背中
穿界門を潜り抜けた途端、くしゃくしゃの笑顔を浮かべた美女に織姫は抱きしめられた。
「良かった~! 織姫、無事でよかった!」
豊満な胸に力いっぱい顔を押し付けられて、じたばたともがく織姫の隣で、
「ちょっ、乱菊さん! まじ、窒息するって!」
「乱菊さん、乱菊さん、やりすぎです!」
と、一護と恋次がわたわたしている。乱菊を織姫から離したいのだが、下手に触るとセクハラになりそうで、手を出しかねている二人を押しのけるように割って入った人物が、
「松本、いい加減にしろ。おまえの胸は凶器だと何度言やぁ、理解するんだ」
べりっ、という擬音が入りそうな勢いで、乱菊を織姫から引っぺがした。
ぷはぁ、と盛大に息継ぎをした織姫が、
「ありがとう、冬獅郎くん」
と、礼を言いかけて固まった。傍らでは、すでに一護と恋次、さらにルキアや石田雨竜、茶渡泰虎までが石化していた。
沈黙が、一秒、二秒と続く。
きっかり、三十秒めで、
「何で、でかくなってるんだよ!!」
「日番谷隊長~!?」
一護と恋次が揃って盛大に叫んだ。
「悪かったな、でかくなってて」
ふてくされたような仏頂面と見覚えのある眉間の縦皺は、確かに日番谷冬獅郎に間違いないのだが、外見が彼らが知っている冬獅郎と明らかに違う。一護たちの知る冬獅郎は、外見年齢十歳強、身長133cmの生意気な小学生としか見えない少年だった。しかし、現在進行形で目の前に存在する日番谷冬獅郎は、外見年齢十五歳前後、身長も166、7cmくらいはあって織姫よりも背が高くなっていたし、大柄な乱菊にもあと数cmと迫っていた。
「あの~、日番谷隊長? 一体、何喰って、急に成長したんスか?」
「まさか、涅のマッドな改造を受けたんじゃ…」
「なんで、涅に改造されなきゃならねぇんだよ」
恋次と一護の失礼な言い草に、はぁ、と冬獅郎は深い溜息をつく。
「いや、改造云々はともかく、本当にどうしたんだい?」
と、雨竜までもが我慢できない様子で尋ねてきた。
「封じられてた霊力が解放されたんで、それを納める為に体の方も成長したらしい」
冬獅郎の極めて簡潔な説明に、
「あ~」
と納得したのは恋次と泰虎だけである。盛大に?マークを飛ばす残りの面々に、乱菊が笑いながら説明した。
「色々と事情があって、隊長の霊力は隊長の姉さんの力で一部封印されていたのよ。封印した隊長の姉さんはずっと行方不明だったんだけど、織姫、あんたがいなくなる直前に破面の襲撃があったでしょ? あの時に隊長と姉さんは再会して、封じられたままだった霊力を解放して貰ったの。で、霊力が急上昇したからそれに耐えられるように体の方も成長した、という訳」
そういえば、と一護とルキアも、織姫拉致の報告を受けた際にその場にいた女死神のことを思い出した。確か、長らく行方不明となっていた冬獅郎の姉だと説明された記憶がある。だが、その時は、二人とも織姫のことで頭がいっぱいで、聞き流してしまったのだ。
「冬獅郎くん、お姉さんがいたの!?」
衝撃から立ち直ったらしい織姫が華やいだ声を上げ、冬獅郎がわずかに笑みを浮かべて、
「ああ」
と、頷いた後、背後を振り返った。
ふわり、と柔らかな風が吹きぬけ、少し離れたところに佇んでいた女死神が優美な動作で近づいて、冬獅郎の傍らに立った。
「俺の姉だ。井上と石田は初めて会うな」
「日番谷絢女です」
にっこりと、絢女は微笑んで自己紹介をした。織姫を見つめ、
「現世派遣の折には、弟と乱菊がお世話になったようで、ありがとうございます」
「いえ、そんな、お世話だなんて!」
「石田さんのことも、弟から聞いております。弟がご迷惑をおかけしました」
「え、いえ、別に迷惑だなんて…」
柄にもなく真っ赤になってうろたえる雨竜と、ぽかんとした顔で絢女に見蕩れる一護を見遣り、二人の反応が乱菊と初めて会った時とそっくりなことに恋次は気付いた。ちなみに、彼自身と泰虎も、破面との交戦を終え、仲間や喜助とともに浦原商店に戻ってきた絢女に改めて対面した時に、似たような反応をした記憶がある。どうも、男というものは種族の違いを超えて、乱菊や絢女のようなスーパーヘビー級の美女を前にすると見蕩れるか、うろたえるしかないらしい。
