争鋒
どん、という破壊音とともに柱に亀裂が走った。
「柱が!」
「崩れる!?」
死神たちが息を呑んだその時、
「霜天に坐せ、氷輪丸!」
氷龍が東に奔った。
崩れる寸前の柱に龍が絡みつき、柱は一瞬にして氷結した。冬獅郎に向かってひとつ頷き、狛村が鉄左衛門を伴って、東の柱に向かう。
同時に死神と破面も動いた。
バラガンの従属官の一人と砕蜂の刃が打ち合った。
冬獅郎と乱菊、ルキアは四人の女の破面に取り囲まれた。
女の一人は
乱菊はルキアに目配せをした。ルキアが頷き返したのを確認し、
「隊長、この三人はあたしと朽木で殺ります。隊長は奥の十刃を」
と、乱菊は告げた。
「三対二だぞ。殺れるのか」
「はい」
冬獅郎の問いかけに乱菊とルキアは声を揃えた。
「わかった、任せる。だが、無理はするな。朽木もだ」
「はい」
再び、乱菊とルキアが声を揃え、冬獅郎は瞬歩で十刃の女に向かった。
「行かせるか!」
冬獅郎の動きに反応した従属官を、別の従属官が押さえた。
「待ちな、アパッチ! 後にしな!」
「ンだと、ミラ・ローズ。てめぇ、ハリベル様があの
喰ってかかるアパッチに、
「ハリベル様があんな奴に遅れを取ると思うか?」
とミラ・ローズは反論した。
「どうしても加勢したけりゃ、こっちの女どもを片付けてからだ」
「あァ。そういや、こいつら、『あたしらを殺る』って言いやがったんだっけ?」
と、アパッチは目を眇めた。
「大口叩きやがって」
「あら、意外と耳はいいのね。顔もスタイルも耳も、全部悪いかと思っていたわ」
「なンだと!」
乱菊の挑発にいきり立つアパッチを、
「いちいち挑発に乗るな、めんどくさい」
とミラ・ローズが諫める。だが、彼女が冷静でいられたのはそこまでだった。
「そうそう、そのメスゴリラの言う通りよ」
艶やかな唇をほころばせて告げた乱菊の言葉に、
「ンだと、誰がメスゴリラだ! この乳牛が!!」
「好き勝手言いやがって、覚悟しな!」
アパッチとミラ・ローズが剣を振り上げた。身構えるルキアを左手で制しながら、乱菊は始解した。
「唸れ、灰猫」
斬魄刀の刀身が崩れた。灰燼の微粒子になった灰猫が従属官に突風となって吹きつける。ロングドレスを身に付けた長い髪の従属官だけは避けたが、アパッチとミラ・ローズは剣を振り上げた態勢だった分、反応が遅れた。
微粒子をまともに吸い込んでしまって、アパッチはごほごほと噎せ返る。ミラ・ローズは右の眼球に灰が入り込んだらしく、涙を零しながら、目を擦っている。
「朽木。あっちの女をお願い」
「はい!」
乱菊から従属官を一人任され、ルキアは力強く頷いた。
「舞え、袖白雪」
ルキアの斬魄刀が雪の白に染まってゆく。その様子を視界の端で確かめながら、乱菊は柄だけになった灰猫を一振りした。
「ぎゃあぁあ!」
アパッチとミラ・ローズは絶叫を上げた。
手で押さえたアパッチの口許から、ぼたぼたと血が滴る。ミラ・ローズは右目を切り裂かれ、血の涙を流した。
「あれは…!」
一人、灰猫を避けたスンスンは、はっとしたように乱菊と二人の周りに漂う灰を見た。
乱菊が、再度、柄を振り下ろした。
「うわぁああ!」
再び、絶叫が響き渡った。
「そういうこと…」
スンスンは悟った。
無数の灰の微粒子こそが灰猫の刃だ。乱菊の一振りで、灰の降りかかった場所が切り刻まれるのだ。硬い
「まったく、私に手間をかけさせないで頂きたいものだわ」
仲間を助けようとしたスンスンの前に、ルキアが立ち塞がった。
「おまえの相手は私だ!」
「あちらの死神さんより格下のあなたがお相手? なめられたものですわね」
スンスンの嘯きには取り合わず、ルキアは袖白雪を構えた。
「初の舞、月白」
氷結する。彼女が描いた円の内部が。
(冷気!)
