遠誓
「こちら、流魂街空座町部隊、伊勢です。救援本部応答願います」
「はい、救援本部です」
「先ほどの東の結界柱の破損時に、移送の間に合わなかった現地住民四名と移送作業中の死神が一名、現世に回帰してしまいました。早急な保護を願います」
「了解しました。直ちに確認に向かわせます」
東の結界柱が破壊された際、空間転移により流魂街に送られた本物の空座町の一部が戻ってきてしまっていた。崩壊する前に冬獅郎の能力により柱が氷結し、狛村と鉄左衛門により緊急用の結界が施された為、転送回帰したのは柱を中心に50m四方ほどにとどまってはいたが、防ぐことは出来なかった。結界柱が狙われることは想定されており、柱周辺の住民は流魂街空座町を担当する八番隊と十二番隊の隊士の手によって、街の中心部に移送される手はずになっていたのだが、移送が間に合わずに取り残された住民と作業を行っていた死神が回帰に巻き込まれたのだ。回帰した先は戦場だ。柱の防衛に向かった狛村とバラガンの従属官チーノンとの戦いによって、本物の空座町の建物にも損傷が出ており、回帰した住民と死神が巻き込まれていないかが懸念される状況であった。
勇音が部下二名を東の柱に向かわせたところで、再び通信が入った。
「瀞霊廷救援部隊、伊江村です」
「はい。こちら、虎徹」
「断界に
「難しいですが、融通してみます」
答えながら、勇音は気が気でなかった。十三番隊には妹がいる。三席の地位にいる清音は、当然、最前線で戦ったはずだ。多数の死者、負傷者に清音は含まれていないだろうか。訊ねたい心を勇音は必死に押さえた。身内や友人の安否が案ぜられるのは自分だけではないのだ。今は四番隊副隊長として私情は控えなければ、と。
その時、
「姉さん!」
清音の声が通信機を通じて響いた。
「清音! 無事なの?」
反射的に勇音は訊ねてしまっていた。
「うん。無傷とはいかなかったけど、たいした怪我じゃないよ。伊江村さんに治療してもらったから大丈夫。今すぐでも戦えるくらいだよ」
「そう」
安堵を滲ませた勇音に対し、清音は間を置かずに続けた。
「そっちの状況は? 浮竹隊長と朽木隊長が戦況を知りたがっていらっしゃるの」
「従属官による柱の破壊は東の柱を除けば阻止できたけど、虚による攻撃は現在も続いていて、結界柱防衛部隊が退け続けている状況よ。破壊された東の柱も日番谷隊長が氷結させたことで崩壊は免れた。でも、緊急結界で保持しているだけだからかなり危険な状態だわ。隊長格と十刃は交戦中。それから、」
と、勇音は息をついてから続けた。
「卯ノ花隊長が救命措置を行ったから、命に別状はないけれど、朽木ルキアさんが負傷してる」
「朽木さんが!? 怪我はひどいの?」
ルキアと仲のよい清音は息を呑んだ。
「片肺が潰れる重傷よ。肋骨も折れてる」
決戦の場となった現世空座町に配備されたのは、瀞霊廷防衛の任に就いた六・十三番隊、及び、流魂街に転移した空座町を任された八・十二番隊を除く残り九隊の十五席以上の席官である。それ以下の者では十刃や従属官、味方の隊長格の霊圧に中てられて戦闘不能になってしまうからだ。
瀞霊廷防衛部隊である十三番隊に所属し、しかも無位のルキアが現世空座町での決戦参加を認められたのは特例措置である。空座町はルキアにとって、最早、単なる赴任地ではなかった。一護や織姫、雨竜、泰虎たち大切な仲間が暮らす町であり、彼らの他にも、みちるや千鶴、啓吾や水色といった友達が住む町なのだ。空座町を護る為に、一護や雨竜たちとともに現世の決戦に参加したいとルキアは直訴した。平隊士ながら実力は上位席官級と認められていたことで彼女の訴えは容れられ、一時的に日番谷冬獅郎指揮下に組み込まれていたのだ。
