助命


 絢女は居並ぶ隊長たちの顔を順繰りに確認した。最後に、総隊長の山本に視線を固定させると、静かに言葉を紡ぎ出した。
「元三番隊隊長、市丸ギンの助命を」

 いつものように、絢女は冬獅郎と共に十番隊舎に出勤した。叛乱が収束した現在でも絢女の処遇は一向に決まっておらず、相変わらず十番隊預かりの宙ぶらりんの状態のままでおかれていた。
「今日は、お隣さんだったわね」
 絢女は帰還してからずっと、体が動く時は十番隊士の修練の指導を任されていた。正規の隊士ではない為、書類仕事を手伝うわけにもいかず、それならばせめて、現世駐在の余波で書類仕事が山積になっていた十番隊正副隊長に代わって隊士の修練の面倒でも見ようということで、もともとは始まったことだった。だが、絢女は実力もさることながら、冬獅郎も驚くほど指導が巧みで、目に見えて力を上げた十番隊士たちの口から噂が他隊にも流れ、他隊からまで修練の指導をして欲しいと彼女の貸し出し要請が十番隊に舞い込むようになっていた。叛乱の後始末で隊長格が奔走している今は、特にひっぱりだこで、あまり絢女を貸し出さないでほしい、とあおりを喰った自隊の隊士から冬獅郎に請願が上がってくるほどだった。
「姉さま、九番隊の指導は午前中で切り上げてくれ」
「あら、終日の約束だったと思うけど?」
「檜佐木には話を通してある。午後からの隊長会議に姉さまを同行するように、総隊長から連絡が来たんだ」
 絢女は目を丸くして弟を見返した。
「隊長会議? どうして、私を?」
「俺も知らねぇ」
 乱菊が肩を竦めて言った。
「どうせ、碌でもないことよ」
「え~、いやだなぁ」
「総隊長命令だ。引き摺ってでも連れて行くからな」
「乱菊じゃあるまいし、逃亡したりしないわよ」
「何、乱菊じゃあるまいしって? ど~いう意味よ?」
「胸に手を当てて、よ~く考えてみやがれ」
 朝の恒例となった軽口の応酬の後、絢女は九番隊に出掛けて行った。
 午後になって、九番隊から戻ってきた絢女は冬獅郎に伴われて、護廷会議舎に向かった。
 隊長・副隊長が出席する隊長格会議には、実は絢女は出席したことがある。五番隊第三席だった頃、副隊長のギンが討伐任務などで出席できない時、藍染は彼女を代理として同行したからだ。だが、隊長だけが出席を許される隊長会議には当然参加したことはなく、緊張している姉を見て、冬獅郎は苦笑しながら、
「取って喰われるわけじゃねぇんだし、そんなに硬くならねぇでも…」
「だって、隊長しかいないのよ?」
「檜佐木と吉良もいるぞ」
 隊長不在の三番隊と九番隊には副隊長に隊長権限代行の資格が与えられていた。ただし、五番隊については、桃がいまだ療養中なので、山本総隊長の指揮下に置かれていた。
「ああ、そうだったわね。ちょっとだけ気が楽になったみたい」
 乱菊に紹介されて以来、すっかり呑み友達になってしまった二人の名前に、絢女は表情を緩めた。
「俺もいるんだし、大丈夫だって」
「そうね。頼りにしているわ、冬獅郎」
と、絢女は自分どころか、乱菊の背丈さえ追い越してしまった弟を見上げた。
 重々しい扉を開いて会議場に足を踏み入れると、すでに他隊の隊長は揃っていた。
 冬獅郎が十番隊隊長席に、絢女が会議場の端に設けられた特別席に腰を下ろしたところで、会議は始まった。
 伝達事項や、護廷の今後の方針などの確認が続き、蚊帳の外の絢女は特別席で縮こまっていた。やがて、
「では、本日、最後の議題に入る」
と、山本が宣言した。
「五番隊の統括官についてじゃ」
 山本の言葉に、絢女と冬獅郎ははっと顔を見合わせた。これまでの議題に絢女は関係がなかった。これが最後の議題とすれば、この為に絢女は呼ばれたことになる。山本の目的を悟り、二人は愕然とした。
「皆も知っての通り、現在、三・五・九番隊は隊長を欠いておる。新隊長の選出は急務ではあるが、三・九番隊については副隊長に隊長権限代行資格を与えることで、現在、隊の機能は保たれており、今しばらく余裕がある状態じゃ。しかし、五番隊は副隊長も療養中で隊務に復帰できず、統括官不在が長く続いており、隊としてほとんど機能しておらぬ」
 そこで、ごほんと咳払いして、山本は言葉を切った。
 鋭い眼光が末席の絢女を射抜き、思わず、絢女は身を正す。ゆっくりと、山本は続けた。
「五番隊元第三席、現在、十番隊預かり日番谷絢女」
