊下側に出した姿勢を取った。その体勢で入口から部屋の奥の壁と、入口から廊下の壁を幾度も見比べた。
「どうしたの?」
 今度は、絢女が問うた。ギンは、
「ああ、うん」
と返答になっていない相槌を返すと、おもむろに神鎗の鞘を払った。
 何をする気か、と見守る日番谷姉弟の前で、ギンは屈み込み、神鎗を畳の上に置いた。廊下と部屋を仕切る壁と神鎗を平行に配置すると、入口の柱に鍔の位置を合わせて柄を押さえた。
「射殺せ、神鎗」
 いきなりの始解に絢女たちはぎょっとする。ひゅん、と伸びた刀身は部屋の奥の壁の手前でぴたりと止まった。ギンが頷くと、刀身は元の脇差しの長さに即座に縮まった。
「…」
「…」
 冬獅郎らはギンの意図が掴めず、ただ言葉もなく見ているだけだ。
 ギンは神鎗を廊下側に移した。さきほどと同様に神鎗の位置を整えてから、彼は再度、刀を伸ばした。
「やっぱりや」
 ギンは納得した様子で立ち上がると、神鎗を鞘に納めた。
「こっから壁までの距離な、こっちの部屋と廊下と、二尺半ばかり差があるわ」
 絢女が思案げに眉を顰めた。
「それって、壁の厚みが違うってこと?」
「うん」
 冬獅郎が呆れた、という顔で息を吐いた。
「斬魄刀を物差し代わりに使うなよ」
と続けた彼に、
「斬魄刀を製氷機に使うとる冬獅郎はんには言われたないねんけど」
とギンはさっくりと切り返す。ぐ、と詰まった冬獅郎には構わず、
「さっき、壁を叩いていたのは、中に隙間がないか確認していたの?」
 絢女がギンに確認した。
「そう。けど、音からするとみっしり詰まっとう感じなん」
「だったら、ここは単純に分厚い壁? 補強の為かしら?」
 部屋と部屋との間に壁がない広間が続いていただけに、それは有り得そうだった。だが、
「せやったら、部屋の壁も分厚くせェへん?」
 ギンが反論した。
 その時、冬獅郎が壁に歩み寄った。彼はやおら、掌を壁に押し当て、
「破道の三十三、蒼火墜」
 どん、と鈍い衝撃音の直後、壁に直径一尺半ほどの穴が穿たれた。本来であれば、詠唱破棄といえ、もっと威力があるはずだが、冬獅郎はかなり霊力を絞って放ったらしい。もうもうと立ち込める埃を袖で庇いつつ、
「いきなり無茶するなァ」
「刑軍に無断って、まずかったかも」
 ギンたちは呆れた。だが、当の冬獅郎は全く意に介さず、
「刑軍ならすぐ来るだろう」
と嘯いて、自分が開けた穴の縁を観察した。埃がある程度落ち着いたところで、ギンと絢女も寄って来て覗き込む。
「ここまでが本来の壁やな。その後、二尺の厚みで漆喰を重ねて、壁を厚くした、と」
「でも、塗り込めたのってずいぶん昔みたいよ」
 塗り重ねられた漆喰にも経年の後が見えた。少なくとも、ここ数年という話ではないだろうとは推察できた。
 すぐに来るという冬獅郎の予測通りに、刑軍がすっ飛んで来た。突然の爆発音と霊力の震えに反応しないとしたら話にならないから、それは当然のことだ。先ほど、案内してくれた部隊長も駆け付けた。許可も得ずに壁を破壊したことに、部隊長はひどく苦い顔をした。だが、当たりの柔らかい絢女が丁寧に詫びてとりなしたので、後付けで認めてくれた。
 部隊長は漆喰を重ねた後を見て、絢女同様に古いものだと断じた。
「穏当に考えると、物置を潰したというところでしょうが」
と言葉を止めた部隊長に、
「物置やったら、わざわざ漆喰入れて潰す意味が分かれへん」
