解放
瀞霊廷内にある護廷の屋外修練場としては一番郊外にある、十三番隊の修練場は異様な緊張感で包まれていた。
総隊長・山本をはじめとして、隊長格はすべて揃っていたし、救護班の四番隊は、隊長の卯ノ花烈、副隊長の虎徹勇音の他に、上位席官が五名も待機していた。十二番隊の涅は何やら面妖な機械を据え付けて、モニターを睨んでいる。
修練場の中心には、冬獅郎と絢女がいた。
冬獅郎の封じられた霊力を解放する儀式が、これから、始まろうとしていた。
朽木白哉と京楽春水の手によって、冬獅郎と絢女の周りに結界が施されたのを確認し、山本は冬獅郎と絢女に頷く。
冬獅郎は氷輪丸を膝に載せ、絢女の前に正座した。一瞬、目を見合わせた後、冬獅郎は静かに目を伏せ、絢女は右手に抜き身の秋篠をだらりと下げたまま、左手で弟の額に触れた。
「天道、人道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道」
絢女は低い声で、符呪を唱え始めた。
「
符呪とともに、絢女と冬獅郎の周りに風が渦を巻き始める。
「南斗、北斗、三台、玉女、我を護りて鎖を断たせん」
絢女の符呪は独自に練り上げられたものである。現世に生きていた時に体に叩き込まれていた術と、死神になってから覚えた鬼道を合わせてあり、もちろん、遣えるのは絢女だけである。
「吹き払う風、
一際、強い風が絢女の栗色の髪を吹き上げ、彼女は秋篠を振り上げた。
息を詰め、渾身の力で、斜めに斬り下ろす。
「!」
結界の外で見守っていた乱菊は、声にならない悲鳴を上げた。
秋篠で冬獅郎を斬ることは、予め教えられていた。それは、冬獅郎を縛る絢女の霊力の鎖を断ち切る為にすることで、秋篠が冬獅郎を傷つけることは万にひとつもあり得ない、とも聞いていた。それでも、白刃が冬獅郎に襲いかかった時、乱菊は彼が血まみれになって倒れ伏す幻影を見た。
むろん、それは幻に過ぎなかった。
蜃気楼を斬るように、秋篠は冬獅郎の体をすり抜けたのだ。
同時に、正座していた冬獅郎が前のめりに倒れる。右手が苦しげに地面を掴もうとしていた。
「たい、ちょう!」
結界に遮られ、声は届かないと分かっていても叫ばずにはいられなかった。
「隊長!」
無意識で駆け寄ろうとした乱菊を浮竹が摑み止める。
「大丈夫だ。日番谷隊長と絢女君を信じろ」
「は…い」
絢女は苦しげに蹲る弟を微動だにせず、見下ろしていた。一気に解放された霊力を、冬獅郎がすぐに抑えられるかどうかは分からない。彼の霊力が暴走した時、それを抑えるのは現世に在った頃からの絢女の仕事だった。
(来る!)