「分かった。浮竹隊長と朽木隊長に報告しておく。命に別状はないのね」
「ええ。意識もしっかりしているわ」
「了解」
通信が切れた。
勇音が伊江村からの要請である救援部隊の補充の編成にかかろうとしたその時、上空の空間が歪んだ。
「
凝然と死神たちが見上げる中、黒腔から現れたのはまだ少年の破面だった。
「あいつは…!?」
現れた破面に冬獅郎は覚えがあった。先遣隊として空座町に駐在中に、
殺気を感じさせない、あどけない少年の破面に死神たちが戸惑っている隙に、ズズッという重たい音をたてて、化け物のように巨大なぶよぶよとした虚が現れた。
虚はずるずると空中を這いずって燃え盛る城郭炎上に近づくと、炎の壁に向かって息を吹きかけた。
腐臭とともに、炎が吹き消された。現れた三人の元隊長の姿に死神たちの間に緊張が走る。
「アア~、ウ~ア~!!」
ワンダーワイスが甲高い叫び声を上げた。同時、虚が口を大きく開き、べちゃあと涎のように大量の下級大虚を吐き出した。
咄嗟の判断で、冬獅郎は氷の刃を放った。
「群鳥氷柱!」
躊躇う暇など存在しなかった。
大虚の群れに、剣八とやちるが嬉々として向かって行く。射場鉄左衛門も群れに突っ込んで行った。結界柱では指揮官であるイヅルや修兵らの指示の下、席官たちが虚を迎撃した。
冬獅郎が振るった氷輪丸から放たれた氷龍が、うねりながら大虚の群れを一瞬で氷結させ、その身で粉々に砕いてゆく。
「は…」
息をついた刹那、背後から襲った鋭い刃風を冬獅郎は紙一重で躱した。
「よう躱したなぁ」
見覚えのある冷たいにやにや嗤いが冬獅郎を見下ろしていた。
「 市丸!」
「ちょっと見ん間にずいぶん大きゅうならはったんやね。なん食べたん?」
「…」
「あ、もしかして涅はんの新薬の実験台になってみたとか?」
「黒崎や阿散井と同じようなことを言うな」
冬獅郎の一言に、
「え~!」
と、ギンは大仰な声を上げた。
「あん子らと発想が同じて…。市丸ギン、一生の不覚や」
言いながら、無雑作に神鎗を振る。狙いさえつけず、ただ振っただけと見えたのに、刃は的確に冬獅郎に迫った。
「!!」
氷輪丸で受け止め、払う。飛びのく先を予測していたように刃が伸び、冬獅郎は再びぎりぎりで身を躱した。
「何、避けとるん? 攻撃せえへんと埒が明かへんやん」
嘯きながら繰り出される攻撃は何気ない動きでありながら、重く、鋭い。反撃するわけにいかない冬獅郎は躱すのに精一杯だった。
十番隊長としての立場を考えれば、交戦してギンを倒すのが正しいと分かっていた。だが、乱菊と交わした約束だけは守りたかった。冬獅郎はギンを殺すわけにはいかなかったし、彼に殺されてもならないのだ。
「逃げるばっかりやとどうもならへんて、さっきから言うとるで!」
知っているのだろうか。
冬獅郎はふと疑問に思った。ギンは絢女が生きているということを知っているのだろうか。絢女に対する想いは捨て去られ、残ってはいないのか。大川が証言したように、彼が本当に藍染の妨げとなる絢女の抹殺を命じたのか。
「市丸!」
「やっと、まともに戦う気ィになった?」
「如月あや、 !!」
絢女、と最後まで言葉に出来なかった。
先ほどまでとは比べものにならない速さの刃が冬獅郎の左手を裂いたのだ。避け切れずに斬られた傷口から、血が迸った。
「その名前を口にするな」
口許の笑みは消えていた。
霊圧は凍っていた。
憤りと殺気を隠しもせず、ギンは神鎗を振るう。
その凄まじいまでの剣に、冬獅郎は受け止め、避けるのが精一杯で言葉を発する余裕を失った。
(市丸!)
