祈求
鬼道で止血だけを施し、絢女はギンを抱えた。
(死なないで。お願い、死なないで)
たん、と地を蹴り、絢女は中空に駆けた。
四番隊の救援本部は、絢女のいる場所からみると空座町の反対側に位置する。間にはたくさんの虚や大虚が群れているが、避けている時間などなかった。どうせ藍染に存在を確認されてしまった以上、もう霊圧を抑えても意味はない。ならば、と絢女は決断した。
「烈風陣」
ごおっ、と風が唸り、四本の竜巻が興った。竜巻は闘独楽のように互いにぶつかり合いながら、虚を巻き上げ風圧で叩きのめし、絢女の進路を開いてゆく。竜巻を追って、絢女が走ろうとした時、
「オオ、お、ああああー!!」
虚閃が来た。
躱した。
だが、次の瞬間、拳が突き込まれていた。
紙一重で避け、瞬歩で距離を取る。
(この子…!)
「あああー、ウ~ア~!」
人語とはとても呼べない喚き声だった。けれど、絢女はワンダーワイスの言葉が解った。
彼は怒っていた。藍染を傷つけられたことを憤っていた。そして、傷つけたギンを倒す為に、絢女の前に現われたのだ。
「アアア!!」
機関銃のように
間一髪で結界を張り、虚弾を弾き返す。
「くっ!」
一刻も早く、ギンを卯ノ花の許に運びたいのに。
(邪魔をしないで!)
竜巻がワンダーワイスを囲んだ。そのまま、距離を詰めた竜巻はワンダーワイスを中心に押し潰すや、一本の巨大な竜巻に変化した。
「うォッ!! アァ~!」
少年の絶叫が響いた。直後、高密度の霊圧をぶつけられ、竜巻が消滅した。
「あ~あ~、ウ~ア~!」
空座町全体に散らばっていた大虚たちが、ワンダーワイスの呼ぶ声に従って集まってきた。みるみると、絢女を阻む壁が厚くなってゆく。
(ギン…)
両腕でしっかりと抱えているギンは意識が全くなく、だらりと重い。だが、彼の息がまだあるのかさえ、確かめる暇はなかった。
「群鳥氷柱!」
不意に降り注いだ幾万もの氷の刃が、下級大虚の群れを貫いた。
「ぎゃあぁー」
醜悪な悲鳴を上げて、大虚が倒れていく。
「姉さま、無事か!?」
「冬獅郎! 乱菊!」
冬獅郎は姉を確認した。死覇装は及ばず、顔や髪までべっとりと血にまみれている。体中を染めた血糊はすでに半ば以上乾いていて、どす黒く色を変えていた。だが、それは絢女のものではない。彼女がその手で抱きしめて庇う男が流した血だ。
ワンダーワイスの周りに巨大な氷の岩が出現した。
「千年氷牢!」
冬獅郎が氷輪丸を向けると、爆発的な冷気が噴出し、ワンダーワイスは氷の岩に閉じ込められた。
乱菊の灰猫が、残った大虚を切り刻んでゆく。
「姉さま、今のうちに!」
「ありがとう」
駆け出そうとした絢女の動きが止まった。
千年氷牢から炎が噴き上がったのだ。
「何?」
噴き出した炎は獣と化した。絢女、いや、彼女が抱えるギンに襲い掛かる。
風の壁が焔獣を阻んだ。壁の表面を焔獣は疾り抜ける。だが、付け入る隙がないと見るや、身を翻した。乱菊を襲った。
「群鳥氷柱!」
焔獣は冬獅郎の放った氷の刃により消滅した。
その直後、炎に融けた千年氷牢の中からワンダーワイスが現れた。
彼は帰刃していた。
「こいつ、炎熱系か…!」
乱菊を熱気から庇いながら、冬獅郎は身構えた。炎熱系は冬獅郎にとって、最も相性の悪い相手だ。ハリベルのように水を操る相手や、絢女のように風を武器とする相手なら、相手の攻撃を自らを利する武器に変えることも可能だ。だが、炎熱系の場合、力と力のぶつかりあいでしか決着がつかない。相手の熱気が勝るか、冬獅郎の凍気が勝るかだけだ。戦術など意味がない。
「うぐ、オアァ!」
喚き声とともに膨れ上がった焔が巨大な壁と化して、冬獅郎らを囲い込んだ。
「隊長、これ!?」
「まさか、『城郭炎上』…」
「うそ…」
総隊長、山本元柳斎重國の流刃若火と同じ技をワンダーワイスは放ったのだ。
「あいつを倒すしか、この炎の壁を突破する方法はなさそうだ」
冬獅郎は氷輪丸を構える。しかし、ワンダーワイスは冬獅郎を気にしていなかった。彼の眸が捉えているのはギンだけだった。
