再会
喜助の背後で、扉が開く音がしたかと思うと、
「眠り姫はどうじゃ?」
と、声をかけられた。
「テッサイが目覚めそうじゃと教えてくれたが」
「まだ、お目覚めではありませんよ。気配はあるんですがね」
喜助の目の前には、ドラム缶よりもふたまわりほども大きい巨大なガラスの容器があった。容器の中には液体が満たされ、一人の若い女が胎児のように体を丸めて浮かんでいた。女の体にはさまざまなコードが接続され、そこから、脳波や心拍数などのデータが喜助の手元のコンピューターに送信されている。
四楓院夜一が呼ぶ「眠り姫」とは、その女のことだった。夜一がここに連れてきて以来、彼女はずっと、このガラス容器の中で眠り続けていた。
「先日、
「あったな」
「あの時から、脳波が変化しているんスよ」
長らく、彼女はいわば「仮死状態」だった。呼吸・心拍数とも、生体を維持できるぎりぎりのラインを保ったまま、上昇することがなく、脳波も変動の極めて少ない状態であったのだ。それが、一週間ほど前の破面の襲撃と時を同じくして、急激に変化した。
「今は人間で言うところのレム睡眠の状態っスね。いつ、目覚めても不思議じゃありません」
「破面の霊圧に反応したかの?」
「どうでしょうね。アタシはむしろ、死神の霊圧に反応したと見てますが…」
「ふむ…」
藍染ら、護廷の隊長格三人による反乱をきっかけに、情報収集の為、現世に派遣されてきた隊長格を含む上位席官からなる先遣隊の顔ぶれを思い浮かべ、夜一は頷く。
(早う、目を覚ませ)
夜一は眠り姫に心で呼びかけた。
破面の襲撃から一月。
空座町は表面上、平穏な日々が流れていた。
冬獅郎らが限定解除しなければならなかったあの戦い以来、破面は一度も現われない。
同時に、黒崎一護、茶渡泰虎、石田雨竜らも高校に登校しなくなった。
一護を除けば、所在は分かっている。泰虎は浦原喜助が営む「浦原商店」の地下に作られた「勉強部屋」と呼ばれる空間で、阿散井恋次を相手に修行を続けていた。先遣隊のメンバーとして現世に派遣されてきた恋次は、泰虎の修行相手と雑用をこなすことを条件に浦原商店に居候したのだ。雨竜は
一護もまた、所在こそ分からなかったが、どこかで修行をしていることは確かだった。井上織姫だけは一護の居場所を知っているらしかったが、冬獅郎に場所を明かさなかった。
「今は言えないけど、黒崎君は強くなる為に頑張っているの。信じて欲しい」
と、織姫に言われ、冬獅郎は追及を諦めた。織姫が「言えない」といった以上、絶対に明かすことがないということは、数日の居候生活で見極めていた。気持ちが優しく、ほわほわとした雰囲気で、護ってやらなければならないか弱い女の子に見える織姫だったが、芯はしなやかで強く、大事な人を護りたいという想いを強く持っていた。
(井上も「護る女」だな)
と、得心した冬獅郎は一護については静観することにした。それに、短い付き合いではあったが、黒崎一護もまた「護る者」だと感じていたので、疑うことはなかった。
一護が「強くなる為に頑張っている」と言った織姫もまた、強くなろうとしていた。
冬獅郎と乱菊が、絢女が行方不明になった町へ行った日、織姫のアパートに戻ると、部屋でルキアと織姫が二人の帰りを待っていた。
「井上と二人で修行する為、尸魂界にいったん戻りたいのです」
と、訴えたルキアの真剣なまなざしと、織姫の覚悟を決めた真摯な表情に、先遣隊の責任者である冬獅郎はルキアの帰還と織姫の同行を許可した。
護りたい、その為に少しでも強くなりたい。
そう訴える二人の目を見たら、反対など出来なかった。
表面上は平穏だったとはいえ、真実、平穏だったわけではない。
