もうひとつの出会い


 絢女が家柄のよい名家の姫君だということは分かっていたつもりだった。
 だが、実際に彼女の屋敷を目の前にして、ギンはその威容に圧倒された。堂々とした門構え、延々と続くなまこ塀と、その向こうに見える切妻屋根。庭の大木。思わず、身を竦ませたギンを、主計がからかいを含んだ笑みを浮かべて見遣った。
「何だ、怖いのか?」
「別に怖くあらへん。ちょっと、びっくりしただけや」
 ギンは強がる。その間に、絢女はさっさと門を潜ってしまった。門番の、
「お帰りなさいませ、姫さま」
の声に鷹揚に微笑み返す彼女に、
(ほんまに姫さんなんや)
と、ギンは絢女が手の届かない遠くへ行ってしまいそうな錯覚を覚えた。
「市丸さま、お帰りなさいませ」
「お役目、お疲れでございましょう」
 絢女の後に続いて、騎馬のまま門を抜ける主計にも門番たちは丁重な挨拶を寄越す。
 あらかじめ、早飛脚で連絡していたせいか、主計に抱えられるようにして馬上にいるギンを誰何する者はいない。門番や出迎えの者たちから穏やかに会釈されて、ギンは戸惑っていた。
 先に馬を下りていた絢女が、馬場に入った主計とギンに歩み寄る。この時、建物の裏から小さな影が走り出てきたのを、ギンは認めた。影は一直線に絢女に向かうと、とん、と彼女にぶつかって止まった。そのまま、彼女の足にしがみつき、
「ねえさまぁ、おかえんなさぁい!」
 舌っ足らずな幼い声が、元気よく叫ぶ。
「ただいま、冬獅郎。いい子にしてた?」
 絢女が抱き上げると、
「いー子! とーしろう、いー子」
と、冬獅郎は頭を絢女の首筋にこすり付けて、甘えた。
 この子が絢女の弟か、とギンは理解した。江戸までの道中、何度、絢女から話を聞かされたか数え切れない。絢女が誰よりも愛しんでいるたった一人の弟を、ギンはまぶしそうに見つめた。
 絢女は冬獅郎を抱きかかえたまま、体ごとギンに向き直った。
「ギン、この子が冬獅郎よ」
「うん…」
 今度は、冬獅郎の顔を覗き込み、
「冬獅郎、ギンよ。ご挨拶なさい」
と、言った。だが、冬獅郎はもともと大きな目を更に大きく見開いて、ギンをじっと見つめるばかりだ。ギンはギンでこんなに幼い子供と対峙したことがなく、どうしていいのか分からないまま、立ち尽くしていた。
 やがて、冬獅郎は男の子には無駄としか思えない長い睫をしぱしぱと瞬かせ、ギンに手を伸ばした。
 小さな指がギンの髪を掴む。
「おんなじ!」
 はしゃいだ声が上がり、加減を知らない手が思いっ切りギンの髪を引っ張った。
「たっ!」
 前につんのめりそうになったギンの腕を、主計が掴む。
「冬獅郎!」
 ぱっと、冬獅郎はギンの髪を離した。
「ねえさまぁ、ごめんなさい」
 悪気が全くなかっただけに、姉に大声を出され、冬獅郎は泣きそうになっていた。慌てて、冬獅郎の頭を撫でてやりながら、
「冬獅郎、姉さまはいいから、ギンにごめんなさいして」
「ごめんなさぁい」
 素直に冬獅郎は謝った。色味は全く異なるけれど、絢女によく似た円らな瞳が心配そうにギンを覗き込む。
「いたい?」
「大丈夫。痛くあらへん」
と、ギンが答えると、冬獅郎はきょとんと彼を見返した。
「さわとおんなじ…」
「さわ?」
 首を傾げたギンに、主計が教えた。
「俺の女房だ。京女でな。佐和と同じ、京言葉を使うとおっしゃりたいんだろう」
 その時、背の高い男が馬場に向かって歩んで来るのを認め、にわかに主計は跪いた。絢女も冬獅郎を抱えたまま、姿勢を正す。