「オオオオッ!」
雄たけびに似た絶叫とともに、ワンダーワイス自身が焔に包まれた。灼熱の焔の中で、憎悪の籠もった目がギンを睨んだ。
「オオうっ!!」
今にも襲い掛かろうとしていた少年の動きが、いきなり停止した。瞳が驚愕に見開かれている。
「あいつ、一体…?」
乱菊が不審に呟いたのに、
「藍染が死んだのよ」
絢女が教えた。
「絢女…?」
「鏡花水月の気配が今、消えたわ。藍染は死んだ…。もう、浄めの風はいらない…」
最後は自分自身に呟いているようだった。はっとして、絢女を見た冬獅郎に、絢女は微かに頷きを返す。
「松本」
冬獅郎は乱菊の腕を掴むと引き寄せた。
「隊長!?」
驚く乱菊の目の前に、結界の壁が現れた。
風が止まった。
絢女はワンダーワイスを見据えた。
「ごめんなさい。あなたが藍染を護りたかったように、私もこの人を護りたいの。あなたが子供でも、私はあなたを倒します」
いつの間にか絢女の頭上に鷺姫がいた。鷺姫はすうっとわずかに上昇すると、いきなり垂直に落下した。鷺姫の姿が、真下にいた絢女の身体に呑み込まれた。
ワンダーワイスの目から、大粒の涙が滴り落ちた。ぼろぼろと涙をこぼしながら、
「オアァァ!」
彼は絶叫した。焔の弾丸となって、彼は絢女に突進する。
だが、
「滅びの風。たまゆら」
焔が絢女に達する直前、ワンダーワイスの身体が崩れた。
塵のように。灰のように。
ワンダーワイスは崩れ去った。
焔の壁の中に取り残されていた大虚たちもが、叫び声さえ上げず、霊子の塵に変わってゆくのを、冬獅郎と乱菊は結界の中で見守っていた。
「隊長…、これはどういうことなんです?」
「『滅びの風』。卍解した姉さまの切札だ。超・超音波を浴びせて共鳴を起こすことで、物質の分子レベルでの結合を解いて霊子の塵に還すんだ」
「凄い…。こんな技があるなら、何でもっと早く…」
「敵も味方もお構いなしの技だからな。九十番以上の結界を張っておけば何とか防げるが、それ以下だと結界の方が負けちまう」
乱菊にはまだ九十番台の鬼道は操れない。冬獅郎が乱菊を自分の結界の中に庇った理由が、ようやく理解った。
「何より、この技は姉さまの全霊力を傾注しないとならねぇ。浄めの風を吹かせながらでは使えねぇんだ。それに…」
絢女の身体が不安定に揺れた。
「あっ!」
目を瞠った乱菊の前で、絢女は地上に降りて行った。
「滅びの風を使った後は、卍解状態を保てねぇ。中空に留まる為の霊子の足場を作ることさえ、今の姉さまには難しいんだろう」
だからこそ、藍染が死んだと確認できるまでは使うことが出来ない技だったのだ。
冬獅郎が結界を解いた。
「ギン」
乱菊が絢女の降りた方へ駆け出し、冬獅郎も彼女を追った。
絢女は陣を置いていた神社に降り立っていた。
彼女に力を貸してくれた御神木は枝がかなり折れていたが、何とか無事だった。だが、レプリカの社は絢女が避けた虚閃の直撃を受けたらしく、無惨に崩れていた。
その壊れた社の前に、絢女は座り込んでいた。
胸に男を抱きしめたまま、彼女は呆然としていた。
「絢女!」
走り寄った乱菊が、
「ギンは!?」
と尋ねる。だが、絢女は応えない。乱菊の声も、姿も、絢女は認識していなかった。
絢女がしっかりと抱きしめている為に、乱菊はギンの容体を検められなかった。
「絢女、しっかりして。ギンはどうしたの!?」
と、激しく肩を揺さぶられても絢女は呆としたままだ。ついに、乱菊はぱしんと平手で絢女の頬を打った。
「らん…ぎく…」
ようやく乱菊を認めた絢女の表情が悲痛に歪んだ。
「乱菊、どうしよう」
「絢女!?」
「
「え?」
「ギン、呼吸してないの」
乱菊は絢女の腕からむしり取るように、ギンを離した。彼の身体を反した乱菊は、驚懼の余り、言葉を失った。
彼の状態は乱菊の想像を遥かに超えていた。正視に耐えないほどの無惨な傷に、乱菊はへたり込んだ。だが、すぐにきっと顔を上げた。
乱菊は掌をギンの上にかざした。