消えてはいない。捨て去ってもいない。ギンの絢女に対する想いは未だ燠火のように燻り続けていた。
刃が冬獅郎の胸元を掠った。隊首羽織の前が切れた。
直後、
「唸れ、灰猫!」
灰燼がギンを包んだ。
ぴく、と乱菊の睫毛が震えた。
「乱菊さん!」
覗き込む織姫の前で、乱菊はゆっくりと眸を開いた。
「織姫…」
自分を心配そうに見つめる織姫の姿に、意識を失う直前までの記憶がフラッシュバックする。乱菊は一瞬にして事態を了解すると、自分の腹部に目を遣った。
アヨンに引きちぎられた肉は回復していた。織姫の双天帰盾によって治癒されたのだと悟った。
「織姫、朽木は?」
乱菊の問いに、織姫はすぐに答えた。
「あちらで卯ノ花隊長が治療を…」
「そう。ありがと、織姫。もういいわ」
と、乱菊は身を起こした。慌てて、織姫が留める。
「待って、乱菊さん! まだ傷が塞がってないよ!!」
腸や腎臓・子宮といった内臓、肋骨や脊髄などの骨格組織、さらに筋肉まで含めて内部器官への事象の拒絶は完了していた。だが、最上層の皮膚組織に対する拒絶がまだ完全ではない。乱菊の右脇腹、腿の付け根に近い部分から15cmほどの長さで、極太の臙脂のクレヨンを力いっぱい押し付けて引いたような、わずかに上に傾いた横線が走っていた。癒合しきれていない表皮の裂け目から覗く筋組織の肉色だ。
「もう少しだから。乱菊さん、無理をしないで」
気遣う織姫に、乱菊はゆるりと首を振った。
「隊長がギンと戦っているのよ」
「え…?」
「隊長はギンに反撃出来ない。ギンを殺せない。あたしと約束したから」
と、乱菊は語った。
「ギンを殺すのはあたしの役目よ」
彼女は織姫の指をほどくと、すっくと立ち上がった。
「ありがとう、織姫。これで戦える」
「乱菊さん!」
引きとめようと織姫が手を伸ばしかけた時、
「井上!」
雨竜を背負った一護が、瞬歩で織姫の傍らに飛び込んできた。
「石田を頼む!!」
雨竜は左腕を付け根から失っていた。腹部と背中は真っ赤に染まり、剣が貫通したことが見ただけで分かった。辛うじて意識は残っていたが、失血のせいで朦朧としていた。一護は雨竜を織姫の前に横たえた。
「腕はウルキオラにやられた。腹は虚化して意識を失った俺がやってしまったらしい」
感情を抑えた一護の報告に、織姫は目を大きく見開いた。
「頼む」
たった一言で、己を失って仲間を傷つけてしまったことを、優しい一護が悔やんでいることが痛いほどに伝わってくる。織姫が乱菊に視線を移すと、
「織姫、石田が先よ。あんたは仲間を護る為に修行してきたんでしょ」
と、乱菊は諭した。
「ごめんなさい、乱菊さん。後できっと最後まで治すから」
「ありがと。当てにしてるわ」
にっこりと艶やかな笑みを残し、乱菊は瞬歩で織姫の前から去った。
「井上、石田を頼む」
もう一度、一護が頼んだ。
「俺も戦線に戻る」
一護は湧き出した下級大虚の群れを見据えた。
「うん。任せて」
と織姫が頷いた時、
「待て、一護。私も戻る」
横合いから声がした。ルキアだった。
「朽木さん! 大丈夫なの」
「ああ。卯ノ花隊長に直々に治療して頂いたのだ。大丈夫だ。井上、石田を早く治してやれ」
「うん」
ルキアは一護を見た。
「行くぞ、一護」
「おう!」
二人の姿が消えた。
極小の灰燼のような刃と化した灰猫がギンを包む。
だが、ギンの霊圧が灰猫を弾いた。
「松本!」
乱菊は瞬歩で冬獅郎の傍らに立つと、
「遅くなって申し訳ありません」
と詫びた。
「松本、怪我は!?」
「織姫が治療してくれました。もう大丈夫です」
「そうか」
「隊長、ありがとうございます。約束、守って下さって」
ギンを殺さない。
ギンに殺されない。
その約束を冬獅郎は守ってくれた。
「松本、おまえもな」
生きる、という約束を。
「はい。隊長。ここはあたしが引き受けます。隊長は藍染を、」
告げようとした乱菊を阻むように、冬獅郎を目掛けて神鎗が伸びた。神速で襲い掛かる刃を寸前で、乱菊の灰猫が弾いた。
「ギン、あんたの相手はあたしよ!」
「ボクの相手は十番隊長さんや」
「あんたと隊長は戦わせない!」
乱菊は真正面から、ギンに斬りかかった。
直前の刹那に、行け、と冬獅郎に目で告げる。半瞬に満たない躊躇いの後、冬獅郎は身を翻した。
「待ちィ!」
追おうとするギンの前に、乱菊が立ち塞がった。