「すご~い。冬獅郎くんって、綺麗な顔立ちしてるなぁって思ってたけど、お姉さん似だったんだね」
と、織姫が冬獅郎と絢女を見比べる。
「そんなに似てるか?」
「うん、そっくりだよ!」
「そうか」
と、穏やかに会話を続ける冬獅郎に恋次は目を丸くした。冬獅郎が整った綺麗な顔立ちをしていることは衆目の一致するところだったが、以前の冬獅郎なら、
「男が綺麗と言われて喜ぶと思うのか?」
と、不機嫌になっていたところだ。
「『お姉さん似で綺麗』というところがポイントよ」
と、乱菊が苦笑を浮かべた。
「つまり、絢女が綺麗って言われてるのも同然でしょ?」
「あ~」
「絢女に似てる、って言われるのも嬉しいみたいなのよねぇ」
「…もしかして、朽木隊長のお仲間ッスか?」
「はっきり言って、既にワンセット扱いになってるわ」
「うわぁ…」
頭を抱えた恋次の側に、彼の留守中に冬獅郎とセットものになったらしい上司が歩み寄ってきた。
「恋次、それから、ルキアも、日番谷に礼を言わぬか」
と白哉に咎められ、はっと、恋次とルキアは姿勢を正した。
「日番谷隊長、ご助力、ありがとうございました!」
声を揃えた恋次とルキアに、
「俺は何もしてねぇ」
と、冬獅郎は素っ気なく視線を逸らした。
「日番谷隊長が四十六室や総隊長殿を説得して下さったと伺っております」
ルキアが訴える。
藍染に拉致された織姫と、彼女の救出に向かった一護たちは、護廷からは見捨てられていた。織姫一人の命と世界では、世界の方が重いというのが護廷のお偉方の言い分で、それはある意味正しい意見であった。護廷の命にそむき、織姫救助に動いた一護やルキアは勝手な振る舞いとみなされており、護廷からの救援は望みようがなかったのである。
その状況が変わったのは十番隊長の説得によるものだ、ということを、一護たちは救援に来た白哉から説明された。現世の浦原喜助と協力して、織姫の能力を分析し、藍染がどうして織姫を拉致したのかの推理を展開してみせた冬獅郎の説得に、織姫が藍染の許にあることの危険性を悟った中央四十六室は救援の派遣を決定した。救援は四、十一、十二番隊ツートップ、および六番隊長朽木白哉に救護要員として四番隊第七席を加えた総勢八名からなる強力な部隊であった。織姫こそ奪還したものの虚夜宮から脱出しあぐねていた一護たちは、救援部隊に保護されて、無事に瀞霊廷の土を踏むことが出来たのである。
「説得の材料を揃えたのは、浦原と俺の姉だ」
と、冬獅郎は傍らの絢女に視線を投げた。
「礼なら、二人に言え」
冬獅郎の言葉に、ルキアが絢女に向き直る。
「絢女殿、ありがとうございました」
「絢女さん、ありがとう」
「ありがとうございました」
ルキアに唱和するように、織姫や一護や雨竜が次々に礼の言葉を述べ、絢女は困惑を湛えた笑みを返した。
「あのね、資料はほとんど浦原さんが用意して下さったの。私はそれをまとめたくらいで…」
「ですが、最初に織姫さんの能力が藍染に与する危険性に気付かれたのは、絢女さんでしょう?」
と、卯ノ花が微笑した。
「絢女さんの指摘を受けて、浦原さんも分析を行ったわけですから」
「私は織姫さんを直接知らなかったから、先入観がなかっただけです」
やっぱり困った顔のまま、絢女は話を変えた。
「それよりも、黒崎さんや阿散井くんたちの手当てが必要なのではないですか? ずっと虚圏で戦っていたのでしょう? 怪我がなくても疲れているはずですし、それに、卯ノ花隊長たちも…」
「そうですわね。ここで立ち話をしていても仕方がありませんし、みなさん、とりあえず、四番隊にいらして下さい」
卯ノ花の言葉に素直に頷いて、一護たちはぞろぞろと四番隊の救護病棟に向かって歩き出した。
人懐こい織姫は乱菊と絢女に左右から話しかけられ、にこにこと嬉しそうに笑いながら歩いている。
その背後に位置していた一護は、並んでいる織姫と絢女の後姿を捉え、ふと眉を寄せた。
「どうした、黒崎?」
訝しげに冬獅郎が声をかける。
「え、あ…」
一護は戸惑った様子で、冬獅郎を見た。