「父上、ただいま戻りました。帰参が遅れまして申し訳ございません」
 絢女の言葉に、その男こそ、主計が「お館さま」と呼ぶ、日番谷家の当主であると悟り、ギンは慌てて深々とお辞儀をした。
「おかえり、絢女。主計もご苦労だった」
 ギンの頭上で声がする。
「ギン、だったな。主計から早で聞いている。頭を上げなさい」
 おそるおそるギンが顔を上げると、思いのほか優しげな視線とぶつかった。
「日番谷鷲一郎しゅういちろうだ。怪我をおしての長旅、疲れたろう?」
「え、いえ…」
 鷲一郎は絢女によく似た明るい栗色の髪をしていた。瞳は深い常盤緑で、どちらもこの国の人間としては異端な色合いだ。
 鷲一郎が絢女から冬獅郎を抱き取った。父親のたくましい腕に移った冬獅郎は、ギンを見ながら得意そうに父親に教えた。
「ちちうえ、とーしろうとおそろいで、さわとおそろい!」
「佐和と?」
「言葉です。京言葉ですので」
「なるほど。よかったな、冬獅郎、おそろいが出来て」
と、絢女たちを見遣り、
    湯を立ててある。旅の埃を落としてきなさい。報告は夕餉の席で聞く」
「はい、父上」
 絢女が、すっかり固まってしまっているギンの腕を取った。すいと優しく引っ張られ、ギンはおとなしく絢女に従った。彼女が耳元で、
「ごめんなさい、痛かったでしょう?」
と、先ほどの弟の狼藉を謝罪した。
「まだ、加減がわからないの。悪気はなかったのよ」
「うん、分かってる」
「同じ髪の人を見たのは初めてだから、はしゃいでしまって」
「うん」
 絢女から話を聞いていたとはいえ、ギンにしても自分と同じ髪色の他人を見たのは初めてだった。彼が「ばけもの」と呼ばれていたのにはいくつか理由があるが、彼の見た目も人々から恐れられた要因のひとつだ。黒髪に黒い瞳の人間ばかりのこの国では、絢女の栗色の髪と琥珀の目さえ異常と見られる。まして、銀色の髪に木賊とくさ色の瞳というギンは、鬼や魔物と怯えられても仕方のない姿なのだった。
 だが、絢女がいうには、日番谷の家では冬獅郎の銀髪はむしろ瑞兆と受け止められているらしい。例外はあるものの、日番谷の一族では霊力の高い者ほど、目や髪や肌の色素が薄い傾向があるのだ。冬獅郎の銀の髪と明るい翡翠の瞳は、彼が極めて高い霊力の持ち主であることを示している。霊力でもって、時の権力者に仕える日番谷一族においては、次代の頭領たる冬獅郎の霊力が高いことは歓迎すべきことなのである。

 その夜、屋敷の一室で、鷲一郎と主計は静かに酒を酌み交わした。
 話題に上るのは、絢女が拾ってきた少年    ギンのことだ。
「あれを拾ったのは、京を出て間もなくだそうだな」
「はい」
「もしかしたら、ギンには日番谷の血が流れておるやもしれぬな」
「ですが、一族の出なら、あの霊力も見目も厭われることはありますまい」
「先祖返りやもしれぬ」
 日番谷の一族のもともとの本拠は京にあった。彼らは特定の家筋に忠誠を誓うというより、その時々の政ごとを担う者に仕え、世の中が少しでも安穏になるよう政ごとを裏で支えることを使命としていた。長く続いた乱世が治まり、徳川家が江戸に幕府を開いた時、日番谷家は仕えるべき相手を徳川幕府と定め、京から江戸に本拠を移したのである。しかし、政ごとの実権は失ったとはいえ、京の天皇家の影響力もないがしろに出来ず、有力な分家は都に留まっている。分家日番谷のえにしにつながる家にギンが生まれたならば、主計の言う通り、銀色の髪も緑の目もそれほど異端視されずに受け入れられたはずである。