「死なせない」
と、彼女は呟いた。
「死なせてなんかやるもんですか!」
ゆらり。
乱菊の霊圧が揺らめいて、立ち昇った。彼女はギンに自らの霊圧を注ぎ込んだ。
「あ…」
乱菊の気迫が、絢女を我に返した。
絢女の霊圧が揺らぎ立った。彼女もまた、己の霊圧をギンに注いだ。
ギンに霊圧を分け与えること以外、何ひとつ考えられなくなった二人の女を見下ろし、冬獅郎は踵を返した。
怪我人と救護の四番隊士でごったがえす救援本部で、隊士に混じって手当てを施す織姫を見つけた。
彼女の双天帰盾に覆われているのは泰虎だ。
冬獅郎は泰虎の傷を一瞥した。重傷ではある。だが、命に係わるほど重篤ではないし、意識もしっかりしている。それを見極めた冬獅郎はいきなり織姫の腰を両手で掴み、有無を言わさずに肩に担ぎ上げた。
「えっ!? 何!?」
突然の事態に、ばたばたと織姫は暴れる。顔を背中側に突き出す形で抱えられた為、担いでいる人物の顔は見えなかった。だが、銀色の髪とぼろぼろの隊首羽織、そして霊圧が織姫に狼藉者の正体を知らしめた。
「冬獅郎くん、降ろして! まだ、茶渡くんの治療が終わってない!!」
織姫は抗議する。だが、
「助けてくれ、井上」
織姫は続けようとした言葉を呑み込んだ。
「頼む」
否を言わせない、真剣で逼迫した声音。
気圧されて、織姫は動きを止めた。その瞬間、景色が変わった。
「井上、目を瞑っていろ!」
冬獅郎に告げられて、織姫は慌てて目を閉じた。耳許で、ひゅっ、ひゅっ、と風切り音が響く。
(これ、瞬歩?)
冬獅郎は何も説明しない。説明する時間すら惜しんでいるようだ。
(まさか、乱菊さんが…? それとも、絢女さん?)
彼はなりふり構わず、泰虎の治療途中の織姫を攫ったのだ。おそらく、冬獅郎が助けたい者は一刻を争う重傷のはずだ。そして、彼がここまで必死になる相手となると、織姫には乱菊か絢女しか思いつかなかった。
風切り音が止まった。
織姫がおそるおそる目を開けるより早く、彼女の体はとんっと地面に降ろされた。
まず目に入ったのは、酷たらしく破壊された社だった。空座第一高校近くの高台にある神社だと、織姫は理解した。それから、その社の前に座り込んでいる二人の女に気付いた。織姫に背中を向けた
「乱菊さん、絢女さん?」
乱菊の体の向こう側に投げ出された二本の足があった。乱菊と絢女の体からは陽炎のように霊圧が揺らめき立っている。背後に近付いてきた織姫にも全く気付かず、二人は必死に自らの霊圧を分け与え、誰かを救おうとしていた。
絢女の膝に乗せられた銀色の髪が見えた。
「…市丸…さん?」
藍染に従って護廷に叛旗を翻した元隊長の一人だと、織姫は悟った。男は悲惨なありさまだった。腹部には大きな穴が開いていて、潰れ、千切れ、焼け焦げた内臓がはみ出していた。胸と肩には深い刀傷。全身至るところが裂け、奇妙な方向に捻くれ、露出した膚は内出血で紫斑が浮き出していた。着ている服もずたずただ。しかも、元の色がわからないほどの血に塗れていた。
「井上、助けてくれ」
もう一度、冬獅郎が繰り返した。
織姫は頷いた。
「双天帰盾。私は拒絶する」
舜桜、あやめ。二人の精霊の盾がギンを覆う。
乱菊と絢女が顔を上げた。双天帰盾をかけられて、初めて彼女たちは織姫の存在に気が付いたのだ。
「おり…ひめ…」
「…織姫ちゃん」
茫然と織姫を見上げていた二人の表情が、ほとんど同時に歪んだ。
「ギンを助けて!」
二人の女の言葉が重なった。
「助けて、織姫。ギンを助けて」
「織姫ちゃん、お願い。ギンを死なせないで…」
こくり、と織姫は頷いた。
状況は最悪だった。
ギンの体に刻まれた傷という傷の全てに強力な霊圧が渦を巻いていた。
(だめ…。拒絶出来ない…)
拒絶を跳ね返す霊圧の強さに、織姫はくじけそうになる。
けれども。
彼女の目に、縋るように自分を見つめる乱菊の姿が入った。ギンの左手を両手で握りしめ、食い入るように彼の顔を見つめている絢女がいた。
(諦めるな、織姫!)