スンスンは飛びのいた。身裡に大蛇を飼う彼女は冷気で動きが鈍る。冷気を放つ相手は厄介だった。
「どうやら、寒いのは苦手らしいな」
ルキアの口許に笑みが浮かぶ。
「気のせいですわ」
「次の舞、白漣!」
突き出した刃の先から、凍気の衝撃波が放たれる。
「くっ!」
スンスンは虚閃を放つ。ルキアの放った衝撃波とぶつかって、凍気を散らした。
だが、ルキアは白漣を繰り出した直後に詠唱を行っていた。
「雷鳴の馬車、糸車の間隙、光もて此を六に別つ。縛道の六十一、六杖光牢」
三本の光の帯がスンスンの体を貫いた。
「な!」
交錯する帯に動きを封じられた彼女が、霊圧を高め鬼道を破ろうとする直前、
「次の舞、白漣!」
今度は避けられなかった。
衝撃波がスンスンの半身を凍結させる。
「ち…くしょう」
ミラ・ローズが呻いた。
「いい気になるんじゃねぇ!!」
アパッチが叫んだ。
「突き上げろ、
「喰い散らせ、
「締め殺せ、
従属官が一斉に帰刃した。
「しまった!」
帰刃により破面は傷を回復させる。超速再生により、回復したアパッチらは冷えた目で乱菊とルキアを見下ろした。
「調子こいてくれたな」
「死神さんの力を見くびっていましたわ」
「長引かせると面倒だ。あれで一気に片をつけるよ」
「仕方ありませんわね」
三人の従属官は目を見交わす。と、自らの左腕に右手をかけた。
「
アパッチが左手を引きちぎった。ミラ・ローズは切断し、スンスンは捩じ切った左腕を放り投げた。
「え?」
予想外の従属官の行動に目を瞠った乱菊らの前で、三本の左腕がひとつに交わった。
次の瞬間、
「!?」
「な、何よ、あれ!?」
現れた醜悪で巨大な化け物に、乱菊もルキアも息を呑んだ。
ただ、醜悪なばかりではない。霊圧とも異なる悪寒に似た寒気が、乱菊たちを包んでいた。底の見えない深い穴を覗き込んだような、暗黒に落ち込む感覚に、乱菊もルキアも身を竦ませる。
「解放したあたしたち三人の左腕から創ったペットだ。名前は『アヨン』」
と、アパッチが告げる。創り出されたばかりのアヨンはゆっくりと周りを見回した。
その目が乱菊とルキアを捉えた。
動いた。
「朽木!」
咄嗟に、乱菊はルキアの腕を掴んで左に振った。ルキアが占めていた空間に乱菊が来た。その横を、アヨンが凄まじい勢いで抜ける。
「!?」
乱菊は自分の腹を見た。
脇腹が抉り取られていた。
「松本副隊長!!」
ルキアの絶叫がやけに遠くに聞こえる。
引きちぎられた自らの内臓が、血を滴らせているのを乱菊は認めた。アヨンが彼女の腹部だった塊をぽいと放り捨てたのが見えた。
同時に、ぐらりと乱菊の意識が揺れた。
「松本副隊長ぉぉ!!」
地上に堕ち行く乱菊をルキアは必死に追いかける。やっとの思いで袖を掴むと、
「縛道の三十七、吊星!」
出現した霊圧の布が落下防止網さながらに、乱菊とルキアを受け止めた。
「松本副隊長!!」
ルキアは息を呑んだ。乱菊は肋骨の下から腸に至るまで、実に腹部の三分の二近くを抉られていた。まともに呼吸できず、はっ、はっと短くて荒い息を乱菊は吐き出していた。
「すぐに井上のところに連れて行きます! 耐えて下さい!!」
こうなるのは自分のはずだった、とルキアは震えた。乱菊は咄嗟に、ほとんど本能でルキアを庇ったのだ。彼女の傷はルキアの手に負えるレベルではなかった。卯ノ花か織姫でなければ助けられない。判断を下し、ルキアは乱菊を抱えようとした。だが、
「ひっ!!」
目の前にアヨンが来ていた。咄嗟に袖白雪を構えたが遅かった。アヨンの巨大な拳がルキアの腹にめり込んだ。ルキアは自分の内部で砕ける骨の音を聞いた。潰れる内臓の音を聞いた。
空中を飛ばされるルキアの背後に影が奔った。
「な…に?」
朦朧とした意識の中で、ルキアは自分の体が柔らかいもので受け止められたのを知った。
「よく頑張りましたね」
静かな声が聞こえた。
「卯ノ花…隊長」
ルキアを受け止めたのは
「アヨン、ウシ女に止めを刺せ!」
アパッチの怒鳴り声が聞こえたのかどうか。アヨンは拳を乱菊に振り下ろそうとしていた。
(松本副隊長!!)
