彼方からの声


 光が治まった時、辺りを満たしていたのは暗闇だった。角灯ランタンの灯もない。自分自身の姿さえ視認できない闇の中、
「絢女、冬獅郎はん、おる?」
 ギンの声がした。
「いるわ」
「ここにいる」
 互いの声は極めて近いのに、霊圧さえ感じない。冬獅郎は氷輪丸を持っていない左手で、閃光に包まれる直前まで岩があったと思しき辺りを探ってみたが、何も触れなかった。
「声が聞こえるから聴覚はあるし、触覚もちゃんとあるみたいだけど…」
 絢女は自分で自分の身体に触れて触覚を確認しながら続けた。
「視覚と霊圧知覚は失ってしまったのかしら?」
「多分、ここ現実空間やないで、せやから霊圧知覚が利かへんのとちがうかな?」
 ギンは絢女の声を頼りに指を伸ばした。指先に触れた死覇装の袂らしい布をくい、と引っ張ると、
「ギン?」
と絢女は声を上げた。
「ああ、やっぱり絢女か。今、ボクが握っとるのって」
「死覇装の右の袂」
「あ、やっぱり。ちょっと動かんどって」
「右手、秋篠を持っているから気を付けてね」
「了解」
 ギンは袂を手繰って、絢女の右手に辿り着いた。秋篠の柄を握ったままの絢女の手の甲を上から包みこんで、ギンはほっと息を吐いた。
「冬獅郎、どこ?」
「多分、すぐ隣りだと思う。姉さま、そのまま声だけ出して動かないでいてくれ」
「分かった」
 絢女が冬獅郎の名を繰り返しながら佇んでいると、近付いてきた冬獅郎の指先が絢女の肩を探り当てた。
「これは左肩だな?」
「そうよ」
 冬獅郎は氷輪丸を左手に持ち替えると、右手を絢女の肩においた。そのまま下に滑らして、姉の掌に辿りつくと、絢女は冬獅郎の手をぎゅっと握りしめた。
「これ、氷輪丸たちの共鳴が起こした現象なのか?」
 絢女の向こうにいるはずのギンに冬獅郎が問いかけると、
「多分な…。断言は出来ひんけど、多分そうやと思う」
「…あのぼろぼろの刀が呼んだのかしら?」
「多分…」
「ってことは、ここは精神世界か?」
「当たらずとも遠からずってとこでしょうね」
と絢女が答えた。
「冬獅郎はん、絢女と手を繋いどるん?」
「ああ」
「右手で?」
「ああ」
「そやったら、正面は一緒の方角やな」
 確認したギンは、
「二人とも、そのまま顔を真っ直ぐ前に向けてみ。なんやぼんやりした光が見えへん?」
と告げた。
「ああ、見える」
 三人は光を凝視した。光は少しずつ明るく、強くなっていった。だが、すぐ隣にいるはずの仲間の姿も視認できない真っ暗がりでは距離感が失われていて、光が近付いてきているから強くなったと感じるのか、位置関係は変わっておらず、純粋に輝度が増しているのか判断がつかなかった。
 やがて、三人は光が人型の輪郭を取り始めたのに気付いた。息を殺して見守る彼らの前で、やがて光は一人の若い男の姿になった。
「あなたは誰?」
 代表して絢女が問うた。向かい合う青年はゆっくりと答えた。
「わたしはもう一つの『鏡花水月』です」
 ぴくり、とその名乗りに三人は反応した。
「もう一つのってどういうことだ? まさか、鏡花水月は、」
「花天狂骨や双魚理のような二刀一対の斬魄刀ではありません」
と冬獅郎の疑問を先んじて、青年は否定をした。
「せやなかったら、どういう意味なん?」
 口調こそ緩いが、底に苛烈な意志を籠めて、ギンが追及する。
「もう一つの鏡花水月というのは不適切だったかもしれません。そもそも、鏡花水月という名の斬魄刀は最初から存在しないのです」
と青年は告げた。
「はぁ?」
 あまりにも思いがけないことを告げられたせいで、ギンは常の彼らしくもなく素っ頓狂な声を上げた。驚きはしたが、彼よりも幾分かは平静さを保った冬獅郎が、
「存在しないってのはどういうことだ? 藍染の斬魄刀は鏡花水月だったはずだ」
と疑問を口にした。
「鏡花水月の真実の名は『夢織ゆめおり』です」
 青年は答えた。
「『鏡花水月』は狂ってしまった夢織に、藍染惣右介が付けた名に過ぎません」
「…斬魄刀が狂ったというの?」
 今度は絢女が問うた。青年はそれを肯定した。
「はい、狂ってしまいました。主の死神ごと。一乗寺貴紗を操り、乱菊殿を攫ったのは夢織であり、夢織の主でもあります」
「そうか。で、キミは誰なん?」
 青年の説明で衝撃から素早く立ち直ったらしい。ギンが冷静さを取り戻した。
「もう一つの『鏡花水月』なんて名乗るくらいや。夢織に関係のある斬魄刀と思てええかな?」
「ご推察の通りです」
と青年は頷いた。
「わたしと夢織の関係について、少しの間、話しを聞いて頂けますか?」
「俺たちは一刻も早く乱菊を助けたいんだ」
「存じております。ですが、乱菊殿を助ける為にも必要なことなのです」
 重ねた青年に、
「そのつもりで、ボクの神鎗も、秋篠も氷輪丸も、キミに手ェ貸したんや」
とギンが応じた。
「ええよ、話してや」
 相変わらず、暗闇に支配された空間で見えるのは青年の姿だけだった。
 三人が話を聞く態勢になったのを認め、青年は語り始めた。