三日と空けず、
だが、頻繁な虚の出現は予測された事態だった。重霊地である空座町に虚が引き寄せられるのは当然のことで、むしろ、虚の出現が少ない方が何らかの作為を感じて、冬獅郎たちは警戒しただろう。
破面は現われなかった。
季節は秋に変わっていた。
現世に来た当初の厳しい残暑がやわらぎ、郊外の田んぼの畦に彼岸花が咲き、空が少しずつ高くなり、そして、月が変わった。
浦原商店地下、「勉強部屋」で、突然、けたたましい音を立てて、伝令神機が鳴り響いた。
「はい、こちら、阿散井!」
泰虎の修行の相手を続けていた恋次は、慌てて、伝令神機を引っ掴んだ。
「空座北部に
技術開発局霊波計測研究科の連絡に、恋次は息をのむ。確かに、地下にいてさえびりびりと感じられるほど、破面と仲間の死神の霊圧が高まっている。
「数は四。日番谷先遣隊と交戦状態に入りました!」
「了解! 俺もすぐ出る!」
走り出ようとした恋次の死覇装を泰虎が掴んだ。
「俺も行く!」
「駄目だ! テメーは力を使いすぎてんだ!」
卍解状態の恋次を相手に修行を続けていた泰虎はぼろぼろの状態で、とてもまともに戦えるとは思えない。だが、消耗しているのは、恋次も同様である。卍解状態は著しく霊力を消費するのだ。
「お二人とも、今、破面相手に戦うのは無理っスね」
それまで、ただ修行を眺めていた浦原喜助が動いた。
「ここで休んでて下さい。 アタシが出ます」
一変した雰囲気に、霊圧に、気おされ、泰虎と恋次が絶句した時である。
「私も行きます」
突然、凛とした若い女の声が響いた。
いつの間に、喜助らの前に一人の女が立っていた。
「アナタは…」
死覇装をまとい、斬魄刀を下げた美しい女だった。
「目が覚めたんスか?」
「つい先ほど、破面の出現と同時に目を覚まされました」
と、女の後ろからテッサイが答えた。
「如月絢女です。テッサイさんから簡単な事情は伺いました」
まっすぐに喜助を見つめて、女が名乗った。
「戦っているのは私の友人です。私も行かせて下さい」
「承知しましたっス。付いて来て下さい」
「はい!」
あっという間に身を翻し、目の前から消えてしまった喜助と女死神に、恋次は呆然と立ち尽くす。
「あの霊圧…。間違いなく副隊長クラスだ。一体、何者…」
破面と日番谷先遣隊との交戦現場に瞬歩で向かいながら、喜助は内心で舌を巻いた。
「瞬神」の異名を持つ四楓院夜一との鬼事で鍛えあげられた喜助の瞬歩は、隊長格レベルとしてもかなり速い。その喜助の瞬歩に、眠り姫 如月絢女は息ひとつ弾ませることなく、付いて来ていた。
「あそこ!」
喜助と絢女は空座北部に広がる野原の上空で、戦う死神たちを認めた。
だが、死神たちはただ一人の破面の前に苦戦をしていた。解放状態の破面の触手に、乱菊、一角、弓親が捉えられていた。
「まずいっスね」
喜助が呟いた時だ。
乱菊を捉えている触手の先端が、突如、無数の棘状に変化した。触手が大きくしなる。次の瞬間、一直線に乱菊に襲い掛かった。
「噎び啼け、秋篠」
喜助よりも早く、絢女が動いた。
解号と同時、すさまじい風が喜助の脇を吹きぬける。
音も立てず、破面の触手が切断され、乱菊は触手に体を巻かれたまま、落下してゆく。
「!」
振り向いた破面の眼前に、若い女の死神が立っていた。
「誰だよ、おねーさん」
「人に名前を尋ねる時は、まず、自分が名乗るものだって教わらなかったの?」
絢女は静かに返した。
「うわぁ。顔に似合わず生意気なおねーさんだね。ま、いいや。ボクはルピ。十刃で階級は
「如月絢女。五番隊第三席。まだ籍があればだけど」