絢女が身構えたと同時、
「うわあぁぁぁ!」
冬獅郎は絶叫した。のけぞった体からすさまじい冷気が噴出し、絢女を弾き飛ばした。
結界の外で、京楽と白哉が顔色を変えた。内部の霊圧が急激に高まり、結界を強烈な勢いで破ろうとしたのだ。京楽は意識をさらに集中し、結界へ霊力を注入する。同じことを、朽木白哉も行っていた。
現われた巨大な氷の龍がのたうつ。びりびりと、結界が震える。
飛ばされ、地面に叩きつけられた絢女がゆっくりと起き上がった。
「咽び啼け、秋篠」
始解とともに風が疾り、氷の龍を締め上げた。逃れようともがく龍を、見えない風の鎖で縛り上げ、絢女は冬獅郎に駆け寄った。
「冬獅郎!」
苦しげに呻く弟の体を抱きかかえ、
「冬獅郎、冬獅郎!」
と、名を呼び続ける。
「ねえ…さ…ま…」
うっすらと、冬獅郎は目を開けた。全身が鉄の塊になったように重く、体の内部から切り裂かれるような痛みが襲ってくる。
「ねえさ…ま、くる…し…」
護廷の十番隊隊長ではなく、絢女の弟が訴える。
絢女は弟をしっかりと抱えなおすと、そっと、その背中をさすった。
「ねんねん、ねんころろ…」
多分、現世でもこうしていた。
記憶はなくとも、魂が覚えていた。
宥めるように冬獅郎の背中をさすり、優しくあやしながら、絢女は子守唄を歌った。
最初は変化がなかった。けれども、ひたすら、子守唄を繰り返し続ける。
やがて、僅かずつ、僅かずつ、冬獅郎の呼吸が整ってきた。呼応するように、のたうちまわる龍の動きが鈍くなる。
ついに、龍の動きか止まった。眠るように静かに目を閉じ、地に伏した龍の姿が徐々におぼろげになり、消えてゆく。龍が完全に見えなくなった時、絢女が立ち上がった。
眠る冬獅郎を両手に抱き上げ、まっすぐに卯ノ花に向かう絢女の姿に、京楽と白哉は結界を解く。
「卯ノ花隊長。冬獅郎をお願いします」
と、卯ノ花に弟を託して、絢女は乱菊を振り返った。
駆け寄った乱菊は、絢女の顔から血の気が失せているのに気付いた。
「絢女…」
「だい、じょうぶ。ちょっと疲れただけだから」
乱菊が絢女の両腕を掴んだのと、絢女の体から力が抜けたのは、ほぼ同時だった。倒れ込んできた絢女を抱きとめ、乱菊は慌てて、
「勇音!」
と、四番隊副隊長を呼んだ。部下とともに駆け寄ってきた勇音が絢女を受け取り、彼女の状態を検める。
「霊力を消耗して、意識を失ったようです。怪我は…、命に関わるようなものではないです」
勇音の報告に、乱菊をはじめとした立会人たちはほっと息をつく。二人はすぐに四番隊に収容された。
目を開けると、初めに映ったのは黄金色だった。
「隊長」
囁くように小さな声で呼びかけられ、体を起こそうとした途端、冬獅郎は布団に崩れ落ちた。実際には
「隊長、まだ動いちゃダメです」
乱菊が形のよい眉をハの字に下げ、気遣わしげに注意した。
「…」
返事をしたかったが、湧きあがる痛みにまだ声を出せずにいると、
「筋肉痛と関節痛です。二、三日は安静にしているようにと、卯ノ花隊長からのご伝言です」
と、乱菊が教えてくれた。
じっと動かずにこらえていると、ようやく痛みが遠ざかってきた。
「筋肉痛って…、どういう…?」
やっと、声が出せた。
冬獅郎の問いかけに、乱菊は初めて微笑を浮かべた。
「急激に成長したせいです」
「…は?」
「封じられていた霊力が一気に解放されて霊力が上昇したから、それに耐えられるように器も成長したみたいです」
冬獅郎にとっては予想外の話だったが、卯ノ花と絢女はもしかしたらそのようなことが起こるかもしれないと予測していたらしい。
霊力のある子供の成長と、霊力の上昇は密接な関係がある。卯ノ花や京楽のように護廷の隊長となれるほどの霊力の主であっても、赤子のうちから隊長級の霊力を保持しているわけではない。支えられる霊力には著しい個人差があるが、身体が幼ければその分低い霊力しか支えられないのだ。