 わたしの名は「道切みちきり」と申します。主は一乗寺水月みつきという青年でした。そして、夢織の主は一乗寺鏡花きょうか。水月の双子の姉です。まだ、尸魂界が混乱の中にあった頃、霊王と元柳斎殿がこの世界を平定する以前に二人は産まれました。そして、わたしと夢織は、それぞれの主であった水月と鏡花の魂から別れて生まれ出でた斬魄刀なのです。
 あの争乱の時代。元柳斎殿が率いる霊王の軍勢に付くにせよ、刃向って反乱分子に付くにせよ、ものを言うのは霊力でした。朽木家にしても、四楓院家にしても、当時の戦功が現在の地位の強力な礎となっていることは、貴方がたもご存知の通りです。一乗寺家も例外ではありません。当時は中堅どころのどうといったことのない家柄だった一乗寺を上級貴族の地位に押し上げたのは、戦功によるもの。そうして、その功績は他でもない鏡花がもたらしたものでした。
 鏡花の霊力は強かった。とても、とても、強かった。一方、双子の弟の水月の霊力は凡庸でした。一族の者たちはろくな霊力のない水月を厄介者扱いしておりました。ですが、一族の者はほとんど誰も気付いておりませんでしたが、鏡花の戦績は水月の存在があってこそのものだったのです。水月なしでは、鏡花は戦えませんでした。

「何故ですか…?」
 沈痛に面を伏せた道切に、絢女は問うた。道切は苦悩に満ちた眼差しで絢女らを順ぐりに見詰め、それから、太い溜息の後に続けて答えた。
「心が弱かったからです」
「…弱い?」
「はい。戦士としては致命的に彼女は心が弱かった。本来の鏡花はとても繊細で傷付きやすい娘だったのです。他人の苦痛に心を抉られ、流される血に怯える娘が戦場に耐えられるとお思いですか?」
 道切の問いに、
「無理だな」
と冬獅郎が断じた。
「そう…、無理だったのです。ですが、無理と言って許されないほどに、鏡花の霊力は強すぎた…。戦場に立つことを周りから強制されるほどに、彼女の霊力は一族でも突出していたのです。その恵まれた霊力により戦功を上げ、一乗寺の地位を安泰にすることが一族の総意でした。一族全員からの期待と圧力に、心の弱い鏡花は逆らうことなど出来なかったのです」
 道切はつらそうに先を続けた。

 繊細で傷付きやすい娘が血腥い戦場に赴いたにもかかわらず、目覚ましい働きが出来たのには理由がありました。
 第一には、自らが生み出した夢織の能力です。夢織はその名の通り、夢を織り出す斬魄刀でした。敵を自らが織り出した甘美な幻に引き込み、幸せな夢の中に浸らせたままで苦痛のない死を与えるのが夢織の能力です。他人の苦痛…、いえ、正確には苦痛にのたうつさまを正視することに耐えられない鏡花が自分の心を護る為に作り出したのが夢織だったのです。
 第二には、戦場において、鏡花は傀儡に過ぎなかったという点です。倒すべき敵を定め、生かすのも、殺すのも、決断するのは水月の役目でした。鏡花は彼を将としてその命じるままに働いているだけの兵士だったのです。敵の死も苦痛も、場合によっては味方を見捨てること、裏切ること。苦悩と煩悶を伴う全ての決断を水月が担っていました。意志決定の全責任を水月が担い、相手に与える苦痛を夢織が誤魔化すことで漸く、鏡花は心折れることなく、無敵の剣士として君臨することを得たのです。
 おそらく…。
 鏡花と水月は本当であれば、一人で生まれて来るべき者だったのでしょう。それが、運命のいたずらで魂が二つに割れてしまった。しかも、二つに割れる際に能力が等分に別れることが叶わなかったのだと思います。霊力はほとんど全て鏡花に吸収されてしまい、水月には残り滓の霊力だけが遺された…。しかし、精神的な強さや判断力、冷静さ、健全な思考力は水月に与えられ、鏡花は虚弱で脆い心しか持てなかった。結果、いびつな双子が誕生してしまったのです。
 霊力だけならばそれこそ、貴方がた、護廷隊長と比べても遜色ない…、いえ、それ以上とさえ言えるほどの能力を持ちながら、心弱く、不安定で脆い鏡花と、冷静沈着で決断力に富み、指揮官の器を持ちながらも、戦士としては惰弱な霊力しか持たぬ水月と…。水月のような凡庸な霊力の男から、わたしという斬魄刀が分かれるというのも本来はあり得ないことです。斬魄刀を新たに生み出せるのは隊長級の極めて強い霊力の持ち主だけですから。それもまた、本来は鏡花と水月が一人であるべき証拠なのかもしれません。鏡花と水月が互いに欠けた半分を補い合っていたように、わたしも夢織を補う為の存在だからです。単体の斬魄刀としては不完全な夢織を完全な斬魄刀とする為の対のものとして、水月はわたしを生み出すことを得たのでしょう。