「いや、別にたいしたことじゃねぇんだ」
「ん?」
「その…、絢女さんと井上って、後ろから見ると似てねぇ?」
指摘されて、冬獅郎は前方の姉と織姫を見直す。
「そういや…」
肯いた冬獅郎に、近くにいた雨竜や恋次も、
「似ているな」
「前から見ると似てねぇけど、後ろ姿は言われてみるとそっくりだ」
と、賛意を示した。
確かに、二人の後ろ姿はとてもよく似ていた。髪色がよく似た栗色で長さも近く、ほっそりと華奢な体つきも似通っているせいだろう。今は二人が並んでいるので、織姫よりも絢女の方がいくぶん背が高く、髪色もわずかに明るいのが見て取れるが、例えば、同じ服を着て、背丈を推測できるような比較物が何もないようなところで後姿だけを見せられたら、親しい者でもちょっと判断に迷うだろうと思われた。
だが、それは、どう考えてもたわいのない事実に過ぎない。
にもかかわらず、黒崎一護が考え込む表情を見せたのが、冬獅郎には気になった。
「どうしたんだ、黒崎?」
「あ、いや。なんでもねぇんだ」
慌てて笑顔を取り繕う一護に不審を覚えながら、冬獅郎はあえて追及はしなかった。
控えめなノックの後、入って来たのは一護だった。
病室に据えた机に向い、書類仕事をこなしていた乱菊は筆を止めた。
「あら、一護じゃない? お見舞いに来てくれたの?」
「うん、まぁ…」
「一人? お茶でも淹れるわ。ちょっと待ってて」
「いや、仕事中なんだし、気を遣わないで…」
「休憩しようと思ってたとこなの。話し相手になってよ」
と、乱菊はウインクしてお茶を淹れに出て行った。残された一護はそこにあった丸椅子に腰を下ろした。
彼の左右には寝台が並んでいて、冬獅郎と彼の姉が眠っていた。
一護たちが瀞霊廷に保護された翌日、卯ノ花の帰還を待って繰り延べされていた冬獅郎の四度目の霊力解放が行われた。一護たちはまだ霊力がすべて解放されたわけではなかったことに驚きながらも、解放の儀式に立ち会うことを許され、冬獅郎の霊力が跳ね上がるさまを目の当たりにした。それから、一日、冬獅郎と絢女は眠り続けている。儀式の後、霊力を消耗しきった二人が眠り続けることは過去三回の解放で経験済みのことである。一護らも、卯ノ花から、
「二日目か三日目に目を覚まされますから、お見舞いならばその後においでなさい」
と伝えられていた。
二人分のお茶と、お茶請けの蕎麦饅頭を持って戻ってきた乱菊に、
「こんなふうに眠っているとこ見ると、ホント、そっくりだよなぁ」
と、一護は感心したように冬獅郎と絢女を見比べながら言った。
「起きてっと、冬獅郎の目つきが悪りぃから、あんま似てるように見えねぇけど」
「隊長、い~っつも眉間に縦皺寄せてるからねぇ。あたしとしては、この若さで眉間の皺が常態ってどうかと思うんだけどさ」
「眉間の皺のねぇ冬獅郎なんて、すでに想像できねぇんスけど、俺」
あはは、と乱菊は笑った。
「それは問題だわ」
「似てるっていえば、絢女さんと井上って、」
「後ろ姿が似てる、でしょ?」
一護の言葉を乱菊が引き取った。
「隊長が不思議がってたわよ。確かに言われてみればそっくりだけど、一護がそれを妙に気にしてるのが解せないって…」
「ああ…」
「どうかしたの?」
困った様子で視線を彷徨わせる一護に、わかりやすい子ねぇ、と乱菊は内心で苦笑する。
「一護、あんた、お見舞いに来たんじゃなくて、あたしに用があったんじゃないの?」
「あ~、えーと…」
「何よ、あんたらしくないわね。どうしたの?」
「あの、さ」
「何さ?」
「その…、乱菊さんと市丸って、その…」
言いよどむ一護に、
「幼馴染よ」
と、乱菊は助け舟を出してやった。
「それがどうかしたの?」
「…乱菊さんは市丸のこと、よく知ってるんだよな」
「あたしはアイツが反乱起こすことも気付けなかったからね。よく知ってるかと言われると困るけど、それなりには知ってるわよ」
いっそさっぱりとした口調で告げる乱菊に、一護は背中を押された気がした。
「市丸って、三番隊長になる前は五番隊にいたって…」
「うん。副隊長だった」
「絢女さんも五番隊だったって聞いたんだけど」
「そうよ。三席だったわ」