身動きも出来ないまま、ルキアは息を止めた。
だが、拳が振り下ろされる直前、アヨンの体は中心から左右に割れた。
重たい音を立て、周囲のレプリカの建物を押しつぶしながら、割れた体は地に倒れる。
乱菊のすぐ側に肉雫接が寄った。卯ノ花が掬い上げるようにして乱菊をその背に乗せるや、肉雫接は再度旋回した。
「なんだ、図体がでかいだけか」
アヨンを一刀両断にした更木剣八は、物足りなそうに剣を振って鞘に納めた。
「松本を一撃にしたくらいだ。ちった楽しませてくれるかと思ったのに」
「ねぇねぇ、剣ちゃん。おもちゃにしていい?」
両断されて尚、喚き声を上げて立ち上がろうとするアヨンの姿に、わくわくした顔でやちるが剣八に強請った。
「好きにしろ」
「やったぁ!」
やちるは剣八の肩からぴょんと勢いを付けて地面に降りた。きゃっきゃっとはしゃぎながらアヨンに近付く。
治安は最悪に近い草鹿地区にあって、赤子のやちるを生き延びさせたもの。それは彼女の身裡に潜む残虐なけだものだった。そのけだものがあればこそ、彼女は剣八に出会うまで生き抜くことが出来た。そして、剣八もこの奇妙な赤子を連れ歩こうという気になった。瀞霊廷にあって成長し、いささかは分別がついてきたやちるが普段は隠しているけだものがこの戦場で呼び覚まされたのだ。
楽しげに笑い声を上げながら、
「すごーい! 斬ってもまだ腕が動いてるよ!」
「弱いくせにしぶといな」
「口を切られたのに喚いてる。どっから声が出るんだろ?」
言いながら、咽喉に刃を突き立てる。
自らの左腕から創りだしたものである。子供に切り刻まれるのを静観出来るはずもなく、
「ふざけるな、餓鬼ィ!!」
逆上したアパッチらが剣を振り下ろし、やちるに襲い掛かった。
「おらぁあ!!」
だが、
「やちるの邪魔すんな」
ただ、一振り。
ハリベルの従属官は三人ともが動かぬ屍となって、地に転がった。
「剣ちゃん」
「どうした、やちる」
「動かなくなっちゃった」
もとより三人の肉体から産み出されたけだものだ。本体であるアパッチらが落命した以上、生きてはいられない。
「つまんない」
「そのうち、また、おもちゃは現れんだろ。待ってろ」
「うん」
やちるは再び、剣八の肩に乗った。
肉雫接は主戦場から少し離れたビルの屋上に降り立った。そこには勇音ら四番隊士と、織姫が待機していた。
肉雫接に駆け寄った勇音と織姫は、乱菊を一目見て絶句した。
彼女の有様は無惨に尽きた。織姫はむろん、四番隊副隊長として酷い状態の怪我人を見慣れるほどに見てきた勇音でさえも、
「乱菊さん !!」
と名を呼んだきり、咄嗟に反応できないほどだった。
「いの…うえ…」
ルキアが織姫に手を伸ばした。はっと我に返った織姫がその手を取ると、
「朽木さん! すぐに治すからね」
と励ました。だが、ルキアはかぶりを振ると、
「…松本…副…隊長を…助けてくれ…」
と訴えた。
「わた…しを庇って…」
頼む、とルキアは繰り返す。
「織姫さん。朽木さんは私が治療します。織姫さんは松本副隊長をお願いします」
と、卯ノ花が告げた。
「え?」
尸魂界に君臨する癒しの女神が、より重篤に見える乱菊を任せたことに戸惑う織姫に、