「はい」
「そなたを五番隊隊長に推挙する動議が、六・七番隊隊長より上がっておる」
 推挙の理由は、彼女の実力と、五番隊に在籍していた過去があり席官の多くはかつての部下であることから、スムーズな隊の掌握が期待できることであった。
 封じていた冬獅郎の霊力を解放することで封じの為に割かれていた自らの霊力をも回復した絢女は、卍解を修得し、藍染率いる破面軍との交戦の際には隊長格も認める戦果を上げていた。もともとの任務であった秋篠による鏡花水月の幻惑能力の無力化の遂行はもちろんだが、最上級ヴァストローデ一体を含む、多数の大虚メノスの殲滅が高く評価されていた。特に上級大虚については、重傷を負った市丸ギンを庇いながらの交戦だったこと、生き残ったギンの証言から、その上級大虚が山本の斬魄刀、流刃若火に対抗する為に特別に生成された改造破面であると判明したことが彼女の戦績をさらに高めていた。今や、護廷中が彼女の力を認めているといっても過言ではなかった。
 朽木白哉と狛村左陣から出された日番谷絢女の五番隊長推挙の動議は、すでに十番隊長以外の隊長、および権限代行者の承認を得ていることを告げられ、絢女と冬獅郎は再び愕然とする。
(根回し済みか…)
と、冬獅郎は舌打ちをしたい気分で総隊長を見つめた。
「十番隊、日番谷隊長」
「はい」
「この件について意見はあるか?」
「いえ、ございません」
「では、賛成とみなしてよいな」
「はい」
 十番隊の隊長としてではなく、日番谷冬獅郎個人としての本音では姉を隊長にはしたくない。ずっと絢女に護られて来た冬獅郎である。これからは自分が絢女を護ってやるつもりでいたし、隊長職の重責を充分承知しているだけに賛成などしたくなかった。だが、十番隊長としての日番谷冬獅郎は、この動議に賛成せざるを得ない。絢女は鬼道・霊圧ともすでに隊長級であり、指導力や責任感も隊長職を務めるのにふさわしい力量を持っている。それに、動議にもあるように、五番隊には彼女を慕う元部下が数多く在任しているだけに、確かに他の者より五番隊士も受け入れやすいだろう。
「日番谷絢女、本人の意見は?」
「いくつか、確認したいことがございます」
「言うてみよ」
 絢女が確認したのは、第一は副隊長についてである。療養中の雛森桃を据え置くのか、他に副隊長を選出するのかという彼女の問いに、山本は絢女に一任すると答えた。第二は五番隊士の感情である。絢女は元五番隊士だっただけに、藍染が隊士からどれほど慕われていたかを承知している。藍染が反逆者として命を落とした今も、彼を諦めきれない隊士は多いだろう。そして、絢女と藍染ははっきりと敵対する間柄の者である。絢女にとって藍染は、現世に生きていた頃の弟と自分を身勝手な理由で殺した仇なのだ。
「その点については問題ない」
と、山本は言い切った。
「実はな、六・七番隊長の推挙と前後して、五番隊席官の連名で嘆願書が提出されておる」
「嘆願書、ですか?」
「そうじゃ。日番谷絢女の五番隊隊長就任の嘆願書じゃ」
 絢女は瞠目した。
 脳裏にかつての部下たちの顔が次々に浮かんだ。自分は彼らから望まれているのか、と絢女は背負うものの重さに唇を噛みしめた。
「他には?」
「確認したいことは以上です」
「では、五番隊隊長就任、受けてくれるか?」
 絢女はすぐには答えなかった。膝の上で組んだ手に視線を落とし、うつむいたままで、絢女はしばらく身動ぎもせずにいた。
 山本も、他の隊長たちも、辛抱強く彼女の返答を待ち続けた。
 ようやく、絢女は顔を上げた。
「お受けする前に、ひとつだけお願いしたいことがございます」
「なんじゃ」
「個人的な感情から来る願いです。これから隊長職に就こうという者が口にすべきでないのは承知しております。ですが、私がこれからも護廷に忠誠を尽くす為には、どうしても聞き届けていただきたい願いです」
 冬獅郎は絢女が何を願おうとしているのか理解した。おそらく、他隊隊長たちも察したのだろう。無言のまま、静かに絢女に言葉を促した。
 絢女と冬獅郎の目が合った。冬獅郎がわずかに顎を引いて頷く。絢女はゆっくりと視線を他の隊長たちに移した。浮竹、涅、更木と順繰りに両の眸が辿ってゆき、最後に山本に行き着いた。
 大きく、息をひとつ吐く。
「元三番隊隊長、市丸ギンの助命をお願いいたします」