     わたしの能力は夢織の夢を終わらせるものです。

 幻惑を断つという点では、絢女殿の秋篠の能力と少し似ているように思われるかもしれません。しかし、秋篠の能力は幻覚を見せる為の幻惑場を吹き払うことにより、幻惑そのものが発動出来ないようにものです。相手は夢織である必要はありません。一方、わたしの能力は夢織の織り出した幻惑それ自体に入り込み、夢を断ち切るものです。実は、夢織の夢に溺れたまま死んだ魂魄は囚われたままになってしまい、輪廻の流れに還れないのです。夢織が斬魄刀としては不完全というのがそこです。輪廻の正しい流れに魂を還すという斬魄刀の本来の役割からすると、夢織はあるまじき能力ちからでした。魂魄が浸りきっている幻を終わらせ、正しい輪廻の流れに戻すという、夢織に欠けている役割を担っていたのが、わたしなのです。逆に言えば、それ以外には何の力もありません。わたしがいなければ夢織が斬魄刀としては不完全であるように、わたしは夢織がいなければ存在意義すらないのです。
     夢を織り出し、その夢を断ち切る。
 鏡花と水月は本来が一人でした。そして、夢織とわたしも本当であれば一振りの斬魄刀であるべきだったのです。

 ギンはゆっくりと息を吐いた。
「なるほどなァ。花天狂骨や双魚理とは違う意味で、キミと夢織は二刀一対なわけや」
「はい…。わたしがもう一つの『鏡花水月』だと申した理由がご納得いただけましたか?」
「うん。納得したで」
 ギンは頷いた。
「こないなところで朽ちかけとるキミが全てを理解っとる口ぶりなんも、キミと夢織が一対で繋がっとるからということでええん?」
「はい。わたしと夢織は深層で繋がっています。正気を失くしている夢織に、わたしのか細く弱々しい声は届きません。ですが、わたしには夢織の苦しみも、狂気もすべて見えているのです」
 ギンは矢継ぎ早に、
「ほんで?」
と重ねた。
「鏡花水月の片割れのキミが、こないなところで朽ちかけとるのんはどういうことなん? もちろん、夢織が狂うてしもとることと関係あるねんなァ?」
「お察しの通りです」
 道切は予定調和で、肯定を返した。
「わたしの主である水月は、もうこの世界にはおりません。わたしが納められていたあの地下室は遠い昔に水月が殺された場所です」
 その言葉に、冬獅郎と絢女は眉を顰めた。
「殺された?」
「はい」
 恬淡と、道切は返答する。
「誰に?」
 重ねての問い掛けに、
「一乗寺の一族の者に、です」
と道切は返した。
「どうして、そんなことになってしまったのですか?」
「水月が禁忌を犯したからです」
「禁忌って…? 一体、何をしでかしたんだ?」
 道切の面に浮かんでいた憂愁の色が一際深まった。彼は今までにも増して重たい声音で答えを吐き出した。
「もともと一人で生まれて来るはずだった者が二つに分かれてしまったのです。もう一度、ひとつに戻ろうと願うのは自然なことだと考えられませんか?」
と。
 道切以外は何も見えない暗闇の中で、冬獅郎らは見えない相手と目を見合わせた。
「…つまり…」
 冬獅郎が口火を切った言葉を、ギンが引き取った。
「水月と鏡花はデキとったと?」
「下世話な言い方をすればそうなります」
 道切は認めた。
「あ~、それはまた、禁忌中の禁忌やなァ」
 ギンは確認するまでもない事実を、敢えて、声に出して告げた。
 近親姦は現世と同様に尸魂界においても、禁忌である。どこまでの近親姦を禁忌とするかは、現世でも国や時代によって異なっている。同じように尸魂界でも、流魂街と瀞霊廷ではかなり事情に違いがあった。現世の記憶を失った魂魄が流れ着く流魂街では、現世での親子関係、兄弟関係はほぼ断絶している。冬獅郎と絢女、あるいは白哉の妻・緋真とルキアのように同時に死んで、同時に魂葬されたような特殊な例外を除いて、仮に流魂街で巡り合ったとしても互いに肉親だと認識できないのだ。従って、近親という概念自体がほとんど存在しないに等しい。だが、近親姦をタブー視する意識は魂の深いところに刻まれているらしく、譬え疑似であっても家族を形成した場合、親子間での姦淫は忌まれる傾向があった。
 一方、霊力のある親から尸魂界で生まれたという出自を持つ貴族が人口のほとんどを占める瀞霊廷においては、肉親の概念は現世と同様にきちんと機能している。当然、禁忌の範囲は流魂街よりも広く、一般に従兄妹(従姉弟)姦までが忌嫌されていた。
 瀞霊廷では法に則った婚姻手続きが行われている。瀞霊廷の婚姻法によると、親子、兄弟姉妹(腹違い、種違いも含む)、伯父(叔父)姪、伯母(叔母)甥、並行従兄妹(従姉弟)
*1 の婚姻は禁忌として認められなかった。当然、この近親関係の間で交わされた婚姻の届けは受理されない。万が一、これらの近親間の姦淫が明るみになれば、処罰の対象となる。当事者は流魂街の両極の果てに追放となるのは無論、場合によっては一族も処罰対象となるのだ。なお、あまり望ましくはないと認識されているものの、交差従兄妹(従姉弟)婚は合法とされている。この並行従兄妹婚を禁じ、交差従兄妹婚を合法とするのは、上級貴族が財産の分散を最小限に抑え、かつ近親婚による血の濃縮の危険を回避する為の手段として取り入れた側面があった。
 親子兄弟関係が成立する瀞霊廷内では、同父同母の兄弟姉妹姦は親子姦に匹敵する最大禁忌である。まして胎内までもを共に過ごした双子姉弟が通じていたとなれば、それは最も穢らわしい、獣に劣る振舞いと見做される。
「ですから、一乗寺の一族は露見を怖れました。このような醜聞が明るみになれば、鏡花が立てた戦功も全く無意味になってしまいます。一族の安泰の為には、二人の関係を隠し通さねばなりませんでした」
「なるほど。それで、水月を殺したのか」
 冬獅郎が得心がいったと頷いた。
「霊力の強い鏡花は一族にとって必要だった。だが、水月は平凡な霊力しか持っていない。さっきの話だと、一族の者は水月の果たしている役割をろくに理解しちゃいなかったんだろう? 公になる前に力ずくで関係を止めさせようとするなら、役立たずと思われていた水月を排除するのが手っ取り早かったってことだな」
「その通りです。鏡花の戦功は水月がいればこそのものでした。ですが、誰もそれを認識していなかった。鏡花の傍に常に寄り添う水月は、下僕のように彼女の身の回りの世話をする為に従っているのだと、皆、信じ切っておりました。実際には、鏡花は水月がいなければ戦えなかったのですが、その事実をおぼろげにでも察していたのは、二人の母親くらいでしたでしょう」
 絢女が呟くように小さな声で確認した。
「鏡花は最愛の男性を殺されて、狂ってしまったのですね」
 道切は首を縦にひとつ振ることで、それを認めた。