「私では命は救えても、本当の意味で乱菊さんを救えないのですよ。織姫さん、松本副隊長をお願いします」
と卯ノ花は重ねた。
「井上、…たの…む」
ルキアもまた、織姫を縋るように見詰めた。
「はい!」
織姫には卯ノ花の言葉の意味がよく分からなかった。だが、乱菊の治癒は自分でなければならないということだけは理解した。
四番隊士が二人を肉雫接の背から下ろし、床に横たえた。
「舜桜、あやめ」
織姫は六花を呼び出した。
「双天帰盾。私は拒絶する」
六花の盾が乱菊を覆った。
卯ノ花の癒しの能力をもってすれば、乱菊の命を救うことは容易かった。だが、命は救えても、女としての乱菊を救ってやることは卯ノ花には出来ない。何故なら、卯ノ花の能力はあくまでも「治癒」であるからだ。己の霊力を注ぎこみ、回復鬼道を駆使し、治療対象者の霊子細胞を活性化させて、傷を修復するのが治癒である。それ故にこそ、「治癒」は回復は出来ても、失くしたものを復元することは不可能だったのだ。
腹部のほとんどを抉られた乱菊は、腸ばかりでなく子宮のほとんどと片方の卵巣を完全に喪ってしまっている。もう片方の卵巣もほとんど抉り取られており、卵管に近い部分が僅かに残っている程度である。傷口を一目見た卯ノ花にはそれが分かった。だから、織姫に乱菊を任せた。
織姫の双天帰盾は「治癒」ではない。対象に発生した事象を拒絶することで、事象が発生する以前の状態に回帰させる能力である。事象をなかったことにする織姫は、かつて、灰燼に帰したグリムジョーの腕を再生させた。彼女の双天帰盾であれば喪われた子宮も卵巣も復元できる、と卯ノ花は判断したのだ。
乱菊がようやく冬獅郎と想いを通じ合わせたことを、卯ノ花は察している。乱菊が女でなくなったからといって、冬獅郎が彼女を離すとは思えない。だが、乱菊は、自分は冬獅郎に相応しくないと身を引こうとするだろう。冬獅郎がそれを許さず側に留めたとしても、乱菊は良しとはせずに苦しみ続けるだろう。そういったことが、卯ノ花には容易に想像がついた。見かけとは裏腹に古風なところのある乱菊を、兄も同然だった市丸ギンの裏切りで傷付いている彼女を、これ以上痛めつけることは忍びなかった。
織姫にとって幸いだったのは、乱菊を傷つけたアヨンは力こそ桁違いに強かったが、殺戮の本能のみに従って動くけだものであったことだ。織姫の双天帰盾が事象を拒絶する際、その妨げになるのは傷口に残留する霊圧である。相手の霊圧が高いほど、互いに死力を尽くした戦いであればあるほど、傷には敵の霊圧が名残となって渦を巻き、拒絶の為の回帰点の特定を困難にするのだ。その点、乱菊は重傷ではあったが、残留する霊圧はほとんどない。拒絶は難しくはなかった。
冬獅郎の一瞬の動揺を、ハリベルは見逃さなかった。
「部下が心配か?」
嘯きながらも、彼女の剣は正確に冬獅郎に向けて振り下ろされていた。その刃を、氷輪丸ががちりと止めた。
「心配して悪いか?」
「悪くはない」
と、ハリベルは応じた。
「だが、私と闘っていながら余裕だな!」
凄まじい勢いで振り下ろされた剣を、冬獅郎は紙一重で避けた。
成体の
その噂は真実だった。
帰刃していないハリベルは、始解の冬獅郎と互角に戦っていた。
(この女、何番目だ?)