「約束はしてやれぬ」
     それが山本の返答だった。

「裁定を下すのは中央四十六室じゃ。だが、最大限の働きかけはしよう」
「よろしく、お願いいたします」
 山本の意見は中央四十六室といえど、無視できないはずだ。絢女はそこに、全てを賭けた。
「山本総隊長」
 三番隊の吉良イヅルが声を上げた。
「なんじゃ」
 イヅルは立ち上がると、
「お渡ししたいものがあります」
と、緊張で震える声で言った。
 山本は無言でイヅルを促す。
 イヅルは声と同様に震える足で山本の前まで進むと、袂から取り出した書状を両手で差し出した。
「三番隊隊士一同の連名による、市丸元隊長の助命嘆願書です。中央四十六室にお取次ぎ願います」
と、イヅルは深々と頭を下げた。
 自席に戻ろうとしたイヅルと絢女の目があった。イヅルは泣き笑いじみた表情を浮かべる。絢女は軽く頭を下げた。

 冬獅郎が十番隊執務室に戻ると、乱菊はぼんやりと窓の外を見つめていた。
「書類。全然、捌けてねぇな」
と、眉間にぐっと力を入れて告げると、彼女は、てへへ、としまりのない笑いで誤魔化した。
「あら、絢女は?」
「五番隊に寄って来るそうだ」
「五番隊に何の用事です?」
 冬獅郎は乱菊を見据え、ゆっくりとした口調で告げた。
「姉さまは五番隊長に就任することが決まった」
「…え?」
 考えてもいなかったのだろう。乱菊は思いっきり呆けた表情になった。
「五番隊長…? 絢女が…?」
 だが、呆然としていたのは、そう長い時間ではなかった。
「ああ、適任かもしれませんねぇ」
と、乱菊は頷いた。
 絢女は卍解も修得しているし、実力は先の決戦で証明済みだ。何より、五番隊の席官の半数以上は彼女の元部下で、彼女を今でも慕っている。彼女が隊長になれば、叛乱で大きな痛手を負った五番隊も新たに歩み出せるだろう。
 冬獅郎は自身の執務机に歩み寄ると、抽斗から一通の書面を取り出した。
「お茶を淹れますね」
 立ち上がりかけた乱菊を、
「いや。今から、一番隊に行って来る」
と、彼は制した。
「え? 今、会議から戻ったばっかりじゃないですか?」
 先ほどまで隊長会議で山本と顔を合わせていたはずなのに、と不審げに乱菊は上司を見つめる。
「松本」
「はい」
「抽斗に入っている書類を出せ」
「はい?」
「左の一番上の抽斗に、ずっと隠している書類があるだろう。そいつを出せ」
と、冬獅郎は命じた。
「…隊長」
 執務机の前に立ったまま固まってしまった乱菊に、冬獅郎はさきほど取り出した書面を見せた。
「これ…は…」
 市丸ギンの助命嘆願書だった。
「市丸の証言を聞いたその日の夜に書いた。だが、十番隊長としての立場を考えると、提出していいものかずっと迷っていたんだ」