織姫は自らを鼓舞した。
藍染は彼女の双天帰盾を、「神の領域を侵す能力だ」と評した。自分の能力がそのような大それたものだと、織姫は考えていない。だが、他ならぬ藍染が告げた通り、これが真に神の領域を侵すほどの能力であるのなら、
(拒絶してみせる)
ギンが藍染を裏切り、命がけで絢女を護ったことを織姫は察していた。虚夜宮で一護と織姫を見逃した時、ギンは織姫に背中を見せて欲しいと頼んだ。奇妙な依頼の理由は、救出されて護廷に保護されてから知れた。織姫と絢女とは後姿がよく似ていること、そして、ギンが絢女を想っていたことを織姫は一護を通じて聞かされたからだ。
一護とルキアの絆に嫉妬し、そんな自分を許せずに悩み、苦しんでいた織姫を励ましてくれた乱菊。藍染の暗示を解き、自分を殺そうとした織姫を許してくれた絢女。織姫は、乱菊のことも、絢女のことも好きだった。
(死んじゃだめだよ、市丸さん)
だから、助けたい。乱菊と絢女が救いたいと願う、この男を。
「冬獅郎!!」
怒鳴り声とともに、冬獅郎の許に一護が現れた。泰虎の治療途中だった織姫を強引に掻っ攫っていった冬獅郎に、一護は腹を立てていた。彼は冬獅郎の胸倉を掴んだ。しかし、ぶつける前に、怒りはしぼんでしまった。額に汗を浮かべ、必死に拒絶している織姫と、その傍らで、祈るように、縋るように、双天帰盾を見守る乱菊たちの姿が視界に飛び込んできたのだ。
「すまん、黒崎」
一護の手を解きながら、冬獅郎は謝罪した。
「茶渡の治療中なのは分かっていた。だが、茶渡は他の奴でも何とかなるが、こいつは井上でないと助けられねぇんだ」
織姫か卯ノ花でなければ、いや、彼女たちであっても救命できるかどうかはほとんど賭けだった。だが、卯ノ花は救護を担う四番隊隊長だ。隊長格を含めた大勢の重傷者がいる状況で、彼女に叛逆者の命を救ってくれとは冬獅郎にはとても頼めなかった。護廷に与していても死神ではない織姫でなければ、ギンは救えない。そう考え、冬獅郎は力ずくで彼女を連れ去ったのだ。
「すまなかった」
「いや…」
惨憺としたギンのありさまを目の当たりにし、一護の怒りは完全に萎えていた。織姫でなければ、と冬獅郎が考えたのも無理からぬことと理解できたのだ。
「絢女さんを庇ったのか?」
冬獅郎にだけ聞こえるようにひっそりと尋ねた一護に、冬獅郎は肯定を返した。
「藍染を裏切ったのか…」
「ああ」
と、再び冬獅郎は頷いた。
「織姫ちゃん、ちょぉっと後ろ向いて欲しいねんけどなぁ」
虚夜宮での邂逅したギンが、一護を過ぎった。
「手ェ、離すんやないで」
あの時、ルキアの許へ急ぐ一護と織姫をギンは見逃してくれた。彼は織姫の背中に絢女を見ていたのだ。そして、おそらくは、織姫の手を握りしめた一護に、自らを重ねていたのだろう。一護が織姫を護りたかったように、ギンは命と引き換えにしても絢女を護りたかったのだ。
(死ぬな)
(死なないで)
(生きて…)
祈りが満ちる。
生きて 。
「あ…」
絢女の唇から、小さな声が洩れた。
びくり、と肩を震わせて、乱菊が絢女を見た。
顔を上げた絢女と目が合って、乱菊は呼吸を呑み込んだ。
「…絢女?」
絢女はおぼつかない表情をしていた。幼い少女のように頼りない口調で、彼女は呟いた。
「…いき…、ふきかえした」
「え?」
一瞬、乱菊は呆けた。だが、すぐに我に返ると、ギンに視線を移し、じっと観察した。
土色に血の気の失せた顔色。伏せられた瞼はぴくとも動かない。腹に穿たれた穴も全く塞がってはいない。けれど、