名乗りと同時に、二人は動いた。
ルピの触手が高速で襲い掛かる。
「烈風陣!」
吹き荒れる風が触手を払い、同時に、かまいたちが一角・弓親を捕らえていた触手を切り捨てた。
「へぇ、意外とやるじゃない」
にやりと笑ったルピの触手のスピードが増した。身をかわしたところに別の触手が跳ね上がる。
「しまっ…」
「唸れ、灰猫!」
乱菊の灰猫が絢女の足に絡みついた触手を細切れにした。
その身を拘束していた触手から逃れた乱菊が、絢女に向かって上昇してくる。
絢女たちの背後では、喜助と十刃
「ありがと、乱菊。助かった!」
「あたしのセリフよ」
四十五年ぶりの邂逅だった。
「うおぉぉ!」
雄たけびとともに自由の身になった一角が鬼灯丸を突き入れる。
弓親の藤孔雀が触手をずたずたに裂く。
だが、
「やっぱり、手ごたえないよね」
ルピがうそぶいた途端、切断され、裂かれたはずの触手が、ぐんと伸びた。
「護廷の席官って、この程度なんだ。つまんなーい」
しなった触手が弓親を張り飛ばした。
「弓親!」
一瞬の隙に、一角の体に触手が絡まる。飛ばされた弓親の体を背後から、別の触手が絡め取った。
「ほら、おねーさんたちも!」
四本の触手がいっせいに絢女と乱菊に伸びる。
「灰猫!」
「烈風陣!」
刀身が崩れ、無数の刃の砂になった灰猫が、秋篠の風に乗る。渦を巻き、触手を切り裂いた。
筈だった。
切り裂かれるのと同時に、再び触手が伸びた。
「!」
避ける暇もなく、二人は同時に触手に絡めとらわれた。
「話になんないよね。せっかく、そっちのおねーさんが助けてもすぐ捕まっちゃうし、おねーさんはおねーさんで生意気なわりには口ほどにないし」
得意げなルピに、乱菊は目を眇めた。
「あたし、お喋りな男ってキライなのよね」
冷たい声で、言い放つ。
ルピが不愉快に唇を歪めた。
「おねーさん、分かってる? おねーさんがまだ生きてるのはボクの気まぐれなんだよ」
「だから?」
「ボクの機嫌を損ねたら、すぐに串刺しになるって、忘れてるんじゃない?」
「してみなさいよ」
と、今度は絢女が挑発した。
「出来るものなら、ね」
「っ! この!」
怒りに顔を歪ませたルピは、触手を振り上げる。
だが、彼の触手は背後から引っ張られ、動かなかった。
「なっ!?」
振り返って自らの触手を確認したルピの顔色が変わった。
触手は先端から、勢いよく凍結し、あっという間にルピの本体に達したのだ。腕が、足が、首筋が凍りつく感触に、ぞっとした彼の背後に、
「相手の生死を確かめないで、気を抜きすぎなんだよ」
氷の竜を背負った冬獅郎が立っていた。
「おまえ、まだ生きて…」
「あの程度の攻撃で死ぬほど、隊長格は甘くねぇ。松本たちが時間を稼いでくれたからな。仕込む時間は山ほどあった」
凍結した体は、動くことさえままならない。焦るルピの周りに、無数の巨大な氷柱が出現し、彼を取り囲んだ。
「…な…」
ルピが絶句したのと同時、
「千年氷牢」
氷輪丸から爆発的な冷気が噴出した。噴き出す冷気に押されるように、氷柱がルピに向かってなだれ込み、氷の岩と化して押しつぶす。
ほぼ同時、携帯用義骸をおとりに利用して技の霊子構成を解析した喜助が、ヤミーに紅姫を突きたてようとした。
しかし。
紅姫が体を貫く寸前だった。
突如、降って来た
「しまった!!」
喜助は、氷の塊となったルピが、一人戦闘に参加せずに遊んでいたワンダーワイスが、反膜に包まれるのを見た。
反膜の中で、冬獅郎の千年氷牢が崩れる。ほとんど凍りついたままのルピが氷柱の中から姿を現し、冬獅郎をすさまじい目で睨み据えた。
「残念だったね、隊長さん。ボクを殺すには時間が足りなくて」
