君ヲ想フ 〜彼女に何度も恋をする〜
『あんたたちは美しいけど、ただ咲いているだけなんだね。あんたたちのためには、死ぬ気になんかなれないよ。そりゃ、ぼくのバラの花も、なんでもなく、そばを通ってゆく人が見たら、あんたたちとおんなじ花だと思うかもしれない。だけど、あの一輪の花が、ぼくには、あんたたちみんなよりも、たいせつなんだ。だって、ぼくが水をかけた花なんだからね。覆いガラスもかけてやったんだからね。ついたてで、風にあたらないようにしてやったんだからね。ケムシを 二つ、三つはチョウになるように殺さずにおいたけど 殺してやった花なんだからね。不平もきいてやったし、じまん話もきいてやったし、だまっているならいるで、時には、どうしたのだろうと、きき耳をたててやった花なんだからね。ぼくのものになった花なんだからね』
《サン=テグジュペリ:作 内藤濯:訳 岩波書店》より抜粋
日番谷隊長と阿散井くんの視線を受けて、僕は息を吐いた。気持ちを落ち着けるために徳利を手に取り、丁度、干されていた日番谷隊長の盃に酌をする。
「ああ、すまん」
と日番谷隊長が律儀に礼の言葉をおっしゃった。
「日番谷隊長は現世の童話で『星の王子さま』という本をご覧になったことがありますか?」
一応、確認してみたものの、日番谷隊長が『星の王子さま』をご存じであることを僕は確信していた。日番谷隊長はなかなかの読書家だということだし、現世ではとても人気のある本なので基礎知識として読まれていらっしゃることは想定出来ていた。それに、そもそも僕にこの本を勧めてくれたのは雛森くんなんだ。彼女の性格からして、仲の良い幼馴染の日番谷隊長にも勧めていないはずがない。また、日番谷隊長の方も、雛森くんが熱心に勧める本を読まずに放置することはしないだろう。
「雛森のお気に入りの本だろう? 童話の体裁を取っているが、内容はかなり哲学的で含蓄のある話だったな。結構、興味深かった」
と僕に向かって頷かれた後、日番谷隊長は傍らで首を捻っている阿散井くんに笑いながら提案した。
「阿散井も読んでみたらどうだ? 内容は深いが童話の形を取っているから、易しい言葉で書いてあって読みやすいぞ。俺の勘だが、朽木妹も好みそうな話だと思う。話題にしてみるといいだろう」
「ルキアも知っていますかね?」
「現世では有名な本だからな。朽木妹もおそらく読んでいるだろうと思う。彼女が読んでいるなら、お前が話題に出せば意外性があって盛り上がるだろうな。万が一、知らないようだったら勧めてみればいい。良い反応が返ってくると思うぞ」
ああ、確かに朽木さんも好きそうだな。読みやすいという説明と、朽木さんとの間で話題に出来るという日番谷隊長の誘導のせいか、阿散井くんは俄然読む気になったらしい。僕を脇で突いて、
「持っているか?」
と小声で聞いてきた。
「持っているよ。明日、持っていく」
「おう、ありがとな」
僕と阿散井くんの間で約定が終わったのを聞き届けて、
「で?」
とおもむろに日番谷隊長は話題を戻した。
「『星の王子さま』がどうなんだ?」
「僕にとっての雛森くんは、あの童話の王子さまにとっての故郷の星に咲いた薔薇なんです」
と僕は答えた。
そもそものきっかけは
ご自分が答えたのと引き換えに、日番谷隊長は阿散井くんにとっての朽木さんと、僕にとっての雛森くんが、譬えるとしたら何かと問われた。咄嗟に答えられなかった僕らに明後日の(即ち今日、ただ今なんだけどの)隊長格の宴会まで回答を待つとおっしゃられ、そして、現在に至るというわけだ。
先ほどまでは阿散井くんの回答の番で、彼は朽木さんを「太陽」と答えていた。日番谷隊長は、
「阿散井にしちゃ、気の利いた答えだ」
と評していたが、実は僕も思った。素敵な答えだよ。日番谷隊長が勧める通り、朽木さんに言ってあげればいいのに。絶対に喜ぶと思うんだ。
ま、それはともかくとして、阿散井くんから宿題の回答を聞き取った日番谷隊長は当然のように、僕にも回答を求めるわけで。だから、僕も考え抜いた答えを返した。