「あの、市丸と絢女さんて、どういう関係だったんですか?」
思い切って尋ねた一護に、乱菊は空色の目を見開く。
「関係って…」
「もしかして、恋人同士だったとか?」
「ただの上司部下で、同期の友人だったわ」
と乱菊は答えた。ギンの想いがどこにあったとしても、五番隊にいた頃の二人の関係は「上司部下で同期の友人」でしかなかったのは確かだ。
「乱菊さん…」
「何よ?」
「俺、虚圏で市丸と会いました」
再び、乱菊は瞠目した。
一護が市丸ギンと遭遇したのは、
左手でネルを抱え、右手で織姫の手首を摑んで、一護はルキアの許へ走っていた。
ウルキオラからルキアの死を伝えられた一護だったが、消え入りそうに微かだったがルキアの霊圧はまだ残っていた。生きている、今にも消えそうだがまだルキアは生きている。だからこそ、一護と織姫は焦っていた。一刻も早く、ルキアの許に行かなければ間に合わないかもしれない、と。
その時、彼らの前に現われたのがギンだった。
走ってくる一護たちを認めたギンは、壁に背中を預けたまま、緊迫感のまるでない暢気な声で、
「えらい、急いではるなぁ」
と声をかけた。
とっさに、一護はネルを織姫に押し付け、二人を背後に庇った。斬月の柄に手をかけ、身構える。
藍染に従い護廷に叛逆した隊長のひとり。崩玉を取り出され用済みになったルキアを藍染の命に従って容赦なく殺そうとした男だと、一護は認識していた。
今にも斬月で切りかかろうという構えの一護に、
「止めとき」
と、ギンは静かに告げた。
「今のキミはぼろぼろや。ボクに勝てへんよ」
「勝てるかどうか、やってみなきゃわかんねぇだろ!」
「えらい活きがええね。けど、止めとき。後ろで織姫ちゃんも心配してはるで」
ゆっくりと壁から体を起こし、ギンは一歩、一護に近づいた。思わず気圧されて、一護は後ろに下がっていた。斬月を握る手に力がこもった。
「黒崎くん…」
一護のすぐ後ろで織姫の不安げな声がする。
今の自分では、ギンの言う通り、勝てないだろうと一護は自覚していた。けれど、負けるわけにはいかないのも確かだった。織姫を連れて、ルキアや雨竜たち仲間の誰一人欠けることなく虚圏を脱出する為には、どうしても、目の前に立ち塞がるこの男に勝たなければならない。
息を詰め、斬月を抜き放とうとしたその時、
「織姫ちゃん、ちょっと後ろ向いてくれへん?」
意表を突かれ、
「へ?」
「ふぇ?」
と、一護と織姫は揃って気の抜けた声を上げてしまった。
くっくっ、と声を上げてギンは笑った。
「二人とも、えらい間の抜けた顔になってんで」
「てめぇ!」
怒鳴る一護を無視して、ギンは背後の織姫に話しかけた。
「織姫ちゃん、ちょぉっと後ろ向いて欲しいねんけどなぁ」
「えっと…、あの?」
「ええから、ちょっとだけ。お願いや」
両手を合わせて拝むポーズまでされて、織姫は戸惑いながら、それでも素直に後ろを向き、ギンに背中を見せた。
すうっとギンの顔から表情が失われた。先ほどまでの飄々とした笑みを消し、ギンは織姫の背中をひたすら見つめていた。
「あんた…、背中フェチなのか?」
思わず突っ込んだ一護に、
「失礼な子ォやな。別にボクは変態やあらへんで」
「じゃ、何で!?」
「おおきに。もうええよ」
再び一護を無視して、ギンは織姫に告げた。それから、一護に向き直った。
「行ってええよ」
あっさりと言い放たれた言葉に、一護は反応できなかった。呆然と見返す一護に、
「見かけによらずしぶといねんなぁ、ルキアちゃんは」
と独り言めいた口調で、ギンは言った。
「アーロニーロは一応、十刃やってんけどなぁ」
「何を…」
「けど、ルキアちゃんもぼろぼろやな。どんどん霊圧が弱なってるし、時間の問題やろなぁ」
「てめぇ…!」
「急いだ方がええんちゃう? 今なら、まだ生きとるで」
にぃ、と笑って、ギンは言った。意図がつかめず、
「何で…!?」
と一護は絶句する。
「別に…。ただの気まぐれや」
とギンは答えた。
「気まぐれやから、いつ、気ィが変わるか知れんで? 気ィ変わらへんうちに行った方がええんちゃうの?」
一護は織姫の手首を再び摑んだ。