目を凝らすと、幽かに胸が上下動をしているように見えるのは錯覚だろうか。
ほんの僅かに生気が甦っているように感じるのは、願望が生み出した幻だろうか。
「ギン…、
錯覚ではない。幻でもない。じっと見つめてようやく感じ取れるほどの幽かな気配であったが、ギンは確かに呼吸をしていた。
蘇生したのだ。
ふら、と乱菊は立ち上がった。
そのまま、定まらない足取りで冬獅郎の方に歩んでくる。彼の目の前に来てもまだ止まれず、ゆらゆらとしている乱菊の両腕を掴んで、冬獅郎は彼女を止めた。
「…たい…ちょ…」
隣にいる一護は全く視界に入っていない様子で、乱菊は冬獅郎を見つめ、
「隊長ぉ…」
と呼びかけた。
「隊長、ギンが…」
「ああ」
「ギンが…」
一対の碧玉から、水晶玉のような雫が零れ落ちた。
「…ううっ…」
唇を引き結び、泣くまいとこらえる乱菊の背に腕をまわし、冬獅郎は彼女を引き寄せた。彼の肩に顔を埋めた乱菊に、
「泣け」
と一言、告げてやる。
「…ううっ…、う~」
くぐもった嗚咽が洩れた。冬獅郎の腕の中で、乱菊は震えながら泣いた。
「ひぃっ、っく、う」
時折、肩を大きく上下させしゃくりあげながら。
美しい顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにして。
乱菊は冬獅郎の肩に縋って、頑是無い子供のように泣きじゃくった。
冬獅郎の手が
不意にしっとりと温かな霊圧を感じ、冬獅郎は乱菊を抱きしめたままに背後を振り返った。同様に振り向いた一護が、
「卯ノ花さん」
と呟いた。
一護たちを見て、にっこりと卯ノ花は笑った。
彼女の背後にはイヅルがいた。
この神社はイヅルが護っていた北の結界柱に近かった。その為、彼は藍染と対峙し、闘うギンの霊圧を感じ取っていたのだ。ギンが重傷を負ったことも察知していたイヅルは、戦いの決着が着き、柱の守護の任が解かれるや、矢も盾もたまらずにギンの許に走った。そうして、目の当たりにした。呼吸が止まり
彼女たちでは救命は不可能だ。
短い期間であったが四番隊に在籍したこともあるイヅルには、一目でそれが分かった。冬獅郎が織姫を連れに向かったことを知らないイヅルは、卯ノ花を恃んだ。救援本部に走り、卯ノ花の姿を求めて駆け回った。そして、ようやく見つけ出した卯ノ花に、
「市丸隊長を助けてください」
と土下座して縋りついたのだ。
静かに織姫の傍らに歩み寄った卯ノ花が、
「織姫さん、ありがとうございます。後は私がいたしますから、織姫さんは休んで下さい」
と言葉をかけた。
「はい、でも…」
治癒を途中でやめてしまうことを躊躇う織姫を、
「ずいぶん消耗してらっしゃるはずです。無理をしてはいけませんよ」
と、卯ノ花は柔らかな微笑みとともに諭した。
「はい。卯ノ花さん、ありがとうございます。後はお願いします」
織姫は双天帰盾を解いた。
「井上、お疲れさん」
と歩み寄りながら、一護が労う。
「いえいえ、役に立てて良かった」
織姫はにっこりと笑った。
立ち上がり、彼女も一護の方に歩もうとする。
途端、彼女の身体がくずおれた。
「井上!?」
倒れ込んできた織姫を、一護は抱きとめた。
「井上!」
「織姫!?」
冬獅郎らが慌てて駆け寄るのに、
「過労です」
と、ギンの治癒の手を休めずに卯ノ花が告げた。