 か弱く脆い鏡花の心は水月を失って、正気を保つことさえ出来なかったのです。
 むろん、水月の殺害は鏡花には伏せられていました。彼女に対しては、実の姉との関係を悔やみ、失踪したという説明がなされたのです。しかし、鏡花はそのような誤魔化しに納得しなかった。それに、彼女と水月の間にあった見えない絆が、水月の異変を彼女に知らしめていました。わたしが離れていても夢織を感じているように、鏡花も何か禍々しいことが水月の身に起こったことを感じ取り、さらに彼の気配が失われたことに焦燥しました。それゆえ、突然、自分の前から消えてしまった弟を死に物狂いで探したのです。
 探して、探して、探して…。
 彼女はついに真実に辿り着きました。ですが、明らかになった真実は鏡花には耐えがたいものでした。水月が死んだこの場所で、彼女は発狂しました。彼女を宥めようとした母親を含めて、十数人もの一族の者が狂乱した鏡花に殺されたのです。むろん、狂った鏡花が操る夢織がもたらす死は、それまでのような苦痛のない甘美な幻覚ではありません。身の毛もよだつような強烈な悪夢によって責め苛まれ、皆、狂死に追い込まれていったのです。
 この事態に怖れをなした一族の生き残りは、力を合わせることで、どうにか鏡花を結界の中に幽閉することに成功しました。ある意味、鏡花が発狂していたのが幸いしたとも言えましょう。彼女の強い霊力をもってすれば、冷静でありさえすれば、結界を破ることは難しくはなかったはずだからです。しかし、理性を失い、ただ、ただ、もうどこにもいない水月を求めるだけの鏡花には、何重にも施された結界を破るほどの思考力は残っていませんでした。幽閉された結界の中で、愛しい水月はおろか誰ひとりいない孤独から逃れる為に、鏡花は自らの斬魄刀に溺れました。夢織の紡ぐ水月のいる夢の世界に沈み込んでしまったのです。
 彼女が深い眠りに就いて後、幾人かの一族の者が彼女の殺害を試みました。発狂した鏡花を一族は持て余し、怖れていたからです。ですが、誰一人として、成功しませんでした。夢織が鏡花を護っていたからです。彼女の眠りを妨げようとする者に、夢織は容赦なく地獄のような悪夢を与えました。そうして、刺客がことごとく無惨な返り討ちに遭うことが繰り返された結果、一乗寺は鏡花をおとなしく眠らせたままにしておくことに決めたのです。彼女に害を加えようとさえしなければ、夢織も攻撃することはありません。ただ、静かに彼女を眠らせておくこと。それが一族の総意となったのです。
 後になって判明したことですが、水月が殺された時、鏡花はすでに彼の子を身籠っていました。鏡花自身、自覚していませんでした。彼女は赤子の存在を知らぬままに眠りに就いてしまったのです。この為、お腹の子供はひっそりと成長し、一族の者が気が付いた時にはもう堕胎出来ないくらいに成長していました。
 …いえ、堕胎が可能だったとしても、それを実行する者はいなかったでしょう。鏡花に手を出せば、夢織に嬲り殺されるだけですから。
 死産を望まれながら、鏡花の赤子は無事に産まれました。女の子でした。そして、放置するわけにもいかなかったので、赤子は鏡花の父方の叔母夫婦に引き取られたのです。
 表向きには叔母夫婦の実子として届けが為されました。本音を言えば、禁忌の子など殺してしまいたかったことでしょう。けれども、その子に手をかけて夢織に報復されることを、皆、怖れました。しかも、その娘には母譲りの強い霊力が備わっていることが判明したのです。未だ争乱の中にある尸魂界で、母親同様に戦功を立てることが期待出来るほどの霊力でした。権力志向の強い一族は鏡花の身代わりに、娘に望みを掛けたのです。鏡花の娘は自らの出自を死ぬまで知らされぬまま、叔母夫婦を両親に成長し、鏡花ほどではないにせよ、まずまずの戦功を上げて一族に貢献しました。現在の一乗寺宗家はその娘の直系の子孫に当たります。