(さすがは隊長か。剣が届かない)
「くっ!」
冬獅郎がハリベルの攻撃を避けるように、氷輪丸の斬撃もまた躱わされ続けていた。
(松本…)
卯ノ花が乱菊の許へ救援に向かっている。剣八の霊圧もまた、乱菊を傷つけた化け物に近付いていた。
(卯ノ花、松本を頼む)
「
凄まじい気の塊がハリベルの刃から放たれた。冬獅郎が咄嗟に張った結界にぶつかって生じた衝撃波が、互いを襲った。飛びのいたその時。
アヨンが剣八によって、真っ二つに切り裂かれた。
(!!)
ハリベルは巧みに驚きを隠した。殺戮本能に従って暴れるだけの知性を持たないけだものであったが、強さについてはハリベルも認めていた。そのアヨンがただの一太刀で両断されたのだ。
「化け物、殺られたみてぇだな」
「部下が助かりそうで安心したか?」
「まぁな」
冬獅郎が相手の力を量りかねて、卍解の出来ずにいるように、ハリベルもまた帰刃のタイミングを計りかねていた。
互いに牽制しあいながら、技を小出しにしての戦い 。
均衡が破れたのは、ハリベルの従属官の霊圧が消えた瞬間だった。アヨンを一撃で倒した剣八が、三人の従属官も瞬殺してのけたのだ。
ブン、という風切り音を立て、かつてない勢いでハリベルは剣を振った、氷輪丸で受け止めた衝撃波が、冬獅郎を弾き飛ばす。空中を霊圧で摩擦させ、冬獅郎は自らの体を止めた。
「アパッチ…、スンスン、ミラ・ローズ…」
ハリベルは従属官の名を呟いた。
「よく闘った…」
彼女は上着の前を開いた。申し訳程度に隠された胸が現れた。その右胸の乳房の内側に刻まれた‘3’の刻印を、冬獅郎は見詰めた。
「てめえ程の力で、まだ三番目か」
「私ほどの力?」
ハリベルは目を細めた。
「私の力の底など、まだ貴様に見せた覚えはないぞ」
おそろしく静かな声だった。
(
冬獅郎は身構えた。
「討て、
ハリベルの剣から、体から、凄まじい水が迸った。大量の水流は渦を巻いてハリベルを包み込み、巨大な水の繭と化して閉じた。
「水を操るか!」
西の柱を護る檜佐木修兵が闘ったバラガンの従属官も高圧水流を操っていた。だが、十刃№3の水流に比せば、まるで子供だましだ。
冬獅郎が見守る前で、水流の繭から刃が突き出された。刃が繭を切り裂き、帰刃したハリベルが姿を現した。
凍った瞳で見下ろすハリベルを、冬獅郎は冷静に観察した。外見的には露出が増したのと、刃が鮫を思わせる形態に巨大化した他はほとんど変化がない。むしろ、口許を覆っていた仮面が外れた分だけ人型に近づいたとさえ言える。帰刃した破面のほとんどが化け物じみた形態に変化することを思えば、特異な帰刃形態かもしれない。だが、その膚に刻まれた‘3’の刻印は侮れるものではない。
「終わらせる」
ハリベルは宣言すると、おもむろに刃を冬獅郎に向けた。一瞬早く、氷の龍が身をうねらせながら、ハリベルを急襲した。
「
ハリベルの刃から放たれた気に触れた瞬間、氷龍は水に還った。水流が彼女の頭上に渦巻くや、
「
現世の空母でさえ一撃で沈めるほどの水圧の塊が、真上から冬獅郎に襲い掛かった。
「卍解! 大紅蓮氷輪丸」
解放の符呪が響き渡る。
「!?」
凍った。
ハリベルの断瀑は一瞬にして凍りつき、そのまま地上に落下して粉々に砕けた。
「残念だったな」
卍解した冬獅郎は氷龍と一体化していた。氷の翼をはためかせ、冬獅郎が一気に上昇してくる。彼はハリベルと距離を取ったまま、真向かいに立った。