ルピたちは反膜の中、ゆっくりと上昇してゆく。
冬獅郎たちはなす術もなく、見送るしかなかった。
上空に穿たれた空間の歪みに、破面たちの姿が消える。
「取り逃がしちゃいました、か…」
ぽつり、と喜助が呟いた。彼が目を向けたのに気付き、絢女は破面が消えた空間から視線を下ろした。
「あの…」
紡ぎだそうとした言葉は、ぐいと肩を引かれたことで途切れた。
「如月、生きてたのか!」
興奮した面持ちの一角が、乱暴に絢女の体を引き寄せていた。
「本物だな。生きてるな!」
力はさすがに加減されていたが、ばしばしと腕や肩を叩かれ、絢女は呆として、一角のなすがままになっていた。
「絢女さん。心配したんだよ」
と、弓親も絢女の腕を取る。真剣なまなざしで覗き込まれ、
「ごめんなさい」
と、絢女は謝罪を口にした。
「ごめんじゃねぇよ。生きてたなら、何で連絡を寄越さなかった!?」
「一角の言う通りだよ。僕たちがどれだけ心配したと思ってるのさ」
言い募る一角と弓親に、まあまあ、と喜助が割って入った。
「そんなに責めないであげて下さい。如月サンにも事情ってモンがあったんスから」
「事情~っ?」
胡散臭げに喜助を見遣る一角に、喜助はいつものへらへら笑いを浮かべながら答えた。
「如月サンは四十五年間、ずーと、眠ってたんスよ」
「眠ってたぁ!?」
「そっス」
喜助はかいつまんで事情を説明する。
大虚に襲われ、重傷を負って地上に落ちた絢女を見つけた夜一が、彼女を浦原商店に担ぎこんだこと。絢女の負った怪我は生きているのが奇跡といえるほどのものであったこと。懸命な手当てでなんとか一命は取りとめたものの、意識が戻ることなく四十五年間もの間、眠り続けていたこと。
「ま、つまり、眠り姫は王子さまのキスならぬ、仲間と破面の霊圧で目覚めたって訳スね。だから、連絡できなかったのも仕方ないんスよ」
と、喜助が語り終えた時、
「浦原」
冬獅郎が喜助の袖を引いた。
「なんスか、日番谷サン」
振り返って冬獅郎を見下ろした喜助も、傍らにいた一角と弓親も驚愕した。
「ありがとう」
と、冬獅郎が深々と頭を下げたからである。
一瞬の自失。
しかし、持ち前の柔軟さで素早く立ち直った喜助は、
「何のお礼ですか、らしくない」
と、まだ頭を下げたままの冬獅郎に言った。
「大体、松本サンたちを助けたのは、こちらの如月サンっスよ。お礼なら如月サンに言って…」
「そうじゃねえよ」
顔を上げ、まっすぐに冬獅郎は喜助を見る。その表情に、喜助は既視感を覚えた。
(この顔、どこかで…)
「四十五年前」
冬獅郎は言葉を繋ぐ。
「俺の姉の命を救ってくれたことに対する礼だ」
「お、姉さん?」
「ありがとう」
再び、冬獅郎は深く頭を下げる。
目覚めた直後の身でありながら、「私も行く」と喜助を見据えた絢女の表情と、先ほどの冬獅郎の顔が重なった。はっ、と喜助は絢女と冬獅郎を見比べた。
「お姉さん…?」
微笑を浮かべることで肯定を返した絢女は、喜助に一礼すると、静かに冬獅郎に近づいた。
「冬獅郎」
呼びかけに、冬獅郎は面を上げる。
目の前、手を伸ばせば触れられるほど近くに、絢女がいた。
「その羽織…。冬獅郎、隊長になったの?」
「ああ」
「何番隊?」
「十番隊。副官は松本だ」
冬獅郎の言葉に、絢女は乱菊に視線を投げる。乱菊は微笑んで、頷いてみせた。
「そう…。私、本当に四十五年も眠っていたのね」
「うん」
「冬獅郎、大きくなったわね」
「そうか、な?」
「最後に会った時は、このくらいだったもの」
と、絢女は水平にした左手を自分の胸の少し下あたりに当てた。現在の身の丈より、頭ひとつ分以上に低いその位置に、思わず、