と、冬獅郎は溜息をついた。
 いくら鏡花水月に惑わされていたとはいえ、ギンは直接手を汚していた。その上、術に囚われる以前、明確に復讐の意図を持っていた段階でも、藍染の信頼を得る為に敢えて暗殺に手を染めたことも判明している。十番隊には藍染一派により密かに殺された者は、現在判明している限りではいないらしかった。だが、あの決戦で死亡した者、重傷を負った者は大勢いた。また、藍染らの犠牲になった他隊の隊士と親しかった者だっている。それらの者たちの心情を思いやれば、ギンの助命を隊長である自分が願うことは、どうしても冬獅郎には躊躇われたのである。
「馬鹿だよな。あの時、さんざん後悔したくせに同じ過ちを繰り返すところだった」
「…あ…」
 乱菊の空色の眸が揺れた。彼女は慌てて抽斗を開けると、ずっと隠していた書面を冬獅郎に差し出した。
「隊長…」
 潤んだ瞳で助命嘆願書を手渡す乱菊に、
「おまえ、涙もろくなったなぁ」
「隊長の前、だけです」
「それならいいけどな」
 冬獅郎は二通の書類を懐に仕舞うと、言葉を継いだ。
「姉さまな」
「ええ」
「五番隊長就任と引き換えに、市丸の助命を願ったんだ」
 乱菊は黙って頷いた。
「自分がこれからも護廷に忠誠を誓うにはどうあっても聞き届けてもらわないと困る、って。…叛乱をようやく治めたばかりの護廷に対して、ものすげぇ脅しだと思わねぇか?」
「ずいぶんと思い切りましたねぇ」
「十番隊預かりの身だったしな。俺の立場や、あいつに大事な相手を殺された連中のことを考えたら、助命なんてとても口に出来なかったんだろう。市丸が処刑されたら、死神を辞めるつもりでいたそうだ。だのに、五番隊隊長に就任なんてとんでもないことを言われたから、な…。藁をもすがる訴えだったろうな」
「ええ…」
「吉良も助命嘆願書を提出した。三番隊士一同の連名だそうだ。市丸の奴は他隊の連中からはあまり好かれてなかったみてぇだが、隊内では意外に慕われてたんだな」
「そう言えば、ずいぶん前に吉良が言ってました。三番隊の隊士の九割はギンのファンだって」
「九割か。すげぇじゃねえか」
「隊長には負けますよ。うちの子たちは百パーセント、隊長のファンです」
 目を潤ませたままで胸を張る乱菊に、冬獅郎は苦笑を洩らす。
「行って来る。帰ってくるまでに、ちったぁ書類、減らしとけ」
「りょーかいです。隊長」
と、乱菊は力強く請け負った。

     これは我儘だ。

 彼の犯した罪を思えば、彼に殺された無辜の者たちを慮れば、口にするのも憚られる願いだ。
 だが、それでも、生きていてほしい。
 どうしても、生きていてほしい    

駄文倉庫へ戻る
前のお話へ
次のお話へ
トップへ戻る
2010.04.25