霊力を持って生まれてきた子供や、霊力のある人間が幼いうちに亡くなって尸魂界に来たような場合、その子供は霊力の上昇に応じて成長する。そして、現世の人間で言うと二十五歳前後に当たるくらいで、肉体的、霊力的にピークを迎え、その後は、霊力を持たない魂魄と同様に極めてゆっくりとしたスピードで歳をとってゆくのである。ピークに達するまでの成長の速度は、霊力自体の強さにも多少影響されるがそれよりも上昇率の影響の方が大きい。たとえば、十の霊力の子供が二十になるのと、百の子供が百二十になるのに要した期間が同じだった場合、一般に、十の子供の方が早く成長しているように見えるのだ。十一番隊副隊長の草鹿やちるは霊力のある子供としてはかなり成長が遅いが、それは、彼女が赤子のうちから護廷副隊長級の極めて高い霊力を保持していた反面、その後の霊力の上昇が緩いことが原因と見られていた。だから逆に、今回の冬獅郎のように急激に霊力が高まった場合、それに呼応して、肉体も急激に成長することがあるかもしれない、というのが卯ノ花の見立てだった。
「十年分くらい一気に成長したみたいですねぇ。眠ってらっしゃる時に計ったので正確じゃないですけど、背丈は四寸 *1 近く伸びてるようです」
「そうか…」
「とりあえず、成長は落ち着いたので、安静に寝ていれば痛みは引くはずだと、卯ノ花隊長はおっしゃってました」
「身動き出来ねぇくらい痛いんだ。寝てるしかねえよ」
と、冬獅郎は嘆息した。
「姉さまは?」
乱菊は体をずらし、視線を動かした。冬獅郎の目が乱菊を追って動く。
隣の寝台に昏々と眠る絢女の姿を見出し、冬獅郎は眉を顰めた。
「大丈夫、眠ってるだけです」
「怪我は?」
「卯ノ花隊長と勇音で治療済みです。怪我より、隊長の霊力を抑えるのでかなり消耗したみたいで、いっぺん起きたんですけど、すぐまた眠っちゃって…」
乱菊の表情を見て、姉が心配するほどの容体ではないと理解し、冬獅郎はほっと息をついた。乱菊の話によると、解放の儀式から丸二日間、冬獅郎は眠っていたらしい。その間、乱菊は書類を病室に持ち込み、冬獅郎と絢女がいつ目覚めても大丈夫なように側について仕事をしていたそうだ。
午後になって、八番隊隊長の京楽春水と副隊長の伊勢七緒が揃って見舞いに来てくれた。
「はい、お見舞い」
と、手渡された小袋に、
「あら、何です?」
と、乱菊は小首を傾げる。
「甘納豆だよ。好きだと言ってたし、これなら、寝たままでも食べられるでしょ」
京楽の心遣いに、冬獅郎は素直に礼を述べる。乱菊が茶を淹れに出て行ってから、京楽は笑いながら言った。
「烈ちゃんから、冬獅郎くんが大きくなったって聞いてたけど、確かに顔つきは変わったね。ぐっと男っぽくなったと思わない、七緒ちゃん?」
「ええ、ほんとうに。背も伸びてらっしゃるのでしょう?」
「四寸ほど伸びたらしい」
俺は起きられねぇから実感ないけど、と冬獅郎は苦笑った。
「あと四回だよね。冬獅郎くんも大人になっちゃうなぁ」
いくらか残念そうな口調の京楽に、
「でかけりゃいいってもんでもねぇけど、大きくなれば、その分、護れるものも大きくなるから、俺は嬉しいけどな。筋肉痛と関節痛は勘弁してほしいが」
流魂街に祖母や桃と暮していた頃、冬獅郎は早く大きくなりたかった。彼に仇なそうとする敵から、たったひとりで彼を護ろうと必死になっている姉を解放してやりたかった。大きくなって、自分の身が自分で護れるほど、姉をも護れるほど強くなれれば、それが叶うと信じていた。姉を失い、乱菊に導かれるようにして死神になり、護廷の隊長に上りつめて、やはり早く大きくなりたいと切に願った。幼い自分を敬愛し付いて来てくれる、乱菊を筆頭とした部下たちを護るには、己の背中は小さすぎたから。
「乱菊ちゃんは、可愛い隊長が見られなくなっちゃうのは残念、て言ってたけど」
「ああ?」
ぐっと眉間の皺を増やした冬獅郎に危機感を覚えたか、
「絢女さんは、まだ眠りっぱなしですか?」
と、七緒が話を変えた。
「いっぺん起きて、すぐまた眠っちまったらしい」