「なるほど。確か、王子さまは薔薇の我儘に振り回された挙句、嫌気がさして故郷の星を飛び出したんだよな」
うん、そう来たか。
「え? そうなんスか?」
阿散井くんがひどく心配そうに僕を見ている。
「ええ、そうですね。そして、地球に来て、ある邸宅の庭に故郷に残してきた花とそっくりの花々が咲き乱れているのを見て、自分が特別だと、世界にたった一輪しかない花だと思っていたものがごく当たり前の、少なくとも地球ではありふれた薔薇の花に過ぎないことを知って悲しくなるんですよね」
と僕は続けた。阿散井くんがますます困った様子で、眉を下げて僕と日番谷隊長を見比べている。
「それで? おまえも雛森が当たり前の女だと思ってがっかりしたことがあるのか?」
日番谷隊長の声音は厳しいが、僕を見る瞳に悪戯な色が滲んでいる。『星の王子さま』を知らない阿散井くんが僕の返答にはらはらしているのを察した上で、
「がっかりしたことはありません。ただ、あんまりにも脈がないので、他の女の子に目を向ける努力をしたことはあります」
「へえ?」
「僕や阿散井くんがまだ五番隊に属していた昔ですけど、雛森くんは藍染隊長一筋で、僕は歯牙にもかけられていなかったから…。振り向いて貰えないのが苦しくて、つらくて、今考えると、本当に馬鹿なことをしたって思うんですけど、僕に告白してきた女の子と付き合ってみたことが何度かあるんです」
「初耳だな」
「ずいぶん前のことですから。それにどの娘とも三月と持たずに別れてしまっていたので、付き合った事実さえ周りに知られていなかったかもしれません」
「阿散井は知っていたのか?」
日番谷隊長に振られた阿散井くんは、うぐっと変なふうに息を呑み込んだ後、
「…俺が知ってるのは二人だけです…」
と消え入りそうな声で答えた。ごめん、阿散井くん。そんなに焦らなくたって大丈夫だよ。日番谷隊長は怒ってもいないし、不機嫌になってもいないから。
「比較的、長く続いた
僕は補足した。僕が平静なのが解せないのだろう。阿散井くんの視線がきょろきょろと定まらなくなっている。大丈夫なのかと、しきりに訴えるような視線を僕に投げて来る。そして、阿散井くんは気が付いていないけど、そんな彼の狼狽えっぷりを、日番谷隊長は表情こそ渋面を保ちつつも眸は異様に楽しそうに観察していた。
「短い娘は十日くらいで別れたから…」
「十日って、付き合った数に入れていいのか?」
「微妙でしょうか? でも、ちゃんと告白を受け入れた上でデートもしましたから…」
「それは、一回目か、二回目のデートで嫌気がさしたと見たが」
「はい。その
「雛森を忘れられなかったか?」
「おっしゃる通りです」
僕は苦く笑った。
本当に馬鹿なことをしたと今では後悔している。だけど、あの頃の僕は全く振り向いて貰えないのが苦しくて、雛森くんの視界に入らない自分がみじめでたまらなかったんだ。だから、その苦しさと惨めさから逃れる為に別の恋に逃げようとした。僕を好きだと言ってくれる女の子と付き合って、その娘だけを見ていれば雛森くんを忘れられるかもしれないって。他の女の子に恋を出来るかもしれないって身勝手なことを考えてしまった。誠実であろうとするなら、きちんと雛森くんを諦めて気持ちに区切りをつけた上で、告白を受け入れなければならなかった。けれど、僕は雛森くんに心を残したまんまで、他の女の子が彼女を忘れさせてくれるんじゃないかと勝手に期待していたんだ。結局、忘れることも諦めることも出来なくて、女の子たちを
「彼女たちには本当に酷いことをしたと思っています。こんなことを雛森くんの幼馴染の日番谷隊長に言うのはなんですが、客観的に見て、彼女たちが女性として雛森くんより劣っていたとは今でも思えないんです。でも、僕はダメでした。彼女たちが何をしても雛森くんと比べてしまっていた。デートしていても、偶然、雛森くんが視界に入るとそっちばかり見ていた。僕にとって雛森くんはもう特別になってしまっていて、他じゃ代わりになれなかったんです」
日番谷隊長の口許に笑みが浮かんだ。