無言で走り出す彼の背後で、ギンがぽつりと呟いたのがかろうじて耳に届いた。
「手ェ、離すんやないで」
乱菊の空色の眸は、これ以上は開けないというほどに見開かれていた。
「手を離すな…?」
呟いた乱菊に、
「多分、独り言だったと思うんだけど。俺に聞かせるつもりの言葉じゃなくて…」
と、一護は答えた。
「アイツ、そう言ったのね?」
「っス」
かたんと、乱菊は椅子から立ち上がった。
「乱菊さん?」
一護が見上げた途端、
「ぶっ!」
彼の顔は柔らかいものに全力で押し付けられていた。
それが乱菊の胸だと悟った瞬間、一護は頭が真っ白になった。慌てて、じたばたと暴れるが、乱菊は抱きしめた腕を放そうとしない。
「乱菊さん、放して下さい!」
と叫びたかったが、口許を胸に塞がれていて声がくぐもってしまう。冬獅郎が乱菊の胸は凶器だと言った意味を、一護はしみじみと理解した。男なら一度はあこがれる神々の谷間は、間違いなく窒息の危険性を孕んでいた。
けれど、
「ありがとう、一護」
頭上から降ってきた声に、一護は暴れるのを止めた。
多分、今の乱菊は泣きそうな顔をしている。
根拠などまるでなかったが、何故か、一護は確信していた。彼女はその顔を見られたくなくて、一護を抱きしめたのだと悟った。
おとなしくなった一護に乱菊の拘束が緩み、少し、呼吸が楽になった。
色々と、かなり色々と差し障りのある体勢であったが、一護はおとなしく乱菊に抱きしめられていることにした。
「ありがと…」
もう一度、乱菊は言った。
ギンにはやっぱり絢女は殺せない。
大川の証言を聞かされて以来、ずっとわだかまっていた乱菊の不安を、一護は消してくれた。
敵であるけれど。道を違えてしまったけれど。何を考えているのか分からないほど遠くなってしまったけれど。
それでも、まだ、アイツはあたしの知っているギンだ。
乱菊は傍らで眠り続ける絢女を見遣った。
(絢女。やっぱり、ギンはあんたを殺せないよ)
と、心の中で呟く。
「あのー、乱菊さん?」
胸元でおずおずと一護が声をかけた。
「何?」
「部屋の温度…。下がってる気がするの、気のせいっスか?」
「へ?」
乱菊は一護を放し、冬獅郎の寝台を向いた。
「隊長、目が覚めたんですか?」
「ああ…」
皺のない冬獅郎は想像できないとまで言われたトレードマークが、普段の二割増になっている。
「体、つらいですか?」
「いつもの筋肉痛だろう。寝てりゃ治る。姉さまはまだ眠ってるのか?」
「ええ。でも、今回はずいぶん早く目を覚まされましたねぇ。まだ一日しか経ってませんよ?」
「分母が大きくなってる分、消耗も少ないんだろう。今回は暴走も軽かったから、姉さまにもそれほど負担をかけてねぇはずだ」
咽喉が渇いたので水が欲しいという冬獅郎の要求に、乱菊は水を用意しに病室を出て行った。一人取り残された一護は、気まずく冬獅郎の顔を見る。
「さっきの、誤解すんなよ。あれは…」
「誤解してねぇ。途中からだが、話は聞いていたからな」
「途中からって、いつ目が覚めたんだ?」
「市丸が井上に後ろを向けと言ったあたりからだな」
「あ~。…なぁ、市丸ってやっぱり絢女さんのこと…」
「黒崎にしちゃ、察しがいいじゃねぇか」
「やっぱ、そうなのか。背中フェチじゃなかったんだな」
「違うだろ」
「なぁ、冬獅郎」
真剣なまなざしで、一護は冬獅郎を見つめた。
「誤解してねぇんなら、霊圧、引っ込めてくれねぇ? 寒いんだけど」
すっと、冷気が消えた。ほっとした一護が、
「何で威嚇すんだよ。誤解してねぇんだろ?」
と抗議すると、冬獅郎はふいと視線を背けた。
「何だよ?」
「…」
「何なんだよ?」
「…」
「冬獅郎!?」
「…気に喰わねぇのは、しょうがねぇだろう」
「…」
ぶ、と一護は吹いた。そのまま、体をくの字に曲げて、爆笑する。
ちょうど、戻ってきた乱菊が、
「何、馬鹿笑いしてるのよ?」
と呆れ声を上げた。
「いえ、何でもないデス。冬獅郎、でかくなってよかったなぁ、と…」
こみ上げる笑いで震えながら答える一護に、乱菊は胡乱げな視線を送り、冬獅郎は憮然としてそっぽを向いていた。