 長い、長い年月。
 一乗寺家の閉ざされた一室で、鏡花は眠り続けていました。
 山本元柳斎殿が尸魂界を平定し、世界の秩序を護る為に護廷が組織され、霊王が異界に隠れ、世界がどれほどに変わろうと、鏡花は夢織の織り出す幸福な夢の中で暮らし続けていたのです。

「それを破ったのが藍染か?」
「いえ、違います。藍染は鏡花を目覚めさせたりはしませんでした。彼は鏡花に用などなかったのです。彼が欲したのは夢織でした」

 藍染は直系でこそありませんでしたが、鏡花の血脈に連なる者でした。そして、彼の霊力は鏡花に波長が良く似ていた…。それ故、長い年月の間に直系の一族からさえ半ば忘れられていた鏡花の存在に気が付きました。
 彼は結界に侵入し、眠り続ける鏡花と彼女を護る夢織にまみえました。
 そして、彼は夢織と契約したのです。

 誰からともなく、溜息が洩れた。
 重い空気を裂くように、
「自分の斬魄刀として働くように契約したわけか?」
と冬獅郎が呟いた。
「…でも、何故? 眠っているとはいえ、夢織の主の鏡花は生きていたのでしょう? ずっと彼女を護り続けていた夢織が主を捨てて、藍染に従ったのですか?」
 絢女の疑問に、
「夢織は鏡花を見捨てたわけではありません」
と道切は告げた。
「ですが、夢織は孤独だったのです」
「孤独?」
「はい…。皮肉なことに、鏡花が夢織の見せる幸せな幻影に浸りきってしまったが故に、夢織は孤独になってしまいました。鏡花は夢から出ようとせず、夢織は忘れ去られてしまったのです。けれども、夢を終わらせれば、鏡花は壊れてしまう…。どうすることも出来ないままに、何百年、何千年と過ごして来た夢織の寂しさに、藍染は付け込んだのです」
 憂愁だけを表わしていた道切の面に、初めて、怒りが揺らいだ。
「あの男は水月を甦らせることを夢織に約定したのです」
 一息に言い切った道切に、
「馬鹿な!」
と冬獅郎が反論した。
「水月は死んだのだろう? 死んで輪廻の流れに還った者を甦らせるなんて出来るわけない」
「藍染は出来ると言いました」
 苦々しく、道切は答えた。
「真実、可能かどうかは分かりません。それは問題ではないのです」
「夢織が信じてしまったことが問題なのね」
と絢女は呟いた。
「水月が甦れば、もう夢織は鏡花に偽りの夢を見せ続ける必要はなくなる。鏡花は逃げ込んでいた夢から戻り、もう一度、夢織を認め、向き合うと…、藍染は夢織にそう信じさせたのね」
「はい…」
 斬魄刀は死神の魂の半身。まして、夢織のように、主の魂から別れ出でた斬魄刀であればなおのこと、主から忘れ去られる孤独は重かったはずだ。
 ギンは無意識で、神鎗を握っていた手に力を込めた。鏡花のように己の斬魄刀を忘れ果てこそしなかったが、彼も神鎗をないがしろにしたことがある。
「我は護り刀」
 初めて神鎗に出会った時、彼はそう告げた。
「主を護り、主が大切に想う、護りたい者を護るが我の本懐」
 自ら護る為の刀だと名乗った神鎗を、ギンは長らく暗殺剣として働かせた。護る、という本分から最も遠い場所に神鎗を置いたのだ。彼の本当の望みから目を背け、ないがしろにし続けたギンに対して、それでも神鎗は見捨てることなく寄り添うことを止めなかった。
(堪忍…)
 声にしない謝罪を感じ取ったか、手の中で神鎗が幽かに震えた。神鎗が道切に力を貸した理由が、ギンは朧げに理解った気がした。