「あたしが相手だって言ったはずよ!」
「乱菊…」
ギンと対峙した乱菊は構えたままだった灰猫を下ろした。不審気に眉を顰めたギンに、
「ギン、戦う前に言っておくわ」
と乱菊は静かに言葉をかけた。
「何?」
「今まで、ずっとありがとう」
「…らん、」
「それから、ごめんね」
ごめんね。あんたのことを支えてやれなくて。
ごめんね。自分のことばかりに精一杯で、あんたの手を離してしまって。
乱菊は下ろしていた灰猫を再び構えた。ギンもまた、鞘に戻していた神鎗を抜いた。
無言のままで、視線だけが交錯し、そして、
がちん
金属音を立てて、剣が打ち合った。
「始解せえへんの?」
「始解しても、あんたには通用しないでしょ。あんたこそ、始解すれば一瞬でケリがつくのに」
「乱菊が始解せんのに、ボクが始解するわけいかへんもん」
「お情け? 一応、お礼を言っておくわ」
渾身の力で神鎗を弾いた乱菊は、間を置かず灰猫を突き出した。後ろに退ってそれを避けたギンが、
「乱菊、腕、上げたなぁ」
と感嘆した。
「あんたが手を抜いてるだけでしょ!」
反撃出来ない立場だったとはいえ、冬獅郎さえ苦戦した相手に勝てるはずがない。それを、乱菊は弁えていたが、一方で、彼を倒すのは自分でなくてはならない、と思い定めてもいた。自分が敵わなかったらあんたがギンを殺して、と絢女に頼みはしたけれど、彼女にそんなつらい役目を負わせるつもりはなかった。
ギンは大事な幼馴染だから。
幼くて貧しかった日々に、寄り添いあい、支えあってきた兄にも等しい相手だから。
身寄りのない独りぼっちの乱菊にとって、たった一人、家族と言える人だから。
だからこそ、彼を倒すのは乱菊でなければならなかった。
本気の攻撃を繰り出す乱菊に対し、ギンは先ほどの冬獅郎と同様にひたすら身を躱し続けるだけだ。乱菊の息は上がっていたが、ギンはまるで呼吸を乱していない。彼我の差を見せ付けられながらも、乱菊は怯みも諦めもせずに立ち向かい続けた。
上段からほとんど捨て身で討ちかかった乱菊の剣を、ギンの神鎗が払った。態勢を崩し、横合いに飛ばされた乱菊に向かって、近くにいた下級大虚がいきなり虚閃を放った。
結界を張る暇もなかった。
(避けられない!!)
乱菊は息を止めた。
その目の前を、白が過ぎった。
「え?」
乱菊の前に飛び込んできた白い塊が、盾となって虚閃を受けた。
「 鷺姫!?」
それは絢女の分身。純白の大鷺。
乱菊が鷺姫に手を差し伸べたのと、ギンが下級大虚を斬り捨てたのは同時だった。
ギンが乱菊を振り返った時。
乱菊の手が鷺姫に触れる直前。
鷺姫の身体が崩れた。
無数の羽根が、まるで綿雪のように乱菊を包んだ。
「鷺姫ぇ!!」
乱菊の悲痛な叫びが空間を切り裂いて、ギンの耳に届いた。
「…さぎ…ひ…め?」
乱菊の姿はふわふわと舞う羽根に霞んでいた。幼馴染を囲む純白の羽毛をギンは見つめた。
ひょお、と一陣の風が吹き抜けた。風は羽根を舞い上げ、そのまま、乱菊を中心に渦を巻いた。彼女を核に倒立した竜巻が生まれ、頭上の一点に上昇気流となって集約した。風に乗った鷺姫の羽根がその一点へと集まってゆく。そして、
再び、鳥の形に
「鷺姫!」
一声鳴いて、鷺姫が乱菊の肩に舞い降りた。
「よかった、鷺姫。無事だったのね」
ほっとして、乱菊は鷺姫の頚を撫でる。顔を上げてギンを向くと、彼は立ち尽くしたまま、乱菊を見つめていた。普段は見えないほどに細められた木賊色の眸を瞠って、彼は乱菊を凝視していた。
(違う、あたしじゃない)
けれども、乱菊は悟った。
彼の視線の先にいるのが自分ではないことを。彼が見ているのは鷺姫だ。
乱菊の肩で、鷺姫はゆっくりと頚を擡げた。主と同じ、琥珀の眸がギンを捉える。
かつて、ただ一度だけ、ギンはその鳥を見たことがあった。
彼がまだ人間の子供だった頃に、一度だけ。
「ギンは人なんだって、わたしが思い出させてあげる」
それは遠い昔に交わした誓約 。
「万にひとつで悪霊になってしまったら、きっと、わたしが人に戻してあげるから…」
「ゆびきり、げんまん」
ギンの唇が震えた。
乱菊に届かないほどの幽かな声で告げられた言葉に、鷺姫が応えるかのように小さく鳴いた。
「ギン…。あんた、まさか…」
はっとした乱菊が伸ばした手は、ギンに届かなかった。
瞬きひとつの、まさに一瞬の間に、彼は姿を消していた。