「そんなに小さくなかったって!」
と、むきになって冬獅郎は反論する。
「小さかったわよ」
と、絢女は笑った。
「ほんとに、こんなに小さかったのに…」
笑ったまま、絢女の
崩れるように絢女はしゃがみこむ。俯いて、顔を覆って泣き出した絢女に、
「姉さま…」
困惑した冬獅郎が小さな声で呼びかけた時、絢女の両腕が伸びて冬獅郎を抱きしめた。
「ごめん…。ごめんなさい、冬獅郎」
ぼろぼろと涙をこぼしながら、絢女は呟いた。
「ごめんなさい、冬獅郎、ごめんなさい」
「 っ!」
冬獅郎もまた、姉の体を力いっぱい抱きしめ返した。絢女がしゃがんでいる為、姉の顔は冬獅郎の胸に押し付けられていた。胸元が温かく濡れてゆくのを、冬獅郎は感じた。
「もう、いいから」
と、冬獅郎は姉の背中を撫でた。
「生きててくれただけで充分だから…。俺の方こそ、姉さまに守ってもらうばかりで、何もできなくてごめん」
やっと戻ってきたぬくもりを、冬獅郎は必死に胸に閉じ込めた。
絢女は静かに泣き続けていた。
やっと、涙が止まった絢女は泣きはらした真っ赤な目で、
「お見苦しいところをお見せしました」
と、喜助に頭を下げた。
「いやぁ。感動的な再会でしたよ。思わず、アタシまでもらい泣きしそうになったっス」
ことさら、茶化すような口調を作る喜助に、
「感動の再会っていうのは、同感だけど…」
「如月が日番谷隊長の姉さん、ってどういうこった?」
と、弓親と一角が納得いかない、といった様子で尋ねてきた。
「言葉通りよ。絢女は隊長の実の姉さんなの」
と、乱菊が答える。
「はぁ? 松本、おまえ、知ってやがったのか?」
「あたしも、一ヶ月前、隊長に打ち明けられるまで知らなかったわ」
「って、日番谷隊長と絢女さんが姉弟って、計算が合わないんだけど?」
「立ち話も何っスから、とりあえず、浦原商店に行きません?」
喜助が提案した。
「松本サンたちの怪我の手当てが必要ですし、如月サンの方もお話しする暇なんてなかったっスから、そちらの事情がつかめてないはずですし」
反対する理由はなかった。
一刻後、手当てを終えた日番谷先遣隊、浦原商店の面々、茶渡泰虎に、猫に変化したままの夜一、そして、絢女は浦原商店の奥の和室で、まったりと梅昆布茶をすすっていた。
恋次お勧めの鯛焼きを咀嚼する音、ぼりぼりと煎餅を齧る音だけが、部屋に響く中、ず、と梅昆布茶を飲み干した一角が、
「で?」
と、口を切った。
絢女に対する、死神側の事情についての説明は終わっていた。朽木ルキア処刑に端を発した旅禍の侵入、藍染を中心とした三人もの隊長による反乱、そして、藍染の狙いが「崩玉」と重霊地・空座町の住民十万の魂魄を贄とした「王鍵」の生成であること 。
絢女は終始、冷静に聞いていた。かつての上官である藍染惣右介や、霊術院の同期であり、親友の幼馴染であり、行方不明になるまでずっと同隊の親しい同僚でもあった市丸ギンが反乱の首謀者だと知っても、絢女は動揺を面に表さなかった。
一角は
「俺たちの話は終わった。今度は如月が話す番だ」
「如月じゃねぇ、つっただろう」
と、冬獅郎が眉間の縦皴を一割ほど増やしながら、口を挟んだ。
「姉さまは、『日番谷絢女』だ」
途端に、こつん、と、軽く絢女が冬獅郎の頭を叩いた。
「私はずっと『如月』を名乗ってきたのよ。一角だって、私のことをずっと『如月』って呼んでたのに、急には呼び方を変えられないでしょ」
「でも、姉さま…」
「気にしないで、一角。好きに呼んでくれていいから」
冬獅郎の反論を綺麗に流して、にっこりと笑ってみせた絢女に、
(本当にお姉さんなんだ!)