「乱菊さんや石田さんを治療した上に、四番隊士に混じって、ずっと怪我人を診てくれていたのです。それでなくても疲れきっていたでしょうに、こんな状態の市丸隊長を蘇生させたのですから…。霊力も気力も限界を超えてしまったのでしょう。ゆっくりと休めば問題ありません」
冬獅郎がうなだれた。
「すまん…」
「井上が目を覚ましてから、謝れよ」
「…そうだな」
「俺が言うことじゃねえけどな。あんま、気にすんな、冬獅郎」
と一護は笑った。
「倒れた時は焦ったけどな。ゆっくり寝てれば回復するみたいだし」
「だが、無理をさせてしまった」
「井上はさ、多分、『全然OKだから、気にしないで』って言うと思うぜ」
疲労の色濃い織姫の顔を見下ろしながら、一護は続けた。
「誰かに頼まれなくたって、あの市丸を見たら、井上はきっと助けようとしたと思う。無理してでも、無茶してでも、井上はそうする。それで、さっきみたいに『役に立てて良かった』って笑うんだ」
「そうだな…」
と、冬獅郎は頷いた。
「井上はそういう女だったな」
「ああ」
一護は織姫を横抱きにして抱え上げた。
「黒崎さん。救援本部に戻って、勇音に診て貰って下さい。精神を安定させる鬼道をかけた方が、ゆっくり休めるかもしれません」
と、卯ノ花が指示した。
「はい」
「それと、出来れば、傍に付いていて下さい。目を覚ました時に周りに知っている人がいないと織姫さんも不安になるでしょうから」
「そうします」
と、一護は答えた。
乱菊が織姫を覗き込んだ。気を失ったままの織姫の手を取り、乱菊はぎゅっと両手で握りしめた。
「ごめんね、織姫。ごめん。ギンを助けてくれてありがとう」
涙声で、乱菊は織姫に囁いた。
一護が絢女の方を見ると、ギンの頭を膝に乗せたままの姿勢で、絢女は深々と頭を下げていた。
乱菊が織姫の手を離した。
乱菊と冬獅郎に頷き、立ち尽くすイヅルに目配せをくれて、一護は織姫を連れ、瞬歩で社を離れた。
ひんやりと冷えた灰色の天井と壁が視界に入った。
身体が鉛のように重たい。
ゆっくりと、視線だけを動かして周囲を確認し、
(四番隊の囚獄病棟か…)
とギンは理解した。病になったり、怪我をした罪人を収容する為の牢獄形式の病室だ。逃亡が出来ないように窓がなく、壁、天井、床には殺気石が埋め込まれている。さらにご丁寧に、ギンの首と両手首にも殺気石で出来た枷がかけられていた。
(ボク、生きとるん?)
藍染の手で、身体をばらばらにされたと思っていたのに。
(生きとるなぁ。手足もちゃんとあるみたいや)
かちゃり、と扉が開く音がした。
音の方に目を向けると、卯ノ花だった。
「身体の具合は如何ですか? まだ、かなり痛んでいると思いますが」
「痛い、いうか、重いです」
と答えた後、ギンは真顔で卯ノ花を見つめた。
「絢女と乱菊は無事ですか?」
それさえ確認できれば、後はどうでも良かった。
「ええ、無事です。元気にしていらっしゃいますよ」
「そうですか。良かった」
「申し訳ございません。会わせて差し上げたいのはやまやまですが、」
「分かってます」
とギンは卯ノ花を遮った。
「ボクは罪人として拘束されとるから、会わせられへんのでしょう? ええんです。会いたいわけやない。無事でおるなら、それでええ」
卯ノ花は頷いた。それから、
「藍染は歿くなりました」
と告げた。
止めを刺すことは出来なかったが、深手は与えられた。おそらく、隊長の中の誰かが、藍染の息の根を止めたのだろう。そう察しをつけたギンは、
「そうですか」
とだけ答えた。
不思議なほど、何の感情も湧いては来なかった。