とギンがにやりと嗤って応じた。部隊長も僅かに笑みを浮かべて、同意の頷きを返した。
「もう一遍、鬼道を使うて構わへん?」
「建物を壊さないように、くれぐれも加減願います」
「おおきに。気ィつけるわ」
 ギンは冬獅郎が作り出した穴の断面に掌を下向きに置いた。
「破道の三十三、蒼火墜」
 再びの衝撃音の後、砕けた漆喰が転げ落ちる反響音がわずかに聞き取れた。
「当たりやったみたいやね」
 破壊された壁の下に空間が続いているのを認め、ギンは薄く笑みを浮かべた。
 再び、神鎗を物差し代わりに使って、壁の下部に広がっていた空間の深さを探る。
「床? ゆうか、底までの距離は七間
*1 ってとこや」
 漆喰を塗り込めていた隙間はおそらく、この地下空間の出入口だった場所だろう。無論、床下に新たな地下空間が見付かったからといって、そこに有力な手掛かりがあるとは限らない。出入口と覚しき空間が閉じられたのが昨日今日ではないことからすると、無関係の確率が高い。だが、今はほんの僅かの可能性でも蔑ろには出来ないのだ。
 二度の破道で脆くなった漆喰を崩し、人が通れるように穴を広げてから、まず刑軍の一人が降りてみることになった。するすると身軽な動作で縄梯子を下りて行った軍団員は、殆ど待つこともなく戻って来た。
「何もなしか?」
 部下の素早い帰還に、成果をはなから期待していなかった部隊長が形式的に問い掛けた。だが、軍団員はかぶりを降った。
「人口的に作られた地下室です。すぐ下は探るまでもなく何もありませんでしたが、横穴があって更に奥へ地下が伸びている模様です。かなり奥があると見えたので、一旦、戻って参りました」
 部隊長は冬獅郎たちを顧みた。
「我々は捜査の為、入ってみます。我々の捜査の結果を待ちますか?」
「いや。一緒に捜査させてくれ」
 冬獅郎は即答した。彼がそう言い出すことは予測のうちだったらしく、部隊長も即座に、
「分かりました」
と了承した。
 刑軍に続いて、冬獅郎、ギン、絢女も地下に降りた。絢女に無理をさせるわけにはいかないとギンと冬獅郎が主張し、結局、絢女はギンに負ぶわれて縄梯子を降りる仕儀となった。

 地下室は精々が四畳半程度の狭い空間だった。小さな作り付けの棚が埃を被っているばかりだ。照明器具もなく、刑軍が用意した角灯ランタンだけが頼りだ。先に偵察に降りた男が報告した通り、部屋の隅に朽ちかけた扉があり、その向こうに四角いトンネル状の通路が続いていた。
 狭い通路に彼らは順繰りに入り込んだ。そのまま、縦列でしばらく進む。やがて、通路が左右に別れた箇所に辿り着いた。右手側の通路は壁に沿って古い木製の扉が断続的に並んでおり、部屋があることが窺えた。一方、左手側の通路はこれまでと同様にただ奥へと続いているだけだった。
 刑軍は右手側の通路沿いの部屋を一つ一つ検分すると告げたので、冬獅郎たちは左側の通路を探索することにした。何かしら不審な点や発見があれば、ただちに伝令神機で連絡を取り合うことを約定し、三隊長と刑軍は右と左に別れた。
 左の通路はごくわずかに下方に向かって傾斜していた。天井には補強の為、板が取り付けられている。左右の壁は堅牢な地盤をくり貫いたままの状態であるが、所々に天井板を支える為の太い柱で補強されていた。