「無理ないよ、ボクと白哉くんと二人がかりの結界さえ危うくなったほどの力を、押さえ込んだんだからねぇ」
乱菊が戻ってきた。お茶を受け取りながら、七緒が、
「すごい量のお花ですね」
と、病室を見回す。
「うん。お見舞いって言ったら、やっぱり花が定番だからかぶっちゃって。うちの子たちの他に、浮竹隊長とか狛村隊長とかからもいただいたしね。でも、隊長はともかく、絢女は目が覚めて、花がいっぱいあったら喜ぶかなって思って、全部飾ってるの」
「絢女さん、お花が好きですものね」
「俺はともかくって、どういう意味だよ」
「これなんか、ずいぶんとゴージャスだね」
と、京楽が指差したのは、カトレアや薔薇などの値の張りそうな花をこれでもかとてんこ盛りにした、一抱え以上もあるアレンジメントだった。
「ゴージャス、つか、派手だな。浮竹や狛村じゃねえだろ? 誰だ?」
「大前田副隊長からです」
乱菊の告げた名に、冬獅郎は鳩が豆鉄砲をくらったような顔になった。
「何で、大前田…?」
二番隊副隊長の大前田と冬獅郎の間には、ほとんど接点がない。もともと、十番隊と二番隊が接点が少ないのだ。隊首である冬獅郎と砕蜂は、別に不仲ではないが単なる同僚以外の何ものでもない間柄だし、やたらと広い交友関係を持つ副官の乱菊でさえ、砕蜂とは女性死神協会で一緒になる程度の付き合いだ。大前田は乱菊の飲み仲間にも入っておらず、従って、冬獅郎と大前田は隊長格会議で顔を合わせるくらいである。それに、冬獅郎の見るところ、貴族で富豪である大前田は冬獅郎をあまり快く思っていない。隊長としての実力は認めて一応の敬意は払っているようだが、心の底では流魂街出身の餓鬼と侮っているのが透けて見えるのだ。
「そういや、あいつ。この頃、妙に愛想いいが…」
隊長格会議で、にこやかに挨拶してきた大前田に、珍しいと思ったのはつい先日のことだ。
冬獅郎は、京楽や乱菊、七緒までが微妙な表情になっているのに気付いた。
「大前田くん、まだ諦めてなかったのか」
「みたいですねぇ」
「というより、絶好の機会だと思っているんじゃないですか? 市丸隊長もいなくなったことだし」
「ああ、そうか。相当、怖がってたもんね、市丸くんのこと」
話が見えない冬獅郎に、七緒が教えた。
「大前田さんって、絢女さんのことが好きだったんですよ」
「あ?」
「プロポーズしたこともあるんだよ」
と、京楽が補足する。
「プロ…ポーズ?」
再び、冬獅郎は鳩が豆鉄砲をくらった顔になった。
「もちろん、絢女は速攻で断ったんですけど」
「その後も、かなりしつこかったらしいですよ。現世でいうところの『ストーカー』に近かったって、噂に聞きました」
「大前田くんは他隊とはいえ副隊長で絢女ちゃんより上官だったし、貴族だし、霊術院の先輩でもあったしで、絢女ちゃんも強く出られなくて困っていてね」
「見かねたギンが話をつけたんですよ。アイツ、当時、絢女の直属の上司だったから」
「話をつけたというか、脅したって聞いてるよ」
「まぁ、そうです。ギンのことだから、相当えげつない脅しをかけたと思いますよ。『あんだけ、釘刺したし大丈夫や』って、アイツが笑った時、大前田さんに腹を立ててたあたしでさえ思わず同情したくらいですもん」
「怯えてましたものねぇ、市丸隊長のこと」
しみじみと七緒が述懐し、京楽と乱菊が深く頷いた。
「じゃあ、急に俺に愛想よくなったのって…?」
「そりゃあ、大前田くんとしては未来の義弟を邪険にはできないでしょう」
京楽の言葉に、寒気がした。
「やめろ、鳥肌が立つ」
「大丈夫ですよぉ。絢女は大前田さんなんて眼中にないですから。生理的に受けつけない、とまで言いきってましたし」
「ったりめーだ。大事な姉さま、大前田なんかに渡せるか!!」
思わず、肩に力を入れて怒鳴った瞬間、激痛にみまわれた。
「~っ!」
息を詰めて苦痛に耐える冬獅郎に、京楽がぽつりと言った。
「冬獅郎くんさぁ、白哉くんを笑えないよ?」
*1 明治に制定された曲尺による尺貫法を使用。
一寸=3.03cm 従って、四寸は約12cm。