(日番谷隊長、キャラが違う…)
(隊長って、絢女に勝てないのね)
死神たちはそれぞれの感慨を抱いた。
「冬獅郎と私のことは、個人的なことだし、長くなるけど…」
「構わねぇよ。事情がわからねぇ方がもやもやして胸糞わりぃ」
「同感だね」
一角と弓親が話を促し、恋次も聞きたいと全身で訴えていたので、絢女は覚悟を決めて話すことにした。
「私と冬獅郎は百四十年前、死神に襲われて死んだの」
時折、冬獅郎が補足しながら、絢女が語り終えた時には、彼女が最初に言った通り、長い時間が経っていた。
「じゃあ、何か? 如月は自分たちを殺した黒幕を捜す為に、死神になったってのか?」
一角の確認に、絢女は頷いた。
「それで、黒幕は分かったの?」
「尸魂界にいた頃は…、申し訳ありません」
と、喜助に軽く頭を下げ、
「浦原さんを疑っていました。浦原さんが技術開発局長だったころに行われていた研究、」
「死神の限界点の突破、スか」
「はい。あの研究の実験体には霊力の高い魂魄が必要だと思われました。私たちが襲われたのは、浦原さんが『崩玉』を生成する前です。崩玉があれば、霊力の高い魂魄をわざわざ集める必要はないでしょうが、崩玉なしなら、必要でしたでしょう?」
「そっスね。いい読みです。で、『尸魂界にいた頃は』ってことは、今は疑いは晴れたんスか」
「命の恩人を疑うわけにはまいりませんもの。それに、お話をしてみて分かりました。浦原さんは研究の為に他人を犠牲に出来る方ではありません」
きっぱりと言い切った絢女に、テッサイ、雨、ジン太が嬉しそうに頷いた。
「ね、絢女」
と、乱菊が鯛焼きの尻尾をのみこみながら、話しかけた。
「あんた、もしかして、藍染隊長のこと、疑ってたの?」
「どうして?」
「反乱の首謀者が藍染隊長だって聞いても、驚かなかったから」
絢女は座卓の上で組んでいた手に視線を落とした。
「疑っていた…、とまではいえない。でも、あの人を信じきれていなかったのは確かね」
と、顔を上げて続けた。
「私は、あの人が怖かったの」
藍染惣右介といえば、温厚で篤実な人柄、思慮深い性格、そして、安定した実力を兼ね備えた隊長として、死神たちに慕われていた。他隊の隊長格や総隊長・山本元柳斎重國の信頼も篤く、だからこそ、彼が反乱の首謀者だったことに誰もみな、驚愕と衝撃を隠せなかったのだ。
護廷に入隊当時の絢女もまた、藍染を尊敬し、慕っていた一人だった。彼は部下思いで、誠実だった。慎重すぎる、と批判されることもあった任務に対する作戦行動も、部下を無駄死にさせない為のものだと理解していた。五番隊に配属されてよかった、と心の底から思い、藍染の下で働くことを誇りに感じていた。下位席官だったころまでは、絢女は本気で藍染を敬愛していたのだ。だが、昇進して席次が上がり、隊首との接触が多くなるに従って、絢女の中で、徐々に形容できない不安が広がっていくようになった。
「三席になってから、私の違和感は確定的になったわ。事務処理に限って言えば、私は五番隊副隊長も同然だったから、藍染隊長と一緒にいる時間も多くなって…。藍染隊長は、下位席官だった頃に憬れていた通りの誠実な人だった。優しくて、思いやりのある人で、席官たちはみんな本当に隊長のことを尊敬していた。疑うようなところなんて、何ひとつ見当たらなかったのに、私は藍染隊長が怖くてたまらなかった」
「どうして…?」
「何て説明すればいいのかしら…。あの人が身近になればなるほど、何だか、靄がかかってくるような気がしたの。私の目の前に藍染隊長はいて、はっきり見えているはずなのに、紗がかかっていてその向こうに隊長がいるような…、そんな感覚が消えなくて…」
押し寄せる不安に耐えかねて、絢女は一度だけ、ギンに藍染をどう思っているかを尋ねたことがあった。同期で五番隊に入隊した市丸ギンは常に絢女のひとつ上の地位にいて、当時は副隊長。絢女にとっては直属の上司であった。近しい同僚として彼を側でみていた絢女は、その勘の鋭さや洞察力の深さに全幅の信頼を置いていた。彼も、自分と同じような違和感を持っていてくれたら、と祈るような想いの問いかけに対して、返って来たのは、周りの同僚たちと同様に心から尊敬し、心酔しているとしか思えない賞賛の言葉だった。ギンが藍染に対して疑義を抱いていないと知った時、絢女は、おかしいのは自分だ、と信じてしまった。
藍染の反逆が明らかになった今なら、むしろ、絢女の直感は正しかったと讃えられるべきである。しかし、当時、藍染に対して皆が尊敬と信頼を寄せていた頃、具体的に怪しむべき点など何一つないにもかかわらず、信じることの出来ない絢女は自責の念を藍染に対して持っていたのだ。