「『星の王子さま』で王子に出会った狐が言っていたな。『俺の目から見ると、あんたは他の十万といる男の子と変わりない。あんたの目から見ると俺は十万の狐と同じだ』って。だけど、色々と話して、仲良くなった後での狐の言葉は変わっていた」
「それまでは何ということもなかった麦畑が王子さまの金色の髪を思い出させて素晴らしいものに見える、でしたね」
「ああ、そうだったな」
「そして、狐の勧めに従って、もう一度、五千もの薔薇が咲く庭に行って、改めて薔薇を見て気付くんです。他の人から見ると、王子さまの星の薔薇も、その庭園の薔薇も同じありふれたものかもしれない。だけど、王子さまにとって、故郷に残してきた薔薇はかけがえのない特別な花だったんだって」
雛森くんを忘れるために他の女の子に恋をしようとした。だけど、結果は雛森くんに改めて恋をし直してばかりだった。
何度も何度も諦めようとあがいて、だけど、何度も雛森くんを好きになってしまう。他の女の子ではダメなのだと、僕が恋を出来るのは雛森くんだけだと、気が付くまで五人もの女の子を苦しめてしまった。
「今は他の女とは付き合ったりは?」
「もちろん、していません。どんなに頑張っても諦められないって、すっかり悟ってしまいましたから」
僕はきっぱりと答える。
どうしてこんなにも雛森くんに惹かれるのか、自分でも分からない。王子さまにとって、水をやり、毛虫を駆除し、風に当たらないように衝立をたてたり、覆いを掛けたりして手を掛けた薔薇が特別になったように、霊術院の特進級で共に過ごした六年間、一年生の時の命がけで虚に対峙した体験、五番隊で同期の同僚として過ごした日々、そういった積み重ねがきっと、雛森くんを他に代わりのいない『特別』な存在に押し上げたのだろう。
「雛森は鈍いから難儀だよなぁ」
日番谷隊長は苦笑を落とされた。
「ま、俺は市丸みたいに邪魔だてはしないから、頑張れ」
「はい、ありがとうございます」
とお礼を言ったところで、急に、日番谷隊長はにやりと含みのある笑いを漏らされた。
「ああ、一応、言っておく。俺はそれなりに吉良を買っているし、まぁ、おまえなら雛森とくっついても文句はないかぐらいには考えている。だがな。別に、是非ともおまえとくっついて欲しいわけじゃねえから」
「え…?」
「吉良に負けないくらい雛森のことを大事に思って、雛森を幸せに出来る男が他に現れるようなら、そっちを応援することもあるかもしれない。あんま、のんびりして、横から攫われても慰めてなんかやらねえぞ」
あああ!! とても身近にいる誰かさんを思い出してしまった。冷水を浴びせられた心地で、僕は俯いた。
恋はある意味、弱肉強食なのかもしれない。捕食競争に勝ち抜いて、乱菊さんを獲得した勝者の貫禄漂う日番谷隊長に、改めて、この人が
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彼女に何度も恋をする
8周年感謝企画第5話め。「君ヲ想フ」というシリーズの第3話です。使用したタイトルはchanさまが投稿下さった「貴方に何度も恋をする」です。この話の内容からすると、タイトルに入っている「貴方」という人称代名詞は、二人称ではなく三人称の方が相応しいと考えましたので、「彼女に何度も恋をする」に改めさせていただきました。chanさま、ご協力ありがとうございます。
このシリーズでもう1話。それで「君ヲ想フ」シリーズは完結です。ここまではサクサクと消化出来ている8周年企画ですが、この先はわかりません。停滞しないと良いのですけど。
あ、そうだ。「君ヲ想フ」シリーズの時間軸は藍染さまの叛乱終結後、半年以上一年未満くらいのどこかです。拙宅捏造設定ではイヅ桃が晴れてお付き合いを開始するのは叛乱終結後8年めなので、このシリーズの時点では吉良くんは未だ雛森ちゃんに絶賛片想い中です。他ならぬ日番谷隊長に「さっさとくっついてしまえ」とそれとなくはっぱをかけられているにもかかわらず、ぐるもだしていた拙宅吉良氏は紛うことなきへたれです。拙宅が万が一にも日雛サイトであったなら日番谷隊長に間違いなく蹴散らされていたことでしょう。