 ギンの霊力の強さは鷲一郎には一目で知れた。冬獅郎には及ばないにしても、絢女と同じか、あるいは彼女以上かもしれない。それほどの霊力の主が、まともな力の使い方も知らない無防備な状態で生きてこられたことが、鷲一郎には驚異だった。とっくの昔に、悪霊に取り込まれて心を喰らい尽くされていても不思議ではない。むしろ、彼がまだ「人」であることの方が驚くべきことだった。
「特に霊力が低い一族の者が他家に入ったことが過去にないでもない。日番谷の血を入れたことなど忘れるほど昔に入った血が先祖返りで顕れたならば、厭われもしよう」
「ああ、かもしれませぬな」
 ギンが断片的に絢女に語ったことを総合すると、彼の母親は公家か、武家か、商家かは定かでないが、それなりに裕福な家の奥方で、何不自由ない暮らしをしていたらしい。だが、ギンを産んだことで、彼女の人生は一変する。鬼子を産んだと婚家から離縁され、実家からも見捨てられた。行くあてのない彼女は息子を連れ、乞食や夜鷹よたかをしながら生きてきたらしい。ギンは、母親から罵られながら育った。おまえさえいなければ、おまえさえ産まなければ、と恨み言を子守唄にして。
 それでも、決して彼を捨てることをしなかった母親は、息子に対して愛憎半ばしていたのだろう。お嬢さま育ちの母親がどん底の生活に疲れ果て、野垂れ死んだ時期はさだかではない。ギンが母親のことを具体的に覚えていることから、彼がそれなりに大きくなるまでは生きていたようだ。
 それからの彼は一人ぼっちで生きてきた。異形の彼には物乞いさえ出来なかったから、山で木の実を採り、畑の野菜や寺社のお供えを盗み、裕福な家の残飯を漁りして食物を手に入れて来た。彼が流れて行った村では必ず不幸が起き、その度に、ばけものが災いを呼んだと恐れられ、追われ、幾度も殺されそうになりながら、なんとか生きながらえてきたらしい。
「あれほどの霊力の主が力も隠さずおっては、悪いものも呼び寄せよう」
と、鷲一郎は痛ましそうに言った。
 悪霊、魔物の類は、霊力の強い人間を恐れるが、反面、惹かれて集まってくる傾向があった。強い霊力の主を喰らうことにより、その力を自分のものに出来るからである。鷲一郎や絢女は悪霊を呼び込むことのないよう、霊力を隠すすべを身につけているが、ギンにはそれが出来なかった。それ故、彼はそこにいるだけで悪霊を呼び寄せる。集まってきた悪霊は周囲の弱い者を蝕むから、結果として、彼の存在が災いを招くことになるのだ。ギンが「ばけもの」と忌み嫌われたのは、ある意味、無理のないことだった。
「あれは、よほど心の強い子らしいな」
「強くあらねば、生きながらえることが出来なかったのでしょう。ずっと、独りでおったのですから」
 主計は酒を口に含む。旨いはずの酒が、奇妙に苦かった。
「あの子のこと、これからどうなさるおつもりですか?」
「あれだけの霊力の主が無防備であるのを見た以上、放置しておくわけにはゆくまい。あれでは、本人はむろんのことだが、周りにまで災いが及ぶ」
「はい」
「絢女が拾って来た責任というものもあるゆえな。霊力を隠す術、異形の見目をくらます術、悪霊を退ける術くらいは覚えさせぬと恐ろしくて屋敷からは出せぬ」
「そうですな」
「その後のことは、今は何とも言えぬ。あれがどういう子か見極めがつかぬゆえ、な」
 鷲一郎の含みに、主計は頭を下げる。おそらく、鷲一郎は自分の思惑を見抜いていると、主計は悟った。

駄文倉庫へ戻る
前のお話へ
次のお話へ
トップへ戻る
2008.12.20