 振り返っても、分かれ道となった最初の通路が確認できなくなるくらいに進んでからしばらくして、真正面に頑丈な鉄の扉が現れた。そこで通路は行き止まりで、どうやら、冬獅郎たちの択んだ通路はこの扉に至る為だけのものらしい。
 扉には太い閂が掛かっていたが、経年によりすっかり錆びて脆くなっていた。冬獅郎が少し霊力を込めて握りしめると、閂はぼろぼろと崩れた。一方、扉自体は表面に赤錆が浮いていたが、朽ちてはいなかった。冬獅郎とギンが目を見合わせ、錆び付いて動かない扉を力任せに開こうと試みた。中がどうなっているのか分からないので、破道で破壊することは避けた。二人がかりで押したり、引いたりを幾度も繰り返した後、漸く、ぎぎ、と鈍い軋みを上げて、扉が動いた。
 黴臭い、淀みきった空気が、幾年月ぶりかの開帳に伴って、ゆるりと動く。
 空気が悪い、と見て取った冬獅郎らは、通路でそのまま待っているよう、絢女に合図した。絢女は頷きかけた。が、その動作は途中で止まった。秋篠の柄に手を触れた彼女は、
「秋篠が…」
と呟いた。
「どうしたんだ?」
「秋篠が何か言うとるん」
 冬獅郎とギンの問い掛けに、心なしか熱が籠っている。
「何か、感じたみたいなの」
と絢女は答えた。
「震えているわ…」
 彼女は弟と恋人の顔を等分に見た。
「やっぱり、私も入ってみる」
 この秋篠の震えを信じよう。もしかしたら、この扉の向こうにこそ、一連の事件の手掛かりがあるのかもしれない。
「ああ」
 冬獅郎は頷いた。ギンは懐から出した手拭いを絢女に渡すと、
「鼻と口、これで覆っとき。ないよりましや」
と気遣った。
「ありがとう」
 三人は室内に入った。刑軍から借りた角灯ランタンを掲げて、辺りを検める。
 広い、けれども、何もない四角形の部屋だった。壁は剥き出しの地盤だったが、扉の真正面に大きな岩が飛び出していた。岩の最上部は絢女の胸よりやや下ぐらいにあった。但し、露出している部分は全体のごく一部らしい。下部は床に埋まっているし、厚みも壁の向こうの地盤の中に続いているようで、かなり大きな岩だ。
「なぁ、これ?」
 ギンが岩を指差した。岩の上部には浅い擂鉢状の明らかに人工的な窪みがあった。その窪みにさし渡すように、ぼろぼろの太刀が一振り、横たわっていたのだ。鍔の鮫革は朽ちて半ば崩れかけている。鞘も見当たらず、剥き出しの刃は錆に覆われていて、ほんのわずかでも力を入れて触れようものなら、ぼきりと折れてしまいそうだ。
 けれども、何故だろう。絢女も、ギンも、冬獅郎もその朽ちた太刀から目を逸らせなかった。まるで、魅入られたようだった。
 どれほどの間、太刀を見つめ続けていたのだろう。絢女はふと、秋篠が再び刀身を震わせていることに気が付いた。幽かに、幽かに。腰に佩いている絢女さえすぐには気付かないほどの幽かな震え。思わず、絢女が柄に手をかけると、秋篠は、やっと気付いたと言いたげに、少し大きく震えた。自らの斬魄刀の意思に引かれるように、絢女は秋篠を抜いた。ゆっくりと秋篠の刃を崩れかけた太刀の錆びだらけの刀身に触れさせる。
「姉さま…?」
 姉の行動を訝しんだ冬獅郎だったが、すぐに彼も背中の氷輪丸が冷気を放っているのを覚った。主たる冬獅郎に何かを訴えようとしている氷輪丸の想いを感じ取り、冬獅郎は絢女に倣って斬魄刀を抜いた。ほとんど同時に、彼の隣でも、ギンが神鎗を抜刀していた。秋篠の刃に重ねるように、ギンと冬獅郎が各々の斬魄刀を触れさせた時、目も眩むような閃光が辺りを包んだ。