 藍染は、覇権を握れば水月を甦らせることが出来ると断言しました。輪廻の流れを支配するのは霊王です。藍染が霊王の力を手に入れれば、輪廻の中から水月の魂を探し出すことが出来る、そして、見つけ出した魂に新しい器を与えてやれば、水月は甦ると、あの男は夢織に囁いたのです。
 藍染の野望の為の策謀に、夢織は協力することを誓いました。彼が野望を達成し、約定通りに水月を甦らせるまでの間、藍染を主とすることを契約したのです。「鏡花水月」は、契約成立の証として藍染が夢織に与えた名です。夢織の主はただ一人、鏡花だけ。一時的に藍染を主とする以上、夢織は「夢織」でいるわけにはいかなかったのです。
 その後のことは、貴方がたもご承知の通りです。
 藍染の野望は潰え、彼は死にました。そして、夢織…、いえ、鏡花水月は休眠し、霊刀安置回廊に納められました。

 冬獅郎は視線を厳しくした。
「鏡花水月の正体と由来は分かった。だが、俺たちが本当に知りたいことに、あんたはまだ答えてくれていない」
 道切を睨み据え、彼は追及した。
「乱菊はどこだ? 何だって、夢織は乱菊を攫った」
 道切は答えた。
「鏡花たちが産まれたのは、遥か昔、争乱の時代です」
「そう言っていたな。それが何だ?」
と冬獅郎は苛立ちを抑えきれない様子で、声音を尖らせた。
「山本元柳斎殿さえ、あれほど年老いておられるのです」
 道切の応えに、はっと、絢女が気が付いた。
「鏡花も老いたのね?」
「そう。おっしゃる通り、鏡花は年老い、霊体が不安定になってきました。老衰による死が忍び寄っていたのです」
「やっぱり…」
「藍染に仕え、彼の死によって『鏡花水月』として休眠した夢織は、眠っている間にゆっくりと藍染の呪縛から解き放たれ、本来の夢織に戻りました。そして、完全に戻った夢織は、鏡花の衰えを知って愕然としたのです」
「…」
「このままでは、鏡花は死んでしまう。夢織を忘れたままで…、夢織の夢に浸りきったままで死に、輪廻の流れに還れなくなってしまう」
 道切の言葉に、冬獅郎らは意表を突かれた。夢織の夢に溺れたままで死んだ者はその幻影に囚われたまま輪廻から取り残されるという事実は、主である鏡花すら例外ではないのだ。
「焦った夢織はなんとかして、鏡花を生き長らえさせる術をそれこそ死に物狂いで考えました。そして、考え抜いた末に思いついた方法は、鏡花の魂魄を若く、健康な女性の霊体に移すことでした」
 冬獅郎も、絢女も、ギンも咄嗟に言葉を失った。
 道切の告げた言葉を、それぞれの脳内で咀嚼し、染み渡らせ、漸く、絢女が言葉を発した。
「鏡花の魂魄を移す為の霊体が…、乱菊ということなの?」
「はい」
 道切の無情な肯定が返る。
「霊体を乗っ取るなんて、そんなこと…」
「普通なら出来ません」
 冬獅郎の反論を引き取る形で、道切は続けた。
「核となる本来の魂魄が強固に存在している霊体に、他の魂魄は入り込めません。ですが、核となる霊体が極端に弱っていたら、入り込めないでもないのです」
「…まさか…」
 冬獅郎の背中を嫌な汗が伝った。繋いでいる絢女の手も微かに震えている。
「…乱菊殿の魂魄を極限まで弱らせれば、鏡花の魂魄を潜り込ませることは可能です。そして、弱っている魂魄を侵食し、喰らい尽くせば、霊体の入れ替わりは完了します。鏡花は乱菊殿の霊力と、若く健康で美しい霊体を手に入れることが出来るのです」