「藍染はアタシが研究を始めた頃から、あの研究に並々ならぬ関心を寄せてました。当時から、反逆の意思があったのなら、アタシの研究成果を応用しようとして、実験体を欲しがったとしても不思議はないっスね」
実際、彼は喜助の研究を応用して、虚を改造していたのである。十三番隊副隊長だった志波海燕を死に至らしめた死神の体を乗っ取り、同化する虚。黒崎一護の母親を喰らった疑似餌を用いて霊力のある人間を引き寄せる虚。 皆、藍染惣右介が浦原喜助の研究成果を流用して生み出した、性質の悪い改造虚だった。
「じゃあ、アレか? 藍染は、自分を信用してない上に、黒幕を見つけようと色々嗅ぎまわっていた如月がうっとうしくて、事故を装って始末しようとしたって訳か?」
「それだけじゃねぇ、と俺は思っている」
一角の意見に、冬獅郎が言った。
「邪魔なだけなら、事故に見せかけて殺すだけで充分だ。姉さまの記録を抹消する必要はねぇ」
「つまり、もっと、切実な理由があったというわけですか?」
「って、どんな?」
「分からねぇ」
丸まって寝そべり話を聞いていた黒猫の夜一が、ぐっと伸びをして起き上がった。
「絢女」
「はい」
「お主の斬魄刀は
「はい」
絢女の斬魄刀は、名を「秋篠」という。能力は風だ。強風でなぎ倒し、かまいたちで敵を切り裂くのが、絢女の基本的な戦い方であった。
夜一は金色の目を細めると、絢女を救った時に、彼女を捜す捜索隊の中に不審な動きをする者がいたことを告げた。
「絢女を捜しているというより、確実に死んだという証拠を見つけたがっておるように見えての。気になったので、ちと探ってみたのじゃが…」
浦原喜助の逃亡幇助の為にその地位を投げ捨ててしまったが、夜一はかつて隠密機動総司令官を務めていた女である。捜索隊の死神を探ることなど雑作もなく、彼女はその不審な捜索者が虚と接触するのを見届けた。
「その時に、そやつら、絢女の斬魄刀のことを気にしておった。お主が抹殺されそうになった理由は、どうも、その『秋篠』にあるように思えるのじゃが」
「…」
「心当たりはないか?」
絢女は秋篠を見つめた。
「ひとつ、あります」
彼女は答えた。
「秋篠が解放されている時、幻惑系の斬魄刀は無力化します」
「なっ!?」
死神たちの顔色が変わった。
「姉さま、本当か!」
と、冬獅郎も語気を強める。
「藍染隊長の『鏡花水月』に通用するかは分からない。でも、少なくとも、五番隊の部下たちや、幻惑能力を持つ虚は無力化したわ」
「そのこと、藍染は知ってたの?」
乱菊の問いに、絢女は頷く。
「幻惑系の斬魄刀の隊士と私が一緒に討伐に出るのは危険だし、逆に、幻惑能力を持つ虚の出現が予測される場合は、私が出た方が有利でしょう? だから、藍染隊長とギンには、このことに気付いた時点で申告したの」
「なるほど。絢女サン、今、軽く始解できますかね?」
喜助の言葉に、絢女は立ち上がると、小さな声で、
「噎び啼け、秋篠」
と、解号を唱えた。
ひょう、と、微かに風が流れる。
そのまま、数分間、絢女は秋篠を解放し続けた。しばらくして、
「もういいっスよ、絢女サン」
喜助が告げた。絢女は秋篠を鞘に戻すと、喜助を見た。
「何か、分かりました?」
「はい。秋篠の風には、幻惑場を吹き払う力があるっスね」
「鏡花水月に対抗出来そうか?」
と、夜一。
「今は無理っスね~」
へら、と笑って、喜助は冬獅郎に視線を向けた。
「さっきのお話じゃ、日番谷サンの霊力は、絢女サンに一部封じられたままなんスよね?」
「そうだが…」
「ということは、絢女サンの方も、日番谷サンを封じる為に常に霊力を割かれている訳っスね?」
喜助の言いたいことが、分かった。
「つまり、姉さまが俺の封印を解けば、俺の霊力だけじゃなく、姉さまの霊力も上がるってことか」
「そういうコトっス。封じを解くことで、お二人の霊力がどのくらい上昇するかは分かりませんがね。絢女サンが卍解できれば、鏡花水月に対抗することは充分可能でしょう」
中央四十六室で、鏡花水月の前になす術もなく敗れた冬獅郎は「完全催眠」の恐ろしさを身を持って実感している。それは双殛の丘で、藍染と対峙した隊長・副隊長らにも言えることで、鏡花水月の催眠能力を防ぐ方法を開発することを、総隊長・山本は涅に命じていた。絢女が卍解の力を獲得し、鏡花水月の催眠能力を無力化することが出来るなら、護廷の懸案はひとつ解消することになる。
全員の視線が、絢女に集まる。
絢女は、ゆっくりと頷いた。