 朽ちかけたあばら屋の粗末な板敷に、乱菊は叩きつけられた。
 痛みに一瞬、気が遠くなりかけた隙に、男の大きな体が彼女の腰に圧し掛かった。別の男が乱菊の両手を抑え込み、もう一人に足を押さえつけられ、乱菊は抵抗する術を奪われてしまった。彼女を押さえつけている男たちの他に、あと三人ばかりが下卑た眼で、乱菊の体を舐めまわすように見ていた。
「まだ餓鬼だが、ずいぶん上玉じゃねえか」
「金髪とは珍しいな。いい値がつくぜ」
 会話から、彼らが女衒ぜげんだと知れた。
(落ち着かなきゃ…)
 乱菊には霊力がある。膂力では到底かなわないけれど、霊力を使えば、何とか彼らを倒してこの場から逃れられるかもしれない。

 使いどころを間違うたらあかんよ。

 彼女に霊力の制御方法を教えてくれた少年の言葉が甦った。
「ずっと走り続けたら疲れてもうて、しまいには走れんようになってまうなァ? 霊力も同じや。むやみに使うたら疲れてしもうて、いざ、いう時にちゃんと力を出せへんようになってまうんや」
 男は六人。それもがっしりとした体格の屈強そうな者ばかりだ。一度か、せいぜい二度の霊力の放出で、彼らにこれ以上追いかけられないくらいの強烈なダメージを与えられなければ、乱菊に分はない。
 ぎゅっと目を瞑った乱菊を、怯えきって観念したのだと見たらしい。腰に馬乗りになっていた男が、乱菊の着物の合わせから手を突っ込み、胸を鷲掴んだ。
 凄まじい嫌悪感と、恐怖感が乱菊の背を貫いた。思わず漏れそうになる悲鳴を必死に咽喉の奥で堪える。
「餓鬼の割りにいい身体してるじゃねえか」
 女の子らしく仄かに膨らみ始めた乱菊の胸を男は乱暴に揉みしだく。這い上がってくる悪寒と戦っていると、別な手が反対側の胸を掴んだ。乱菊の腕を押さえていた男だ。
(いやだ…)
 恐怖に歪んだ乱菊の顔を面白そうに見遣りながら、にやにやと男も幼い胸の膨らみを弄る。足を押さえていた男が腿を撫でまわし始めた。周りで見物を決め込んでいた男の一人が近付いてきて、隙間から手を伸ばして乱菊に触れた。
(いや…)
 乱菊は必死に耐えた。蜜に羽虫が集るように、男たちは乱菊に引き寄せられ、彼女の身体を弄り始めた。全員が至近距離に集まったのを確認し、
(今だ!)
 乱菊は耐えに耐えて溜めこんでいた霊力を一気に放出した。
「うわっ!」
「ぐえっ!!」
 無力な少女をいたぶることに夢中になっていた男たちは、この不意打ちの衝撃を防御出来なかった。勢いよく弾き飛ばされ、あばら屋の壁や柱に叩きつけられた。
 一人の男は気を失っている。残りの男たちは呻いている。今のうちに、と乱菊は身体を起こした。とにかく、逃げなければ。
 だが、あばら屋の戸を駆け抜ける直前、腕を掴まれた。ぶんと勢いよく身体を振られ、乱菊は再び、板敷に投げ出された。
 直後、髪を掴まれ、力任せに頬を張られた。
「あっ…」
 打ち所が悪くて意識を失った男と、未だに呻いている男が一人。それ以外の男たちは痛みに顔を歪めながらも起き上がり、乱菊を囲んでいた。何が起こったのかはよく理解していないらしい。だが、常に痛めつける側に立っていたのが、訳の分からないうちに痛めつけられる側に回ったことで、男たちは怒り狂っていた。男の蹴りが乱菊の腹に入った。
(怖い!)