 乱菊殿の魂魄を殺してはなりません。核となる魂魄が消えれば、霊体の結合が長く保てないからです。乗っ取りが完了するまで、本来の魂魄は生かしておかねばなりません。
 あくまでも弱らせるのです。異物である他の魂魄の侵入を跳ね返せないほどに。
 魂魄を弱らせる手段は夢織が持っています。死なない程度に調整しながら、悪夢を与え続ければいい。
 鏡花を移す為の霊体に、乱菊殿が選ばれたのはいくつか理由があります。第一には、乱菊殿がとても美しかったことです。他にも美しい女性はいらっしゃいますが、乱菊殿の美しさは際立っておられる。それに、皆さま方には不愉快かもしれませんが、乱菊殿の美しさは若かりし頃の鏡花と似た雰囲気があるのです。鏡花も華やかな美貌の持ち主でした。絢女殿のような清楚さ、八番隊の七緒殿のような知的で怜悧な美貌、或いは、烈殿の聖母を連想させる慈愛に満ちた美しさ…。美しさの質がさまざまな中、乱菊殿の艶やかで妖艶な外観は、夢織が大切にしている想い出の鏡花と重なる部分が多かったのです。いくら美しいといっても、似ても似つかぬ者を憑代とするよりは、重なる部分がある者の方が夢織にも好ましかったのでしょう。第二には、乱菊殿が護廷の副隊長を務められるほどの強い霊力の持ち主だったことです。強い霊力の魂魄であるほど、乗っ取った鏡花の力になります。第三には、貴紗の存在です。夢織が霊刀安置回廊から抜け出したとしても、自力で策謀を巡らせることは難しい。かといって、老いて、弱り切った鏡花を無理に動かすわけにもいきません。意のままに操ることの出来る、手足となって働く者が必要だったのです。貴紗はうってつけでした。鏡花の血脈に連なり、彼女の霊力を受け継いだ貴紗は夢織と相性がよく、容易く取り込むことが可能だったのです。しかも、冬獅郎殿に懸想する貴紗は乱菊殿を忌嫌しておりました。鏡花が乱菊殿に成り代われば冬獅郎殿を手に入れることが出来ると信じ込ませ、夢織は貴紗を操ったのです。そして、第四に…。
 乱菊殿を乗っ取ろうという陰謀に対して、最大の障壁となるのは乱菊殿の親友である絢女殿、貴女です。ですが、絢女殿、貴女の霊力は、夢織にとって幸いなことに衰えを見せ始めました。
 夢織にとって、秋篠は天敵のような斬魄刀です。だからこそ、貴女の霊力に、夢織は敏感でした。絢女殿が御子を宿し、それ故に霊力が弱まり始めたことに、夢織はいち早く気が付きました。夢織にとっては千載一遇の好機です。本当ならもう少し待って、絢女殿の霊力が夢織を押さえられなくなってから、慎重に事を始めたかったことでしょう。ですが、一方で、鏡花の老いに夢織は焦ってもおりました。絢女殿の霊力が夢織の脅威とならなくなるまで鏡花が保つか、気が気でなかったのです。
 結局、夢織は鏡花の生命維持を優先し、行動を起こしました。
 霊刀安置回廊を抜け出した夢織は、まず、鏡花の許に戻り、長い夢から彼女を目覚めさせました。そして、かつて藍染が夢織を唆したのと同じ内容を語り聞かせ、水月を甦らせることをお互い最終目標とすることで、水月を失った鏡花が完全に壊れてしまうことを塞き止めました。ですが、目覚めたとはいえ、衰えきった鏡花は自由に動くことは出来ません。その為に、貴紗を操りました。貴紗に語りかけ、乱菊殿を乗っ取る計画を明かし、協力を約束させたのです。
 鏡花の夢織が幻覚を操る能力があることからお察しと存じますが、貴紗には接触した他人の夢を意のままに操る能力があります。鏡花が産み落とした娘から延々と、女の子供にのみ受け継がれて来た能力です。鏡花と夢織は幻惑術で貴紗を十番隊隊長舎の寝間に侵入させました。乱菊殿に悪夢を与えることに成功した貴紗は、これで鏡花を完全に信頼しました。彼女の霊力では絶対に入り込むことが出来なかった十番隊寮に、冬獅郎殿、貴方に気付かれることなく易々と忍び込むことが出来たのですから。
 鏡花と夢織の忠実な部下となった貴紗は、命じられるままに技術開発局に赴きました。当直の職員を欺き、乱菊殿の義骸を盗み出すことは簡単でした。そして、まず、盗み出した義骸に鏡花は入りました

 冬獅郎たちは乱菊の義骸が消えた真の理由を、漸くにして覚った。
 義骸は死神の現世での活動用に開発されたものだ。十一年前の叛乱の折に日番谷先遣隊が現世に赴いた時もそうだったが、しばしば戦闘によって怪我を負ったり、衰弱した状態で死神が義骸に入ることが発生する。また、器子の物質に対して、霊体である死神は触れることが出来ない。義骸は器子の肉体の隙間に高密度の霊子を充填することで、先の二点の対策としていた。内部に充填された霊子によって、義骸は死神にも持ち運びが可能となる。また、高密度の霊子は死神の回復力を高めることに貢献する。
 鏡花は乱菊の義骸に入り込むことによって、自由に動ける肉体を得、かつ、高密度霊子によって霊体の衰えを補うことが出来るのだ。
「それに、乱菊の義骸は乱菊と遺伝子情報が同じや。乱菊の義骸に入って慣らしとけば、乱菊の霊体に入り込んだ時の違和感も軽減される、いうことやね」
「そういうことです。義骸は一時的な緊急避難措置でしかありません。目的はあくまで新しい霊体です」
 鏡花の当面の生命維持が確保できた以上、夢織はじわじわと乱菊をいたぶりながら、絢女の霊力低下を待つ気構えだった。だが、冬獅郎らの一乗寺家訪問で挑発され、いきり立った貴紗が暴走した。絢女がギンと深刻な諍いを起こして動揺し、無防備になってしまったことも貴紗の暴走を後押しした。鏡花が時期尚早だと諌めるのを振り切り、絢女を襲ったのだ。
 結果、貴紗は重傷を負い、鏡花の兵隊として役に立たなくなった。絢女の意識不明に乗じて、彼女を葬ろうという試みも失敗に終わった。
 鏡花と夢織は切羽詰まった。
 幸い、絢女も重傷ですぐに動けるわけではない。ならば、彼女が回復する前に一気に勝負を付けてしまおうと、鏡花たちは目論んだのだ。隠密機動の真鍋を謀り、一乗寺の私兵を動かして乱菊を攫った。無論、誰にも見つからない秘密の場所に乱菊を連れ込んで、彼女の精神を極限まで追い詰める算段である。
「乱菊はどこだ?」
 地の底から絞り出すような声音で、冬獅郎は問うた。
「一乗寺の領地の森です」
「どこだ?」
「これからご案内します。ですが、その前に、約束して頂きたいことがあります」
 乱菊が心配でいても立ってもいられないのだろう。冬獅郎は道切の言葉にかなり苛立っていたが、一応、聞く態度を見せた。道切の協力がなければ、乱菊の居場所も分からず、助け出せないのも真実なのだ。