「全ての水は俺に従う。その水がてめえの武器だとしても同じだ」
と、彼は告げた。
「同じ、か…?」
「群鳥氷柱!」
細く鋭い氷柱が幾千万の刃の雨と化して、ハリベルに降り注ぐ。
「灼海流」
一瞬で氷柱は融解した。彼女に従い水流が水の竜巻と化した。
だが、水の竜巻は瞬間的に凍りついた。そのまま、高速回転しながら彼女に襲い掛かった。
「!!」
衝撃を殺しきれず、彼女は弾き飛ばされた。砕けた氷が刃となって、ハリベルに降り注ぐ。
「
剣から高圧水流を放ち、その反動で体を止めたハリベルは、すかさず、虚閃を撃った。
虚閃が冬獅郎の氷の片翼を切断した。ビルの屋上の手すりに降り立った冬獅郎に、
「断瀑」
さらに重量と速度を増した瀑流が落ちかかる。瞬歩で瀑流を躱わした冬獅郎はそのまま一気に上昇すると、氷輪丸を天に突き向けた。
「言ったはずだ。全ての水は俺に従う、と」
快晴の冬の青空に、ぽつんと白く染みのような雲が現れた。
白はみるみる厚みと面積を増した。雲が雲を呼び、息ひとつ呑むその間に、空は厚い雲に覆われた。
「何だ…?」
一瞬で暗く翳った空に、初めて、ハリベルの瞳に動揺が現れた。
「これは…!?」
「天相従臨」
と冬獅郎は答えた。
「全ての天を支配する氷輪丸の基本能力のひとつだ」
「天候を支配するというのか?」
「ああ」
冬獅郎は肯定を返した。
「俺の卍解はほんの数日前に完成したばかりだ。それだけに御しきれるか自信がなかったんだが、これ以上、てめえとの戦いを長引かせる訳にはいかねぇ」
「貴様が終わらせる、と?」
「そのつもりだ」
冬獅郎は刃を構えた姿勢のまま、ハリベルを見据えた。
「まだ、名乗ってなかったな。十番隊隊長、日番谷冬獅郎だ」
と、自らの名を告げる。
「でめえの名は、十刃?」
「
「そうか。いくぜ、ハリベル」
冬獅郎の頭上が白く輝いた。
「氷天百華葬」
ハリベルは目を瞠った。輝く白が微かに振動し、天から落ちてくる。
「…!?」
雪崩だ。吹雪などという生易しいものではない。天から直接、雪塊がなだれ落ちて来ているのだ。
咄嗟に放とうとした灼海流は封じられた。
「!!」
雪崩を溶かすよりも早く、彼女の剣に氷の華が咲いた。
「なっ!?」
逃げ場を塞ぐように雪崩が渦巻く壁となって彼女を囲み、その中を風花が舞い散った。風花がハリベルに触れるたびに氷の華が咲き狂う。ごくりと唾を飲み込む暇すらなく、ハリベルの体は花に埋もれた。彼女が無数の氷華で形作られた巨大な彫像に変わるまで
「氷散華」
氷輪丸の切っ先から現れた氷竜がまっすぐに彫像に奔り、突き抜けた。
びしり、と氷の華に亀裂が走った。次の刹那、中のハリベルごと微細な氷の欠片に砕けた。吹き抜けた冷たい風が氷片を舞い上げ、空一面に散らした。雲が切れ、翳っていた空が急速に明るさを取り戻してゆく。雲間から現れた陽射しに、細氷がきらきらと金色に輝きながら、地に降り落ちていった。
「どんなに進化したとしても、虚なら還れ。人の魂魄に…。輪廻の流れに戻ってゆけ」
死神の斬魄刀に斬られた虚は人の魂魄に戻り、輪廻の流れに還ってゆく。ハリベルや彼女の従属官たちがどんな執着から虚と化し、進化して破面となったかはしらない。だが、冬獅郎に、剣八に斬られたのだ。輪廻の流れの中で、いつか、人として生まれ変わり、再び巡り会えばいいと冬獅郎は願った。
*1 江戸末期の辰時を使用。
なお、刻を「とき」と読む場合は、一昼夜を12等分した値となる為、