 もう一度、霊力をぶつけて…。
 だが、恐怖に駆られた乱菊はうまく霊力を集中することが出来なかった。二度、三度と頬を張られ、腹を蹴られて、気が付いたら、再び身体を弄られていた。まるで、芋虫に這い回られているような感触に、乱菊は吐き気がこみ上げて来た。
(助けて…、怖い…)
 自力では逃げられず、乱菊は必死で助けを求めた。
(助けて、助けて…)
「いやぁ!! ギン! ギン!! 助けて!!」
 乱菊にとって、唯一人縋れる相手の名がついに口を突いた。
「ギンッ! ギンッ!!」
 同時に狂ったように暴れる。けれども、屈強な男にしっかりと押さえつけられた身体は、どれだけ暴れようとびくともしなかった。
「助けて、ギン! ギンッ!!!!」
 突然、乱菊の真上にいた男が横にいた男を巻き込んで吹き飛んだ。男が叩きつけられた勢いで、朽ちかけていた柱が音を立てて折れ、あばら屋が傾いだ。みしみしと音を立て、連鎖で折れそうな柱に別の男がぶち当たった。
 乱菊の腕を誰かが掴んだ。引き摺るように乱菊を抱え起こすと、その誰かは転げるようにあばら屋を脱出した。直後、乱菊の背後であばら屋が崩れた。
「ギン…」
 乱菊は自分を抱きかかえ、救ってくれた者を見上げた。ギンは黙って、震えている彼女を抱き寄せた。
 乱菊を襲った男たちはあばら屋の下敷きになっている。だが、柱も、壁も朽ちかけた小さなぼろ小屋だ。致命的なダメージにはなっていないと、ギンは判断した。乱菊の顔を自分の胸に押し付けるようにして庇いながら、ギンは霊力を放って、崩れたあばら屋に火を放った。
「逃げるで、乱菊」
「う、うん」
 恐怖で脚をもつれさせる乱菊を、半ば抱えて、ギンは走った。背後で放った火が勢いを増し、下敷きになった男たちの苦悶の叫びが響いていたが、構わずに走った。
 ギンの足が緩んだのは、二人が現在ねぐらにしている小さな洞窟が見えた時だった。
 洞窟の中の粗末な莚の上に座らされて、乱菊は震えが止まらなかった。力づくで押さえつけられた恐怖が、身体を探られた嫌悪感が全身を満たしていた。
 今日のようなことは実は初めてではなかった。だが、これまでの相手は単独か、せいぜいが三人くらいのものだった。乱菊はギンに教わった霊力による攻撃を用い、いつもぎりぎりのところで男たちから逃れていたのだ。攻撃に失敗し、再び押さえつけられたのは初めてだった。
「乱菊…」
「…ごめん、ちょっと…」
「うん」
 分かっているよ、という顔で頷く少年に泣きたいような気持になりながら、乱菊は洞窟を出た。少し離れたところで蹲ると、彼女は吐いた。
 自らの膚を撫でまわす指は、丸々と太った芋虫が這いずっているような感触を、乱菊にもたらした。時に唇で舐めまわされた時には、蛞蝓が身体を蠢いている錯覚を覚えた。おぞましくて、汚らわしくて、男に襲われた後、彼女はいつも吐き気が止まらなかった。胃液さえ出なくなるほど吐いて、乱菊はようやく立ち上がった。ふらふらと洞窟に戻ると、ギンが心配そうに待っていた。
 崩れるように莚にしゃがみ込んだ乱菊の傍らに、ギンは腰を下ろした。そっと乱菊を引き寄せると、彼は宥めるように彼女の背中をさすった。
「もう大丈夫やよ…」
「うん…」
「悪い奴らはボクがやっつけたったし、大丈夫やよ」
「うん…」
 それ以上、ギンは何も言わず、乱菊の震えが納まるまで、ただ、彼女抱きしめていた。やがて、漸く、落ち着いたのか、乱菊は小さな声で、
「ギン…」
と呟いた。
「何?」
「助けてくれて、ありがと…」
「ええよ、別に」
 ギンは言った。それから、いつもの優しい声で、
「これから、お礼はちゃんと貰うし」
といつもとは全く違う言葉を続けた。
「え?」
 違和感を覚え、乱菊は顔を上げた。彼女の眸に映ったのは、もう少年ではないギンだった。その口許に湛えられたにやにや嗤いに、乱菊の身体は凍り付いた。
「…ひっ…」
 その嘲笑はギンが相手を見下す時に浮かべるものだ。そして、それは未だかつて、乱菊に対しては向けられたことがないものだった。慌てて、乱菊は逃れようとした。だが、ギンの動きの方が速かった。
 乱菊を押し倒したギンの目は、血色に歪んでいた。冷たく見据える侮蔑を含んだ光に、乱菊は過ちを覚った。
(違う、こいつ、ギンじゃない!)
 乱菊自身、いつの間にか、幼い少女から成熟した女の姿に変わっていた。
 大事な幼馴染の姿をした得体の知れない化け物に押さえつけられ、乱菊は必死で抵抗しながら、絶望の叫びを迸らせた。


*1 七間=約12m。

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2013.08.04