 わたしが朽ちていたことからもお分かりと思いますが、わたしにはもうほとんど力は残されていません。今のこの姿も、貴方がたに語りかけることが出来たのも、氷輪丸や秋篠や神鎗がわたしに同情して、力を貸してくれているからに過ぎません。乱菊殿を捕えている夢織の幻惑を断ちきってしまえば、わたしも水月と同様に消えてしまう定めです。
 今ならまだ、絢女殿は夢織を押さえることが出来ます。
 わたしが夢織の幻惑を切り、消滅してしまったら…。
 どうか、絢女殿。貴女の「滅びの風」で、夢織も霊子に還して頂きたいのです。

「夢織を消す?」
 絢女は驚いて、道切を見返した。
「はい」
とまっすぐに絢女を見据えて、道切は頷いた。
「義骸から引きずり出されれば、老い衰えきった鏡花は長くは保ちません。義骸に充填された高密度の霊子の力で誤魔化されていますけれど、今、好き勝手なことをしているのも鏡花には実は負担になっているのです。彼女の命を保たせている義骸から抜ければ、貴方がたが手を下すまでもなく、鏡花はすぐに老衰で死んでしまうことでしょう。そして、鏡花が死ねば、夢織は休眠に入ります」
「休眠? 夢織は消えないのか?」
 冬獅郎は思わず尋ねたが、
「氷輪丸も前の主が亡くなったからといって消えたりはしなかったでしょう?」
と道切は反論した。
「水月が亡くなってわたしが朽ちてしまったのは、最初に申しましたように水月の霊力が凡庸だったからです。彼にはもともと斬魄刀を魂から別れさせることが出来るほどの霊力はなかったのです」
 道切は淋しく笑った。
「わたしは夢織の欠けた力を補う為にだけ生まれました。主の水月が亡くなって、彼と共に消えなかったのは夢織とも繋がっていたからです。ですが、もう限界です。最後に一度だけ、夢織の幻覚を断ち切るのが精一杯だと知っています。だからこそ、絢女殿に夢織を消して欲しいのです」
「どうして…?」
「わたしと夢織は、一対で完全な斬魄刀です」
 嗚呼、とギンが呟いた。
「夢織の夢に捕らえられたままで死んでしもたら、輪廻の流れに還れへんのやったな」
「はい」
「魂を輪廻の流れから外したままにしてまうなんて、斬魄刀としては不完全もええとこや」
「はい」
 道切の悲しげな微笑が深くなった。
「わたしが夢織なくしては存在意義がないように…、夢織もわたしなくして存在してはならないのです」
「…」
「ですが、夢織は消えません。強い霊力の持ち主だった鏡花から別れた夢織は、わたしのように、主が亡くなったからといって朽ちてしまうほど脆くないのです。鏡花が死んでも、夢織は消えません」
 絢女は道切を見つめた。
「分かりました」
と彼女は約束を言葉にした。
「夢織は私が霊子に還すと約束いたします。あなたは夢織を待っていて下さい」
「はい…」
「本当なら、ひとつの斬魄刀だったのでしょう? 水月も本当なら鏡花と一人だったはずなのでしょう?」
「はい」
「それなら、水月も輪廻の中で半身の鏡花を待っているはずです。あなたが今日まで朽ち切らずにいたのも、夢織に繋がっているばかりではなくて、水月が完全に輪廻に還っていなかったからのように私には思えます」
「絢女殿…」
「きっと、水月は鏡花を待っています」

     もう一度、輪廻に還って、今度こそあるべき姿に戻る為に。
     ひとつに戻る為に。水月は鏡花を待っています。


*1 並行従兄妹(従姉弟)とは親の世代の性別が同じ従兄妹を指す。
  父方従兄妹の場合は父親の兄弟の子供、母方従兄妹では母親の姉妹の子供を意味する。
  交差従兄妹は親世代の性別が異なる従兄妹である。
  父方従兄妹は父親の姉妹の子供、母方従兄妹は母親の兄弟の子供がこれに当たる。

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2013.09.23